"逃亡日記" 第27夜 "de désir de voir 写真の誕生"
薄闇のなかに浮かぶ、消えてしまいそうにかすかな銀色の影のような作品たち。
…どうしよう…こんなところで出会ってしまうなんて。かすかな困惑とあふれるよろこび。
初めて訪れたポーラ美術館で、1番心を動かされたのは、ピカソでもモネでもなく、"村上華子"というアーティストだった。
"すべての人にわかりやすい"…ものではないけれど、ときに現代アートとはこんな出会いがあるってことを伝えたくて。今日はそんな話。
ポーラ美術館
ずっと訪れてみたかったこの美術館は、ほんとうに森のなかに突然現れるガラスの建築だった。
2022年11月のメインは『ピカソ 青の時代を超えて』(かなり撮影可📷✨)
15歳の自画像から、青の時代・ばら色の時代、キュビズムの初期から晩年の作品までストーリーで展示されていて…書いてるだけでも"まんぷく限界超え"が伝わると思う。
まじですごいボリュームなので、ペース配分要注意です⚠️(笑)
しかもデザートに、モネもルノアールもマティスもアンフォルメル(抽象絵画)までついてくるとか…知らなかった…(事前調査は重要だ)
あまりの熱量にあてられて、友人を待ちながらソファに座りこんでしまう。
…これで全館の半分くらい観れたかなぁ…一回遊歩道でクールダウンしようか?カフェでお茶に誘おうか?…迷いながら、吹き抜けにある光のオブジェを撮影していると、ふともうひとつの展示のポスターが目に入る。
『写真の誕生』…タルボットかな?メディア史みたいなもの?…あー、メインビジュアルが落合陽一の『未知への追憶』を思い出すなー…(なんかイメージ似てません??色味が似てるだけ?
なんてことを、のんびり思っていた。
このあと、はげしく心をゆさぶられることも知らずに。
陰翳と光とラベンダーのかおり
ドレープカーテンで区切られた空間からのぞくのは、あざやかなネオンサイン。…蜷川実花?…ボルタンスキー??とか思いながら、ステートメントを読んだらもう世界観に落ちた。
とにかく文章が美しい。
…たいていのステートメントをすっ飛ばす派だけど、この展示のは読んでほしい。
こじんまりとした白い空間の向こうに、仄暗い部屋があり、ほんのり浮かびあがる銀色の作品たちが見える。…駆け寄ってしまいたい気持ちをおさえながら、白い空間の作品群を観る。
いまから200年前、光を、風景を、"自然そのもののしるし"を切り取りたくて、銀板にラベンダーオイルや松やにを塗って太陽光で感光させ、蒸留酒の湯気で現像するフィトタイプの実験を繰り返したニエプス。
彼の失敗の過程から、"写真のはじまり"を村上華子さんが『翻訳』していく。
白い空間は、イントロデュース。
ネオン管やつるつるの石、ざらりとした羊皮紙から、スプーンの影からの"網膜"…知らないうちにだんだん視覚センサーが広がっていく。
そして、暗い部屋。
ラベンダーの強い香りとあわい光にみちびかれ、ニエプスの"失敗作"を再現した作品群と出会う。
銀や銅の小さなちいさな板に写る、光の痕跡やレースのような葉っぱ。再現の過程で偶然生まれた虹色の環。観る角度で浮かびあがる、金属板の傷やゆがみまで、繊細ではかなげで愛おしくてたまらない。
しかも、いくつかの作品にうかぶ影は、いつか消えてしまうかもしれないらしい。
…はじめて"モダンアート"を購入する人のお気持ちを理解した。
これは、ひとりじめしたくなる。毎夜、ほのかな灯に浮かぶかすかな影を愛でていたくなる。
"du désir de voir"
直訳すれば、”視覚への欲望”
いまは息をするように無限に撮れるものだけど。”写真のはじまり”はこんな欲望の果てに生まれたのか…と思うと、人間の欲望の深さと純粋さを感じてしまう。
村上華子さんの網膜を通して再投影された繊細な世界を、ぜひ体感してみてほしい。
そして、その出会いが夢でなかったよすがに、作品を1枚持ち帰ってほしい。
厚ぼったくてざらりとして、かなしいほど大きな羊皮紙のノートを。
カメラ好きの人には、より強くぐっとくるものがあるかも。
…最愛のNOKTON Classicがさらに愛おしくなった。
温泉と森で、ふぅ…とやわらかくなった身体センサーだから、こんな風に感じとれたのかも。…都会で武装してたら、また違う風に見えたのかも。
そう思うと、光と空間と水が豊かなこの場所での出会いでよかったな。
村上華子 「du désir du boir 写真の誕生」
ポーラ美術館 -2023/1/15まで