袴田事件について。

 1966年に静岡県で起きた一家4人の殺害事件は、わが国の司法史において重要な節目となった。袴田氏が犯人として逮捕され、死刑判決を受けたが、その後の再審で無罪が確定した。
 この事件は冤罪が疑われる中での長期拘禁と、それに対処する法的手続きの重要性を明らかにした。その過程で、刑事司法制度の改革の必要性を示し、公正さと透明性と精度を高める議論を盛り上げた。
 事件の概要は66年6月30日未明、静岡県清水市(現 静岡市清水区)で、味噌製造会社の専務である男性と家族が殺害され、自宅を放火されたという事件であった。袴田氏は当時同社の従業員であり、警察の捜査によって犯人として逮捕された。
 逮捕後の取り調べにおいて、同氏は自白を強要されたと主張し、無実を主張し続けた。裁判の経過は複雑だったが、最高裁判所が却下し、80年に死刑判決を受けた。それから複数回の再審請求が行われた結果、2014年に再審開始決定と釈放が認められた。
 この決定は捜査機関による証拠の捏造疑惑が指摘されたことによるが、とくに犯行当時の着ていた衣類に付着した血痕のDNA型が袴田氏のものとは一致しなかったという新しい鑑定結果が、決定打となった。
 23年には東京高裁が再審開始を認め、24年9月26日に静岡地裁は無罪の判決を言い渡した。この判決に対して、最高検察庁は控訴しない方針を固め、10月9日再審の無罪判決が確定した。
 一度死刑が確定した被告が無罪判決を受けるのは免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件に続き、本件は5例目となった。袴田氏は30歳で逮捕されて以来、14年3月27日まで45年以上にわたり東京拘置所に収監拘束された。
 本件は冤罪問題の象徴的な事例として、多くの議論を呼び起こした。事件の捜査から裁判に至るまでの過程で、当時の静岡県警察での次々と冤罪を作り出した誤った捜査、長時間の取り調べや自白の強要、証拠の捏造などの問題点が指摘された。その結果、刑事司法制度における改革の必要性が挙げられ、冤罪を防止するための法的保障の強化や捜査手法の見直しを求める声が高まった。
 冤罪が疑われる中で、同氏の再審請求は何度も却下された。それにも関わらず彼と彼を支持する人々の不屈の努力は、最終的に司法の誤りを正した。本件は警察や司法が常に正義や公平をもたらすわけではないという事実を、我々に認識させた。そして、真実を明らかにし、正義を実現するには、絶え間ない努力と社会正義の関与が必要であることを示した。

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