窓の外には風景というものがない。そこにあるのは純粋な抽象概念のような、色のない空間だ (アフターダーク)

たった一夜、渋谷という町のほんの一角で起こった出来事、
この出来事は、この社会の縮図のようだ。

物語を俯瞰する視点「私たち」は、自由自在に高度を調節しながら、人々を観察する。
視座を高くすることで、この社会または世界全体で起こっていることの根源が見えてくるのではないだろうか。

村上春樹さんの「アフターダーク」を読んだ。
白川のオフィスの無機質さは、私がサラリーマンをしていた時の会社を思い出す。
やる気のない色をした壁、机や椅子。
開放厳禁な高層ビルの窓。風、日光、雨から遮断された部屋。
循環されない陰鬱とした空気が漂う。
普通私たちは、生き心地のいい風や景色をみるために高い場所に登るのではないか?
無機質なパソコンの画面と必死に向き合い、終わる一日。

白川は、家庭を蔑ろにして、残業に打ち込む。
彼の活動のひずみは、暴力となって19歳の少女にしわ寄せする。
彼の周辺の人々、そして、それらを構成する社会が、白川を変容させていったのだろう。

社会の裂け目に 引きづり込まれる(または落ちそうになる)のはいつも、女性や貧困者という社会的弱者。
19歳の中国人娼婦、マリの姉であるエリ、コオロギ、
彼らは、輪廻という宗教的思考や占いに精神の拠り所を見つけようとする。

裂け目に足をすくわれないためには、マリのように、人と距離を置き、内省して、自分の居場所をこしらえていく必要がある。

高橋は、まだ「何か」を探し求めている途中だ。

彼は、裁判を傍聴することで気づき始める、
今までは、死刑囚と自分は違う世界に住んでいると思っていたが、「2つの世界を隔てる壁なんてものは、実際には存在しないのかも知れないぞ」と。
ただ、彼はまだ、壁の向こうには積極的に介入しようとしない。

コンビニで見知らぬ携帯電話を手にした時、彼は
「こっちには関係のないことだ。都会の裏側で人知れず行われている荒々しく、血なまぐさい行為のひとつなのだ。違う世界の、違う回線を通して伝えられる物事なのだ」として、見ぬふりをする。
エリの相談話を聞いた時、高橋は、彼女に対して現実的にしてあげられることはそんなにないと感じていた。
けれども、それでは務まらないんだよと言いたい。
法律家を志す前にできることがあるのではないか。(所詮高橋は、空を飛ぶことの次に好きな「音楽をクリエイトする」ことを、「難しい」を理由に諦めてしまう男なのか…)

社会の構造は簡単に変わらない。今の私たちに求められているのは「深いレベルで個人的に関わる」ことだと思う。

図々しく介入することで、深海に生きる、巨大で得体の知れない、国家のような、怪物のような「何か」の足をつかめるのではないか。
そして、繰り返す光と闇の毎日から、少しでも光の時空を広げることができるのではないだろうか。

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