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MIMMIのサーガあるいは年代記 ―24―

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「お前のチンポの毛ぇ生える前から盃交わしとんねん」
                  映画アウトレイジより   

      水無月 朔日
           ―桃子への求婚者残り四人―
 
 桃子と面会するためには、人魚の涙を一升以上持ってくる難題を与えられた山本三郎ですが、児戯にも劣る偽計が無慈悲にも顕わになって尻尾を巻いてキャンキャンと退散したわけです。
ゴジラの卵」が実在すること知らないというオフィーリアたちの小さな手落ちで、この卵収集の難題を与えられた、ロシアのオリガルヒ新興財閥の息子イワン・イワノビッチ・シャマロフはとりあえずおくとして、彼以外の三人はどうしたのでしょうか。
 
 さすがに山本三郎のような幼稚なことはしませんでした。三人は、山本よりは知恵もあり狡知に長け、目も眩むような資産も知恵もありしたから、蛸薬師小路たこやくしこうじから与えられた難題をなんとか解決して桃子のもとへ押しかける可能性が高いのです。
 実は、お婆さん、筆頭秘書の天野やエリカたち三人娘の想像をこえた動きをしていました。
 
 例えば、日本古来の「隠れ簔」を要求されたアメリカ人投資家のビル・フォン・バージニアは、まず「簔」と言う物を調べることから始めました。彼に同行した通訳は「簔」が何であるか満足に説明できなかったからです。まあ、さる映画で”Force”を”理力”と訳して字幕に書くなどとしたために、字幕がほとんど役に立たず英語をそのまま聞いた方が意味が通じてしまった体験を年配者から聴いたこともありますので、同行したこの通訳を責めることもできないでしょう。
 続いて彼は、隠れ簔が日本の昔話や伝承で、鬼や天狗や妖怪変化の類いが、それを着用すると自在に姿を消すことができる簔だと知ると、怒り狂いました。蛸薬師小路家から難題を吹っかけられたのでなく、あきらかに愚弄、挑発、莫迦にされ喧嘩を売られたのだと理解したそうです。
 もはや桃子との面会の権利を獲得することだけでなく、蛸薬師小路家に一泡吹かせてやろうと猛りまくったということでした。
 
 怒り心頭のビルは、落ち着くためにとりあえず泉州沖に仮泊している自分のクルーザーまでヘリで戻り、デッキチェアで脚を伸ばしのアイリッシュウイスキーをあおりました。三杯目で少し酔いがまわると、梅雨空をうらめしそうに見上げました。噂に聞いてはいたこの国の雨期のことを思うとうんざりしていました。すると、かなたでは関空へ旅客機が、ゆっくりと進入してゆきます。
 
「船を、着陸コースの真下へ動かせ」
 彼は、船長にクルーザーを移動させるように命じました。進入コースの真下から旅客機を眺めようと、ふと気紛れをおこしただけで、取り立てるほどの意味はありませんでした。
 ……もやで灰色ににじんだ淡路島上空あたりで待機していた数機のうち一機が、大きく旋回して南から関空にゆっくりと降下してきます。この待機と接近は、低く垂れ込めた雨雲に遮られてしかとは見えなかったのですが、彼は雲の切れ間から瞥見できる機体と、爆音から想像しました。
 すると、頭上の垂れ込めた雲を突き抜けて、旅客機が現れました。最初、機体は灰色の雲に紛れて、その全容ははっきりとは分かりませんでしたが、しばらくすると両翼をたゆませるようにして白く輝く巨体が、ビルの頭上に現れたのです。エンジンの回転をしぼりながらも、下げきったフラップと主翼の揚力で重力に抗しながらゆるゆると滑走路に向かいます。通り過ぎた機体を眼で追うと、ランディングギアが節足動物の足のように伸び、危なげなほど速度を落としてゆくのです。

 彼が関空の北方上空へ視線を転じると、機体ははっきりと見えないものの、近隣のどこかの空港に着陸するのか赤と緑の翼端灯を点滅し、強力な光軸の着陸灯で前下方を照らし出した一機が目に付きました。
 彼はこの地方では、北方の陸地には高い連山があり、狭い空域に三つも空港が密集していることを思い出して、ぞっとしました。その昔、世界で一番危険な空港と言われていた香港の啓徳空港へ着陸するのは幾度経験しても心が落ち着かなった、ことも思い起こしました。もう一度眼を凝らし、北方の機体を探しましたが、見えるのは翼端灯と着陸灯ばかりでした。
 頭上の轟音に驚いて振り返ると、次の着陸機が急に雲の下に現れました。
 
