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研修を受けたら、学んだこと以上に研修の場自体が学びでいっぱいだったという話

研修はオンライン開催で日本各地から参加者がいて、職種もバラバラだった。
その時点で、多様な人との触れ合いに飢えている私は、わっくわくでさあやるぞと腕まくり。

研修自体はとても穏やかに進行され、講師の方のお話も分かり易く過不足ない。
問題はブレイクアウトセッション。


4人グループで、もちろん皆さん初めまして。
ぎこちなく始まるグループワーク、誰が口火をきるのか、まあそんなのは誰でもいいのだ。
誰も言わないなら、私からと話し始めたのが私だ。

順番に自己紹介をするのだけど、最後の方の声が全く聞こえない。
聞こえませーん!と訴えて、むなしく終わるワーク時間。

zoomでブレイクアウトセッションをしたことがある方は、ご存じのとおり、ワークが終わりに近づくとカウントダウンが始まり、時間になると個室から追い出され、皆が集まる大部屋に強制送還される。


その後3回ほどあったグループワークでも、全く同じことが繰り返され、聞こえませーんのタイムがあった。
なぜだ。過去3回でなぜ学ばぬ。2回目でマイクを口元ギリギリまで近づければ聞こえることが判明したじゃないか。


他にもニコリともしない人、なかなか意見を言わない人、やたら仕切る人・・・これは私か。
そんなメンバーとのグループワーク1、2回目は、盛り上がりとはかけ離れた様相であったのは言うまでもない。




その中で私は、逆に面白くなってきたわけだ。
時短中でなかなか研修に行くというチャンスを貰えない今、この時間を有効活用したいという気持ちも大きかった。


全く楽しくないグループワークでもどうしたら自分のテンション落とさず、取り組めるかチャレンジの開幕である。




チャレンジ①
グループワーク開始時に「宜しくお願いします」と声に出してみる。

研修等にブランクがあった私は、初めの挨拶をするということをすっかり失念してしまっていたのだ。
3回目のグループワークから言い始めたのだけど、言ってみるとちゃんと返ってくる。
一度口を開けると、みんななんとなく次の言葉が出やすくなるようだ。

今までにない小盛り上がりをみせる。もちろんマイク問題はあるにせよ。


返報性の原理で、相手が何かしてくれたら、返さなくてはいけないと感じる人間のさがなのか、小さいきっかけではあるが場を盛り上げる効果は一定あったように感じる。




チャレンジ②
仕切り屋と思われるの嫌だなという気持ちを捨ててみる

相手の感じ方をコントロールできない事を知るというのが、ここ最近の私のテーマだけど、頭に染みついた癖とは怖いもので、どうしても嫌われたくないと思ってしまう。

それをあえて自覚したうえで、4回目のグループワークの進行役などを買って出てみた。
渋々やっていますよ、という感じがにじみ出ていた1回目よりも、肩の力を抜いて参加する事が出来た。

自分はこの場で学びたいこと、チャレンジしたいことがあると開き直ってしまえば、なんてことのない事だった。



以上、2つのチャレンジをしてみたわけだけど、どうだったか。


すっごくワクワクした!
チャレンジ①のあいさつも、グループワークが始まる前から言うぞ言うぞ、前のめりになっていた。
先ほどまでうんざりしていた空気を、逆に待っている自分がいたのだ。

これが主体的に行動するということなのかと、腹落ちした気分。
今になってみれば、これまで研修に出ていても、学ぼうという気持ちはあっても、学ばせて頂くという受動的な態度だったようにも感じる。



自分は何をしたくてその場にいるのかを自覚して臨むだけで、感じるものが全く違うことが分かった。
画面上見えている風景は1つだけど、感じ方は何通りにも見えてくるのだ。


やる気のない理由は、場の雰囲気、メンバーの組み合わせが悪い、講師の進行が手際悪い、何とでも言えるし、何とでも言っていい。
自発的に学びに来た人、上司に言われて参加している人、職種も様々、参加している背景が様々だったからこそ、起きてしまった重たい空気。


でもこの方法を知ってしまってからは、前には戻れない。
その場から学べることが、見えている何倍も可能性を秘めてると知ってしまったから。




次はもっとギラギラしている、学びに飢えている狼たちがいるようなところに参加してみたいな。
そこで私も吠えたい。ウォーーーン

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