「傷モノ」という表現を終わらせる

久しぶりのnote投稿です。
環境が少し変わり、気を取り直してまた投稿活動を始めて参ります。拙い文章ではございますが、改めてよろしくお願いいたします。

先日、私のなんてことない独り言をつぶやいたTweetにイイネ‼がついた。そのイイネをつけたのは、一年前くらいに2度一緒にお酒を飲んだ女の子。
お互い、酒飲みと分かって好きなアーティストも同じでとてもテンションが高く元気な女の子だなって印象。

彼女と話していくうちに「ちょっと私とはウマが合わないな」と感じ、今は距離をを取っている。

今日は、その彼女・・・
ひーちゃんとのエピソードで思ったことを書かせてください。

また、貞操観念や性体験について綴らせていただいています。
センセーショナルな内容も含みます。このような話題が苦手と感じる方もいらっしゃると思いますので、先にお伝えします。

その日、私は居酒屋でひーちゃんと飲みながら、彼女が次々と零す別れた彼の愚痴を粛々と聞いては、「次の男を探そう」「早いうちに悪い人と分かってよかったじゃないか」と励ましてはいたけど、若干その時点で愚痴係に疲れていた。そりゃあ、その前にも散々電話で愚痴を何時間も聞かされていたので、その心労はなかなかに重い。

といえ、私も元カレの事で悩んでいた時期はあるし飲みながら愚痴りたいこともあるわな…と思いつつ愚痴を聞いてやろうと枝豆をつまみながら話を話を聞いていたのです。

なんでも彼女は、元カレAと別れた後に
元カレBと付き合い同意の上で情事に及んだが、結局別れそれがとても気にくわなかったそうだ。
なんでも、処女を傷モノにしておいて別れるってどういうことだ、と。

傷モノになったから、今後結婚が出来るか不安だ。
傷モノだなんて恥ずかしい。
という考え方がひーちゃんには根強いらしい。

私は、その”傷モノ”という表現がどうにも引っかかる。

その引っかかりポイントは2つ。

一つ目の引っかかりポイント。
SEXは、必ずしも人が幸せと思える状況で出来るわけではない。そしてその体験は、人に一生モノのトラウマを抱えさせる程の攻撃力があるものだ。

その体験をしたことがある人は、案外身近にいると思う。
そこの居酒屋ですぐ隣に座っている人だったり、もしかしたら一緒にお酒を飲んでいる人かもしれない。

そんな環境で、大声で「傷モノにされた」と嘆くのは、私の考え方では少し肝を冷やす状況だ。
この話をふいに聞いてしまった誰かの傷を、抉ってしまいかねない言葉だと感じたから。

二つ目の引っかかりポイント。
一人の人間の体験で、”傷モノ”というその人の価値を減らす言葉を使う文化に対して、強い違和感を抱くのです。

上記の通り、必ずしも幸せなSEXだけを出来るわけじゃない。忌まわしい記憶として残る体験になってしまうSEXが初めてだという人も少なくない。
SEXを同意の上で行ったものの、後から「失敗したな」ということもある。生きるための手段として、SEXをすることもある。
大好きな人と幸せにSEXをしても、その後別れることもある。

良い思い出が初めてでも、悪い思い出が初めてでも、処女かどうかで
一人の人間を「傷モノ」という言葉で価値をつける時代は、終わったと思う。


人は、自分にとって最高の体験も、酷く忌まわしい体験も積み重ねて生きていく。その体験が、その人を作っていく。
SEXもその一つ。
人生で一度目のSEXを経験しているかどうかで、その人の全てが分かるわけでも無い。
初めてが初めてかどうか、それで傷モノだなんて他人から価値を付けられるなんてまっぴらごめんだ。

そして、本来SEXはその時に愛している人と交わす神聖な行為。
価値基準にするものでもないと思う。

もう、傷モノという言葉…表現自体を終わらせても良いんじゃないかと思う。
少なくとも、私は終わらせたい。

この考え方を、話題のきっかけになったひーちゃんに伝えてはみましたが、結局聞いても貰えなかった。
今では、関わり自体を経って居ますが、私にとって今私の考え方の核を作ってくれた一つの体験です。

繊細な話題で、私もこれを書きながら
どの言葉を使うべきか、迷いながら書きました。
私の技量では難しすぎる話題と、改めて思いました。
けど、私が今の時点でどうしても書いて誰かの目に触れる場所に置いておきたい考え方です。

拙い文章ではありますが、目を通して頂き、有難うございます。

この先誰もが、
辛いSEXを体験する出来事が無くなればと願うのみです。

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