 ビルはふとあることを思いつきました。「隠れ簔」のことです。『隠れ簔は間違いなく手に入れる! 現代の技術で創り出したらいいんだ! 桃子も……自分のトロフィワイフ一覧の最後に、そおして最高のトロフィが付け加えられる!』と、心の中で叫びました。
「ヘリのエンジンをまわせ! 関空で降ろせ! アメリカへ帰る!」
 彼は勢いよく立ち上がって命じましたが、ヘリは整備中で離陸できないと聞くと、デッキチェアを蹴りとばしました。
「船を関空に乗り付けろ!」と船長に命じましたが、船長がまごついていると、手に持っていたことを忘れていたウィスキーのグラスをデッキに叩きつけました。
「全速前進! フルスロット! 進路十三度!」と、船長の頭越しに船員に命じました。
 彼のクルーザーは白い航跡をたてて、午後の漁に出ていた地元の漁船群を蹴散らし目の前の関空島へ突進します。

 赤い独占資本家と揶揄されている李戦念も、大物投資家という職業柄ビル・フォン・バージニアと大して変わりません。いやまして政争、党内抗争という文字どおり生命をかけた闘争に生き残ってきたのですから、ビルより慎重、狡猾だったでしょう。彼は宿舎にしている奈良市内の国際ホテルにゆっくりと帰りつくと、最上階のスィートルームに閉じこもり、上海本社の幹部連中とWeb会議を開きました。
 
 彼に与えられた難題は、「ゴルディオンの結び目」で、解けるか切断されていないものという但書がついていました。
 彼は二千三百年以上前にアレキサンダー大王が解いたという本物の、「ゴルディオンの結び目」を探そうとする気はしょっぱなからありませんでした。「ゴルディオンの結び目」は彼も耳にしたことがありましたが、実在を疑っていました。果たしてアレキサンダーの時代まで本当にそれが残っていたかも疑わしく、大王が神聖を演出するために結び目の伝説を利用した可能性の方が高いと考えています。現に彼自身がビジネスでこれに似たパフォーマンスを多用して、権威付けやカリスマ性を創造してきたからです。

 戦念は探し出す気などはまったくなく、「ゴルディオンの結び目」を製造することだけを考えていました。本社の幹部たちと会議をしたのは、素材をどうして入手するか、絶対解けない結び目の作り方、放射性炭素年代測定を誤魔化す方法などという技術上の課題だけでしたから、実現可能と思われました。
「中国四千年の歴史からみると、二千三百年なんかしれてる。中国大陸を掘り返せば、そんな新しい遺物はいくらでも出てくるわ!」と、うそぶきました。
 彼はできあがった「ゴルディオンの結び目」をここまで届けさせようと最初考えていましたが、慎重な彼は帰国して部下たちを細部まで監督しようと考え直しました。
「今から帰国する。車をまわせ」と、階下の部下に電話で伝えると身の回りの小物を自分で揃えました。
 彼とビルが関空で鉢合わせになって騒動をひき起こすことがなかったのが、地元民と関空利用者へのささやかな慰めだったでしょう。

 このようにエロい狒々ひひジジイたちは、その財力と知識、自己のネットワークを使って、与えられた難題を解決しようと動き回っていました。
 本物を手に入れるのではなく、新たに創り出すという解決策です。これは蛸薬師小路家のお婆さんたちの目論見をこえていました。この方法は厳密に見ると、正当な手法ではないでしょうが、与えられた条件には反していなかったのです。「違反ではないが不当である」といった程度のものです。つまり、蛸薬師小路家のお婆さんやエリカたちの考えが浅かったか、ビルたちが一般人の良識とは別のところにいたのかもしれません。
 とにかく、イワンの「ゴジラの卵」と考え合わせると、蛸薬師小路側はとても分の悪い状況になっていました。しかし、彼女たちはまだこのような事実は知りません。もしオフィーリアがこの二人の画策を知ったら泡を吹いて倒れるか、アサルトライフルの弾倉を空になるまで銃弾を撃ち込んだに違いありません。
 とにかく、桃子はまたまたピーンチなのです。

