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夢を持たない生き方

【夢ってなんだと思いますか】

夢っていうと随分大層なテーマになっちゃうので、先にここで夢って何かなっていうのを整理してから本題に入りたいと思います。
わたくしは以前、ディズニーリゾートで物凄く驚いた出来事があったんです。
ディズニーランドは「夢と魔法の王国」って言う二つ名が有名ですよね。
まさにランドにあるアトラクションや飾り付けや雰囲気は無邪気な子ども時代に戻ったように、まるで空想の世界を見るような印象を持ちます。
一方でディズニーシーが「冒険とイマジネーションの海」という二つ名を持っていることをご存じですか?
わたくしはもう終わってしまったショープログラムなのですが、『ファンタズミック!』というディズニーシーのショーを見た時に、ミッキーが「イマジネーション!」という声をかけていたのが衝撃的でした。
自分の知識不足もあったんですけど、同じ夢を見るのでも“Dreaming”というと夜眠っている時に見る、人類としてはありえない設定のような空想世界の夢を想像しますが、“Imagine”と聴いた瞬間に「想像を巡らせる」という急に現実的な夢の見方をするなと思ったんです。
そこでディズニーシーをよく見渡すと、確かに日本にいるはずなのに異国情緒のある風景などが目に入りますが、あくまで過去の遺跡として存在していたようなアトラクションや、海底の世界、海外にありそうな船や汽車など、現実味を帯びたものに囲まれていることに気付かされたんです。
その時わたくしにとっての“夢”は見るものではなく叶えて手に入れるものなんだという意識に強く変わりました。
そして結論として、そもそも夢を持たなくてもいいというところにまで考えが至ったのです。

【夢を持たない理由】

①指をくわえて見ているイメージが強いから

という前提を踏まえると、夢と言った瞬間にやっぱり子どもの頃の空想が浮かんでくるんです。
お菓子の家とか、家中に溢れる綿あめの中で泳ぐこととか。
まあたしかに現代ではそれさえをも実現してしまうYouTubeの企画だったり、仮想空間で体験できるARイベントなどもあるとは思うんですけれど、自ら叶えようとなると結構尋常じゃないパワーとお金が要るなあと考える嫌な大人になってしまいました。
子どもの頃の空想的な夢はやっぱり、叶えられない子どもの想像力だからこそ、見られるものであって、今のわたくしにとっても子どもの頃と同様に叶うわけがないでしょうと冷めた目で見てしまうんです。
指をくわえて「ああ、ああなれたらいいなぁ」って憧れで終わるみたいに、叶うはずがないと思っているから自由に自在に想像して楽しむ、そういう存在に思えてしまうんです。

②現実主義にならざるを得ない時代に生まれたから

わたくしはいわゆるゆとり世代のど真ん中です。
ちょうどゆとり教育が始まった年と、終わった年の本当に中間地点です。
小学1年生の頃に今までと違った時間割に変わって「総合」っていう授業が増えた頃ですし、土日はずっと休みでした。
その代わり幼い頃から6時間授業がありましたし、高校生の頃は7時間授業もありました。
就活は3年の夏にはインターンで内々定も当たり前くらいな年代で、○○ナビ系の就活サイトに、1日付けで更新ボタン押しまくってやっとの想いでエントリーするような感じでした。
生まれた時からバブルが崩壊していてお金が無いのが当たり前だし、戦争が起きない代わりにいっつも人々がピリついてるし、幼い頃に阪神大震災、20歳の頃に東日本大震災を経験している年代です。
ぶっちゃけ占い師なんかしてるのにこんなこと言ったらよくないのはわかっているけれど、「神様がいるならどうしてこんなことをするの?」と言いたくなるほど夢を見ることもできない時代に生まれたと思っています。
ただ、それをわたくしは悲観したり、夢を持ちたかったと羨んでいるのではないんです。
おかげで現実主義的で、いつも目の前の生活と老後の心配を両方するクセがつきました。これは悪いことだと思っていません。先を読んで生きるスキル、サバイブしていく力、そういうのを経験できたのはわたくし達の世代だからこそと思っています。

