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八分目のコーヒー
朝コンビニに寄ってアイスコーヒーを買った。
まだ週の初めなのに親子共々、なんだか疲れてしまって、保育園の登園を1時間遅らせて、私は出社を2時間遅らせてもらった。
いっぱい寝て、いっぱいゴロゴロして、いっぱいアンパンマン観て満足した息子を送って行ったら、出社時間リミットまで15分。
これはコーヒー飲むしかない、となってしまったのだ。
コンビニに入り、会計を済ませ、セルフの機械の前で、氷の入ったカップにコーヒーが注がれるのをボーッと見ていた。
もう少し入れてくれよ、の八分目ラインでぴたりと止まった。
蓋を閉める時に、やっぱりもう少し入るよねと浅ましく考えていた。
車に戻る間、手に持っていたプラスチックカップは私の歩幅に合わせて揺れる。
溢れない程度の波が起きている、それを見て私はハッとした。
あえての八分目なのだと。
これがギリギリいっぱいだったら、歩いてる途中に飲み口からコーヒーが溢れて大変なことになってしまう。
そこまで考えられての八分目だったか!
もっと入れてくれと思った私が恥ずかしい。
思い返してみれば、八分目で良いことは他にもあった。
私は趣味で観葉植物をたくさん育てているのだけど、植え替えの時期にはウキウキしながら土と鉢を準備するのだ。
鉢に軽石を敷き、その上に土を少し被せ、植えたい植物を入れ、隙間に土を入れていく。
隙間の出ない様に、ぐいぐい押し込むのだが、いつも鉢のサイズに失敗してしまうので、大抵高さが足りない。
しょうがなくギリギリいっぱいまで土を入れてしまう。
そうすると困るのが、水やりの時だ。
ジョウロで水をやるなのだが、すぐに流れない水が溢れて土まで溢れてしまう。
水をやる度に少なくなる土に、やるせなさを感じ、毎回学習能力がない私を許してくれ、と植物に謝っているのだ。
ここでも、八分目が大切だった。
最近ようやく腹八分目の大切さも、身に沁みてきた年ごろ。
そう考えると、容量に対しての八分目ってすごく大切なのかもしれない。
頑張ることを八分目ではない。
自分の受け入れられる容量を知って、タプタプ揺れる人生の波に耐えられる八分目を目指す。
溢れない様に。
少ないと思って持ち帰ったアイスコーヒーを、飲みながらそんなことを思った。