劇場版ヴァイオレット・エヴァー・ガーデンを観に行った話。感想。 少佐…?少佐ァ!!
ヴァイオレット・エヴァーガーデンの劇場版を観に行った。
前知識としては「TV版を見た覚えはあるけど内容あんまり覚えてないな…」程度なので不安だったが、
見る際には特に支障はなかった…
はずだ。
で、早速全体的な感想なのだが…
とにかく情景・感情描写がすんごかった。
その上でこの2つが相乗することによってとんでもないことになっていた。
世界よ、これが京アニだ…
この通り文章媒体なのに語彙力がなくなってしまって収集がつかなくなってしまうほどよかった…
なぜ僕の人生はアニメではないのだろう。
無情無情、あゝ無情。
…という感想を念頭に置いた上でこの先を読んでほしい。
これからちょっぴり否定的な事を言うがそれはツンデレちゃんの照れ隠しなのだと受け取ってほしい。
閑話休題
今作は、元少年兵で感情の希薄な少女「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」が戦後の世界で手紙の代筆をする「ドール」として働き、手紙を通した人と人の感情に触れながら成長していく…っといった内容なのだが、そのくらいのあらすじは公式サイトなんかを見れば分かる事だろう。
で、劇場版の話である。
前述のあらすじに加えて、ヴァイオレットがドールになった動機でもあるのだが、彼女の恩人であり想い人でもある「少佐」が最期に残した「愛してる」の意味を知る(ために感情を学ぶ)ことが物語大きな目的となっている。
で、
基本的に「少佐」の生死はボカされているのだが、
(原作となる小説版は死亡扱いらしい)
劇場版では「少佐」が生きていたのである。
……おいおいおいおい
話が変わってきちまうよ。
戦争が終わって平和になってもいつまでも自分を迎えに来ない少佐をそれでも無事と信じながらも心のどこかで死んだものとして受け入れ日々を過ごし時間を過ごし人々との交流を経て誰かからの命令でなく自分の感情によって行動する事ができるようになってきた、成長してきたヴァイオレットちゃん…
という前提がブチ壊れるのである。
ブチブチのこわこわである。
いやいやいや…
そもそも生きてたんなら会いに来いよ。
当然、作中人物からも指摘が入るのだが、
少佐の言い分は要領を得ないものばかり
ゴチャゴチャごちゃごちゃ…
その上、
・過去の自分は捨てて新しい土地でやり直したい
・ヴァイオレットに会わせる顔がない
・帰ってくれ
である。
コイツ…
我々視聴者はヴァイオレットの視点に立って努力してきた姿や少佐を想い続ける姿を見てきた。
それなのにこの仕打ち。
死んでた方が良かったんじゃないだろうか。
その後いろいろあって本音で語り合った2人は結ばれるのだが、なんというか、こう、本当に
ここのパートに関しては「少佐が生きてた」というインパクトを出したいがために展開が無理矢理になってしまったのではないかと思わざるをえなかった。
まぁ展開の無理性急さに目を瞑れば、
少佐も「戦中はまだ甘ったれた坊ちゃんだったが、戦後に改めて戦争に向き合った結果罪の重さに耐えられなくなってしまった男」というキャラ造形として納得はできる。できるのだが…………
う〜〜〜ん
やっぱり死んでたままのほうが良かったんじゃないかなぁ…
総じて良かったが文句のつけどころがないとは言えず、どうにも思わずにはいられないのだった。