③叶わなかった時にどうするか

仮に夢を持ったとして、叶わなかったとして、多分わたくしは悲しみに耐えられません。悔しさで自分を見失います。その上引っ込みがつかなくなって、流行りのソフト老害にでもなりかねません。
未練ばかり引きずって、「あの時こうしていれば」ってありもしないifばかり語って、せめても人生で一番良かった時の栄光に浸って、ものすごく嫌な人間になりながら老いていく想像しかできません。
そんな人ばかりではないと思います。
胸を張って夢を追い続ける人、実際に掴んで叶える人、たくさんいると思います。
だけどわたくしのような弱い人間は、叶わなかった時に、恥ずかしいと思う。
だから夢を持たない。もしかしたら持たないんじゃなくて持てないのかもしれない。

【その代わりに意識していること】

①短期的な目標の設定

だからといって、前に進むのになんのゴールも掲げていないのは推進力の低下に繋がることもわかっているので、でっかい夢ではなくて短期的な目標をもうけることはしています。
例えば年内にこうしていたいとか、今月はこのくらい何をしようとか、長くても10年以内にこうなっておきたい的な、そういう目標です。
そして事細かにその状況を考え、どうすれば達成できるか逆算することで、今やるべきこと、真っ先に優先すべきことを見極めて毎日を過ごすように心がけています。
小さな目標をクリアして重ねていくと結局最後には理想的な自分に仕上がっているので、振り返った時「思い描いた通りの自分になる」という夢は最低限叶うと思うんですよね。

②身の丈にあった生活を定期的に見直すこと

冒頭に出たお菓子の家に住むという夢が仮にあったとして、それ、叶えてお菓子の家住んで、どうすんの?って思うんです。
いや、一時的には楽しいでしょうし、まあ壁とか食べれたら美味しいし…?
でも実用的かって言われたら、まずアリに狙われますね。
耐久性も心配です。物珍しく人が寄ってくれば家という場所にも関わらずプライバシーが侵害される恐れもある。
(ね、嫌な現実主義者でしょ?笑)
だったら、今ある収入に見合った家賃で、壁を食べやしないけど、なんか良い雰囲気の壁紙で、住みやすい間取りで、プライバシーが守られる最低限のオートロックとか鍵がついてたりして、やっぱりそういう身の丈に合った生活空間じゃないと、持て余すと思うんです。
独り暮らしだった頃に、結構小さい冷蔵庫だったんですけど、誰かと住んでいるわけでもなく、作り置きをしないといけないってほどスーパーが遠かったでもなく、それでいいって思ってました。
でもいざ結婚したら二人分の食糧をそこに溜め込んだり、一人分の家事でいいわけじゃないから他の仕事や家事が増えていく中で作り置きもするし、スーパーからの立地も変わったし、ファミリータイプの冷蔵庫を買いました。
部屋もそうです。あまり独り暮らしで、お客様もそんなに来ないのに広い家に住んでいても掃除が大変なだけ。
ミニマリストさんほどあえて質素にすることはないけれど、自分の手が及ぶ範囲の身の丈にあった生活でいいんです。
満たされていればそれで。

③叶えたいことは人に宣言すること

さっき①で話したことにだいぶ反するかもしれませんけど、本当に叶えたいことは逆に自分を追い込んで引っ込みをつかせなくするために結構宣言している気がします。
逃げないためですよね。自分の中でだけ小さな目標設定をしていると、途中で勝手に変更できちゃうんです。年の途中で「これもう間に合わなくない?」って思った瞬間に諦めちゃう。そこで信念がある人はいいけれど逃げ癖のあるわたくしみたいな人間はいいやって変更しちゃう。
その変更が時に良い方向にはたらくこともあるとは思うんですけど、本当に叶えたいことだったら恥ずかしがらずに人に言ってしまった方が、誰かが助けてくれるかもしれないし、忘れていたり、自分が手を抜いている時に「でも、もう見守られてるんだよね」ってハッと気づかされて頑張る努力を怠らなくなると思うので、宣言しています。

【結論:夢は叶えるものだとしたら、それはもう夢じゃなくてただの未来】

色々御託を並べましたが言いたいことはこれに尽きるんです。
結局叶えるんだったらそれ先の未来であって、決定事項であって、夢じゃないじゃんって。
叶わない可能性を1%でも残していると夢って扱いになるのかもしれないけれど、絶対に叶えるっていう強い野心や野望があるなら、それ夢じゃなくて未来で良いと思うんです。
DreamじゃなくてImagine。
夢じゃなくて先の未来を想像しているだけ。
だから占い師は夢を応援するとき、空想的なかたちじゃなく、現実世界の今の延長線上にある未来に導くその近道を教えてあげることが本来の役目ではないかなと思いながら今日も鑑定をしています。

Lyra

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