 ところで三人目の、ハプスブルク家の正嫡でオーストリア帝国帝位請求権者にして欧州で手広く広告代理店を展開する実業家フランツ・ヨーゼフⅣ世・ハプスブルク=ロートリンゲンです。彼は、乙巳いっしの変(西暦六四五年)で蘇我氏宗家とともに焼失したとされる「天皇記・国記」で、それも写本でなく原典が指定されていました。
 彼も蛸薬師小路家で説明をけた際、「国記・天皇記」が何なのか理解できませんでした。ビルの通訳と同様にそれが何なのか事前の知識がまったくなかったからです。
 彼が五百坪の畑を借りて築いたバンガロー群に戻ると、オーストリア帝政復興主義者の面々が集まってきて、我がちに質問を投げかけます。彼(女)たちにも「国記・天皇記」の知識は皆無です。
 しかたなしに彼は、仕事上の付き合いがあるこの国の大企業や広告代理店に協力の要請をしました(これが発端となって国中に、「桃子が求婚者に与えた五つの難題」という情報が広まってしまいます)。そうしてようやく「国記・天皇記」の正体を知るとともに絶望しました。千四百年程前の紙に書いた文書が残っている訳がないのです。古事記だって写本の写本みたいな形でしか残っていないのですから。
 仮に六四五年に焼け残ったとしても紙素材がこの高温高湿の風土で特別な管理もされずに千年以上も保存できるわけがない、もし焼け残ったのならとっくの昔に写本がつくられ何らかの形でその断片ぐらいは伝世している、そもそも存在していたものなどか、などとフランツはこの国の取引相手から散々に聞かされました。
 彼のバンガローに集まった支持者たちも重く押し黙り、彼自身も沈痛な表情で頭を抱えてしまいました。天皇記・国記を探し出して桃子と面会し、ひいては結婚するという希望は、この歴史書を探しに行く前に頓挫してしまったのですから。

「キリストの聖杯やロンギヌスの槍の方が、まだ可能性があった。李戦念の「ゴルディオンの結び目」やビルの「隠れ簔」の方が手に入る可能性が高い。どうみてもこれは皇帝陛下(フランツのこと)にとって不公平だ。この国の歴史にも風土にも陛下は不案内ではないですか。異議を申し立てましょう。もっと公平な取り扱いを、と」ある女性支持者が力なく訴えまますが、彼女自身無駄だと自覚しているような口調でした。
 彼女が続けて何かを説明しようと話しているうちに、スマホの着信がありました。フランツが画面を見ると、日本最大規模の広告代理店の重役からでした。
「お問い合わせの件ですが、日本語版のWikipediaの該当箇所をご覧なさい。何か解決策が浮かぶかもしれませんよ」とだけの、思わせぶりな連絡でした。

 彼はこの重役の指示どおり通訳にパソコンから日本語版のWikipediaを立ち上げさせ、日本語をドイツ語に訳させす。そうして備考欄に明日香村の甘樫丘で蘇我入鹿の邸宅跡らしきものが発見されているという記事に飛びつきました。しかも続けて、今後の発掘によっては「天皇記・国記」の発見が皆無ではないような書き方がしてあったので、希望の細い糸を繋ぎました。
 記事の翻訳を聞き終えると、フランツは支持者の中に混じっている某大学考古学教授と中東史助教にむかって、問いたわしげに、あるいは哀願するような眼差しをむけました。 しかし、二人の専門家は弱々しく首を振り、あるいは肩をすくめるだけです。
 
 フランツは先ほど電話をかけてきた重役を呼び出しました。
「可能性はどれくらいあるのか? 我々が発掘したらいいのか?」
「なんとも言えません。それから発掘はおやめなさい。あの一帯はいろいろと規制が厳しいところですから、犯罪になるかもしれません」とだけ言って、重役は通話を切ってしまいました。
 フランツはしばらく考え込み、支持者たちに宣言しました。
「発掘をしよう! 僅かだが可能性に賭けようぞ。コルシカ島生まれのあの土豪の息子すら、絶え間なく不可能に挑戦したのだから、この俺にできないはずがない!」
 支持者たちの反応はありませんでしたが、ある一人が「我らの皇帝、フランツ・ヨーゼフⅣ世に栄光あれ!」と叫びました。
 すると、他の者も彼にひきずられて一斉に唱和しました。
「偉大なるハプスブルク家のオーストリア帝国は永久に栄光あれ! 軍勢の先頭を翔かけるは稲妻か、疾風か? いやあれはハプスブルク=ロートリンゲン家の御曹司のお姿。神よ! とくと照覧あれ!」
 
 支持者の考古学者が中心になり、学術的な発掘に必要な道具を、測量具、ロープ、カメラ、スコップ、刷毛、ヘラなどから始まる雑多な物を手分けしてこの地域で一番大きい「コーナン」で買いそろえる分担を支持者に割り当て、発掘をする手順等の簡易マニュアルを作成しました。
 翌朝、彼ら一団は「偉大なるハプスブルク家……神よ! とくと照覧あれ!」と高らかに歌いながら、意気軒昂と明日香村へ向かいましたとさ。

 雑多な観光客に慣れている明日香村の住人たちも、マイクロバスやキャンピングカーを連ね、土木用重機やスコップを持ったコーカサイドの一団には目を見張り、さまざまに噂を交わしました。ですが、彼(女)らが何をしようと企んでいるか予め知っていれば、きっと怒髪天を衝いたことでしょう。

  (つづきますよ)

ゴルディアスの結び目を断ち切るアレクサンドロス大王」作:Jean-Simon Berthélemy (1743–1811)
これが簔です


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