49匹目のシュレディンガーの猫(3)
第一話→https://note.mu/m00nmachinery/n/n912b7437e7a8
第二話→https://note.mu/m00nmachinery/n/ned231f26b732
ほんのちょっとしんみりしたような顔をしながら
「あと一年で辞めるつもりではあったんだよ、あの仕事」
と先輩は言った
「あと一年?」
どういう意味だ?
キーボードを叩く手が一旦止まる。
「そもそもの会社としての寿命が持って五年だと思っていたから、そのあたりで辞めようって。ちょっと、何その顔」
自分でも変な顔をしていたと思う。
「なんすか、寿命って」
「だから潰れるまでの時間が、入社してから五年だろうって予想」
「根拠は?」
「ない。直感。だから何よその顔」
入るときに潰れるまでの時間予想して仕事始めるもんなんですか、フツーなんですかそれ。
「だって、大きい家具買うときに『これ、棄てるの面倒だったりするかなー』って考えない?」
「好きな人と付き合う前にも別れるときのこと考えるタイプですか」
「それとは別ですけどぉー」
水っぽくなったサイダーを飲み干して先輩は口を尖らせる。
「だからー、五年以内にやめてもどうにかなるような収入をなんとかしとかないとなあって思ってはいたの、……思っては!」
「つまり、具体的になにかしてたわけじゃないんですね」
先輩こそなんなんですか、その顔。
「まあ、目まぐるしく忙しかったのが一番大きい言い訳。次に『自分をクビにできるように仕事する』が思いの外楽しかったのがある」
「二番目が全然意味わかんないです。もう一回言ってください」
先輩はテーブルの隅に放り投げていたスマートフォンを引き寄せて何やら打ち込んだあと、画面を見せてきた。
「これ、読んで」
見せられた記事は、プログラマが入社数カ月で自分の作業をすべて自動化、その後同僚が気づくまで毎日出勤から退勤までただディスプレイへむかって座っていたという内容だった。
「え、この人仕事してなかったんですか」
「ちがうよ、仕事を突き詰めてそうなったんだよ」
「下手すると退職までこのままとかだったんじゃ」
「ありえるね」
いつの間にか追加したミニパフェを突きながら、先輩は続けた。
「仕事なんてさ、機械がやりゃいいんだよ」
「いや何言ってんですか」
「だってそうじゃん。別に誰でもできるかんたんなお仕事なんていうくらいなら機械だっていいでしょ。文明の発展なんてそういう方向に進むでしょ」
「じゃあ何するんですか」
「映画見たり、旅行行ったりする」
「そんなこといって、生活費だの、旅行に行くにもお金どうするんですか」
「もー、おかーさんかよ!」
顔をクシャッとさせて嫌悪感を露骨に表す先輩は、すぐに話を戻した。
「単純作業系は機械に任せる。ヒトはヒトにしかできない仕事をやる。それだけだよ。別に働きたくないなんて私は思ってない。他の人の働きたくない気持ちは知らん!」
ミニの名にふさわしく、あっという間に空になったミニパフェ。
よく食べるなあ。
「だからさ、そういうことを考えないとーって思ってた矢先に未払いっぷりがひどくなったの。そこでまず逃げないとまずいって思って、退職代行っていう案にたどり着いたの」
「なんか無理やりまとめましたね」
「うるさい」
「じゃあ、自分をクビの話は一旦おいといて、退職代行のこと、ちょっと聞かせてくださいよ」
「え、話すようなことないけど」
「じゃあ、辞めるって決めたことは相談したりしなかったんですか」
「相談? なんで?」
「普通は直属の上司とかに相談するもんでしょ、退職届だすために」
「あー、そういうやつね」
なんだと思ったんだ。
「えっとね、2つ目の案を考えてた」
「それ話してください」
・余ってたやつの消化も兼ねて、何日か続けて有給を取る
・その間に直属の上司に連絡を取る
・嘘泣きとか、ディズニーランド行きましょうとか、遊んでくれないと裸踊りしますとか、なんでもいいからちょっと連れ出す
・その足で弁護士事務所に駆け込む(当然予約済み)
・退職代行手続きをとって、この上司と一緒に辞めさせないと訴訟起こすぞって弁護士経由の連絡をする
「こういうの」
「バカなんですか」
「ええ!? こんなによく考えられた計画なのに!?」
「……本気でやろうとしてたんですか、上司巻き込み計画」
「結構考えたかな」
「一人で辞めるの、嫌だったんですか」
「ううん、上司がこんなつまんない場所で息絶えたら嫌だったから。人が頑張って救えるのなんてせいぜい両手で引っ張れる範囲だよ。だから一人だけならこの人って決めてた」
このときの先輩の顔は、真面目だった。
「まー、その人にはその人で助けてくれそうな人がいるみたいだから私がなにかしたら迷惑かもって思って実行しなかったんだけどね」
「その人のこと、なんか特別に好きだったんですか」
「えー、別に。恋愛とかそういうんじゃないよ。あんなにボロボロになって頑張ってて。そうだなあ、私の片腕献上するなら……あの瞬間の社内ではこの人だなあと思っただけ」
さらっとすげえこと言うな、この人は。
「大丈夫だよ、仕事の腕なんかさあ、また生やせばいいじゃない」
「トカゲじゃないんすから」
ラストオーダーを聞かれて、サイダーと烏龍茶を一杯ずつ頼んだ。
最後の一本に火をつけて、煙をゆっくりと吐き出しながら先輩はポツポツいった。
「私の代わりなんていくらでもいるよ。だから体壊すまで頑張っちゃいけないんだし、もっというと体を壊さなくても頑張れる仕組みを作り上げることに注力すべきなんだよ。そういう方向に頑張ることを許してもらえていたのは、本当によかった。自分の部下が初めて出来たとき、私が上司で良かったって言われたことも嬉しかった。それに、あそこでなければ出会わなかった人がたくさんいたし。だからそういう点については入社したことは全く後悔していない」
打ちながら、先輩の方を見られなかった。
「これで書けそう?」
「まあ、多分」
「盛って書いてくれよな!」
「なんですかそのキメ顔」
「タイトルは?」
「え、今決めるんですか」
「聞きたいから」
「そうだなあ……。これでどうですかね」
文字を打ち込んで、画面を先輩へ向ける。
「へー、なんか意外な感じ。なんでこれなの?」
「あてにしていた猫が、箱を開けてみたらとうとういなくなっていたってことで」
「なるほど、辞めたってことね」
「そうそう」
「ちょい貸して」
タタンと何文字か追加された。
「タイトルこれで」
「なんの数字ですか?」
「勤務期間っていうか」
「そういうことか」
二重カギカッコをつけて一番上に貼り付け直す。
『49匹目のシュレディンガーの猫』
「できたら教えて」
約束通り飲み代は無事に支払われた。
(了)
最後までご覧いただきましてありがとうございました。
この物語はわりとノンフィクションです。
イメージ画像引用元:https://pixabay.com/images/id-3864563/