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【エッセイ】#07 仕事を頑張らないで、筆を走らせた方がマシかも。

 仕事といってもすべての人の仕事が常に忙しいとは限らない。
 自分の仕事は常に忙しいって?
 それはいいことだ。
 是非とも全力でお仕事に励んでもらいたい。多くの人は常に忙しいという訳ではなく、緩急があるはずだ。
 私は少しワーカーホリックなところがあるので、常にある程度の仕事量がないと不安に思ってしまったり、給料に対して仕事をしてないように思ったりする。

 こんな話を妻にすると「はあ? アンタばかぁ?」と某近未来ロボットアニメに登場する赤いパイロットスーツに身を包んだ、ドイツ人少女のようになじられる。
「大多数の人はできるだけ仕事をしたくない。仕事をしていたとしてもできるだけ手をぬいたり、サボったりしたいとおもっている」と妻は私を説き伏せるかのように語る。

 これを読んであなたはどちらの考えが近いだろうか?
 仕事がある程度、常にあり、一定の仕事量をこなし続ける。
 仕事はあるものの、自分で仕事量を調整し、出来るだけ仕事をしないようにする。 

 こんなことを話すのも、仕事に対しての考え方が私の中で広がり、変わりつつあるからだ。
 
 会社で仕事をする。これは会社が私に対して割り振った仕事をするということ。労働に対して賃金という給料がもらえる。たいていの場合、急にクビになることはなく、おおむね勤務年数などに応じた金額が定期で支払われる。

 一方で、フリーランスでの仕事では、自ら仕事を取ってきて、さらに仕事をこなすことで対価をいただくことになる。そのため、固定給はないので仕事がなければ収入は0になる。

 会社の場合、組織自体が大きくなるほど、仕事量に対して給料が適正に支払われるかというと、そうとはいいがたい。
 
 さらには、会社という閉鎖的社会には、2:6:2の法則が働きやすい。
 これは社会において、

「パフォーマンスが高い人」:「パフォーマンスが中程度の人」:「パフォーマンスが悪い人」=2:6:2

 の割合に帰結するというものだ。

 この法則の面白いところは、「パフォーマンスが高い人」、「パフォーマンスが悪い人」がいなくなった場合、「パフォーマンスが中程度の人」から生まれてくるというところだ。つまり社会全体として保管されるのだ。

 あなたも会社で「仕事ができない人」を見たことはないだろうか? その人が会社を退職しても、また違う「仕事ができない人」が生まれてくる。閉鎖的社会では、そんな無限ループが生まれるとされている。

 そんな閉鎖的社会でがむしゃらに仕事をしていると思うことがある。「なんで私の給料って、あの人とそんなに変わらないの? めっちゃ仕事をしているのだから、もっと差をつけてほしい」と。

 一生懸命に仕事に打ち込むことが、バカバカしく感じてしまうのだ。だったら「パフォーマンスが高い人」を目指さず、「パフォーマンスが中程度の人」であり続けることに固執し、仕事の合間に作品のネタや記事の下書きをするなどをして、自らの文章・執筆能力を上げる時間に資した方がよいのではないか。仕事が終わったら、全力で作品や記事を作成し、発表、投稿する。その方がQOL(Quality of Life)の向上につながるのではないだろうか。

 「パフォーマンスが中程度」の仕事をゆるっとこなし、スキを見て作品などのネタを積み上げ、会社からの給料をもらいながら、自らの作品などを世に出していく。そんな生き方でもいいのではないだろうか。

あなたは、どんな働き方をしていきたい?
 
あ、私は「意識高い人」を標榜しているので、仕事も執筆も常に全力投球です。

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