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私の作品紹介

正直、こういうのは苦手だし、
なんだかハズカシイ気持ちでいっぱいになるので、
あまりやりたくは無かったのだが面倒くさい知人から、
「しっかりと発信しろ!」
と、言われたので、まとめてみた。


統合失調症から回復したある青年の記録

私の処女作。
涙を流しながら書き殴った1冊。

感情のままに、書いた1作目。

私の体験してきた「統合失調症の事実」をありのままに書いた。
同じような境遇にある方に向けて、
ほんの少しの参考になればと書いた。

正直、書いた私自身が、癒された。

これが本のチカラなのだと感じた。


実は、後日談があって。
当時、私が一番迷惑をかけた大切な母に
この1冊をプレゼントしたのだ。

母は、涙を流しながら1ページ、1ページを繰っていた。

最後には、
「大変だったね……。よかったね……」と、
……かすれた声で褒めてくれた。

本は、自らを、そして誰かを勇気づけ、癒すことができる。

それを感じた初出版だった。

この作品、実はYoutubeでプロモーション・ビデオも作ってもらった。
デザイナーさんが本書から感じたモノを
映像として作ってくれました。
キレイであり、衝撃的な作品です。
こちらも良かったら見てくださいな。


統合失調症と筋トレ。そしてサウナ。

2作目に書いたのがこの作品。

1作目を書き、そして書くことの魅力に取りつかれた私が、
1作目のリリース後、1週間で出版したのがコレ。

この病に苛まれている中で、
取り入れた習慣のうち、もっとも効果的だった2つを紹介したものだ。

少し、笑いの要素も加えつつ、執筆を行った。
正直、これらの習慣が
私の心を癒し、強くするきっかけとなったのは間違いないだろう。

本作も多くの方に手に取っていただけたことで、
「私の作品が誰かの役に立っている」と、
自信につながったのは間違いないだろう。

統合失調症が落ち着きそうなので、今度は、神様にお願いしてみた。

心の中で、書くべきか最も悩んだ1冊。
これを書いてしまうことで、私は完全にこの病から離れてしまうと悩んだ。

正直、おかしな話だ。
この病に苛まれ、そして苦しみ、人生を狂わされたとさえ思っていた。

だが、この病を手放すことを躊躇している自分がいたのだ。
矛盾のなにものでもない。
もしかしたらこういった病に罹り、寛容が近づいた人であれば、
この感情が共有できるかもしれない。

「治りたい」。でも、「手放したくない」。
その2つの感情は「どちらも本心なんだろう」と思う。
これこそが、自らの中の「わたし」が
制御できないこの病の特徴なのだろう。

この作品は前作の出版より2週間の時間を要した。
「治りたい自分」と「手放したくない自分」。
「書きたい自分」と「押し留める自分」。
そんな自分の中の葛藤と戦い、そして書いた1冊だった。


「統合失調症」だったとしても人生を変えられる件

3冊出版すると、少し自信も湧いてくるもので。

この頃になると寛容が確実になってきたようだ。
幻聴や幻覚、妄想に襲われることはほぼ無くなった。

拙書が読まれていること。そして、反応があること。
これにより私の自信はビックリするくらいに上がっていく。

次々に書きたい気持ちが湧いてくる。
書くことを学び、そしてその精度を少しずつ上げていく。

そんな中で目に留まったnoteの企画。
「note創作大賞」
はやる気持ちを抑えきれず、全力をもってエッセイ部門で投稿。

思ってもいないくらいに「スキ」をいただけたものの(約200)、
一次選考にも選ばれず、敗退。

そんなに世の中は甘くないことを知った……。

投稿した作品をKindle本として出版。
今までの作品とともにAmazon上に並ぶ。
拙書が増えていく。
なんともこそばゆい。

しかし、今回のことで感じる。
……挑戦は努力しても、あえなく終わるのだ。
ただ、挑戦し続けることをやめたくはない。


転生なんかしなくても強くてニューゲーム

これで終わるような性格だったら簡単だった。
自分の性格に一番手を焼いているのは、やはり自分。

書きたい気持ちは止められない。
暴走した私は書くことの勉強を続け、そして再度挑戦した。

やはりnoteで見たコンテスト。
「週刊マガジン 原作漫画大賞」
ストーリーものなんて書いたことが無いにも関わらず、
無謀にも挑戦する。

正直、キチ〇イの沙汰だ。
いや、ちょっと前まで心迷っていたのだから、そのとおりなのだろう。

集中して約2週間で書き上げ、アップ。
嬉しいことにこちらも約200の「スキ」を頂き、
一次審査を待った。

……だが、泣かず飛ばず。

ああ、そうですよ。
キチンと文章、ストーリーについて勉強がなされていなく、
作風も未熟。

それだけでなく、漫画にしたところで内容が地味なのだ。
これでは絶対に採用はされない。

読者や選定者の目線で作ったものではなく、
私が書きたいモノを書いていたのだ。

やはりこの世界も「求められるモノを、求められるように、適切に」。
これが求められるのだ。

この当たり前に多くの人が知っているゲンジツを改めて感じた私は、
前作と同じようにKindle本として出版。

……世界とは、このように出来ていると再度認識した……。


そして最後のメールが届く

「自分の作品紹介が出来たか?」

面倒くさい。

アイツからのメールが届く。

私は私なりのペースでやっている。
放っておいてくれ。

Kindle本だって、私が先に見つけたんだ。
いつもいつも、余計なお世話だ。
結局は、お前が私から多くを奪ったのだろう。

そんな事はお構いなしに、当然のようにアイツからの指示がくる。

私は私だ。

お前に指示はされたくない。

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