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MIMMIのサーガあるいは年代記 ―34―

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     第 三 章

      血まみれの桃子(7)
       俘  虜!

 一足早く工場跡へ戻ったエリカやゴンザレスたちが、盛んに援護射撃をしてくれます。時折、M320で擲弾てきだんを撃ち込みますが、いずれも桃子たちと反対側の丘陵に集中しています。相打ちを避けるためですが、敵はそれに気づかず工場跡へむけて反撃しています。

 ですがたどり着く前に、オフィーリアが前屈みに倒れ込みました。流れ弾です。敵か味方のものかわかりません。
「クソっ!」と悪態をついてから、桃子は俘虜に、再び優しく優しく言いました。但し日本語で。ロシア語を使う余裕もすでになくなっていたからです。

「彼女を運ぶのよ。優しく」と、身振りを交えて。大型ナイフの切っ先を喉に当て、それから後ろ手の縛めを切り放ちます。
 男は、足を地面にぬい付けられ、そのあと急所のあちこちを二人に痛打されたものの、なんとかオフィーリアを肩に担ぎ、脚を引きずり体を折り曲げて、緩い坂を進みます。

「こっちを撃たないで。桃子とオフィーリアよ。捕虜が一人いる。撃たないで!」
 煙幕と豪雨のあいだに桃子らの姿を視認するまで、工場から射撃が中断し、その後で威嚇射撃が盛んになりました。

「お嬢さま。ケガはありませんか?」「大丈夫ですか」などとナナミンとエリカが走りよります。
「オフィーリアをその物陰に」と、ゴンザレス。
「作戦から外れて独りで深入りしてしまったら、指揮官失格ですよ。どれほど心配したことか」ホセがなじりました。
 彼の言葉の中に指揮官という単語が含まれていて、桃子は心の中でほそく笑みました。彼が指揮官と認めたからです。彼女はこんな危急の時でも、意外なことをいつも考えていました。
 
「大丈夫じゃなーい。こいつに散々やられた」と地面に座り込みました。
 ナナミンが捕虜に這いより、銃床で思いきり腹を殴りつけ、ナイフで刺された足を踏みつけました。
「足の止血をしてやって。こいつの足を地面に縫い付け、金玉に頭突きを喰らわし、顎をくだいて、そのあとオフィーリアが散々やったから、それぐらいにしてやって」と笑いました。
 
「みんな大丈夫? ガルシアは生きてる? 味方の被害は?」
「ありがとうございます。闘えます。お嬢さま! いや指揮官!」と、ガルシアが言い直しました、
「全員無事です。軽傷ばかりです」と、ゴンザレスが答えました。
「ということは、敵の被害もほとんどない、っていうことね」と、桃子は首を振りました。 思いつきの白兵突撃が失敗したことを覚りますが、口にしません。
 
 外で散発的に爆発音が響きました。
「あれは何! 新しい総攻撃?」
「ブービー・トラップに引っかかった音ですよ。進撃が鈍ります。フェイクの仕掛けもしたから、疑心暗鬼になってるでしょう」と、ゴンザレスが報告します。
「ゴンザレス! 自慢を悠長にするんじゃない! スナイパーライフルはないの?」と、キャットウォークへ戻ったナナミンが叫びました。
「無い! だけど古いM14があっただろう。スコープ付きだ。7.7㎜元NATO弾が三十発だけ」
「それで十分よ。早く寄越して」と、ナナミンが言い返しました。
 
 雨も少し小降りになり、煙幕も薄らいできました。敵もいよいよ総攻撃を再開するでしょう。
「エリカ! 南のドアから西側面に回って! 側方を警戒して」と、桃子は扉を指さしました。
「ホセは東側を警戒して! 崖下からの攻撃があるかも知れないから注意して」と、命じました。
「ナナミンは、指揮官を確実に倒して!」
 
「オフィーリア。大丈夫? 生きてる?」
「お嬢さま。これくらいでは死にませんよ。セラミック・プレートで背中の弾は止まってます。ご心配なく。オフィーリアはもう大丈夫です。”地獄の妖精オフィーリア”に立ち戻りましたから」と、桃子の知らない二つ名を告げました。
 彼女は遮蔽物に背をあずけて銃を取り上げて、残弾を確かめると言いました。「それより、お嬢さま。もう無茶はしないでくださいね」
 実際は、オフィーリアはほかの負傷を隠していました。腕と肩、右足に擦過射創。左のふくらはぎに貫通銃創です。背中の被弾もボディーアーマーでとめられたものの、衝撃で肋骨数本にヒビがはいっていて、その激痛に堪えているのでした。

 桃子は安堵の溜息をもらすと、捕虜ににじり寄りました。
「この男たちは、メキシコの麻薬カルテル『ロス・セタス』戦闘部隊の元メンバー。メキシコの麻薬戦争を知ってるでしょう。その中でも一番残忍で、凶悪な連中よ。善良な住民も躊躇ためらい無く殺し、敵対するカルテルのメンバーの生首を何十と道に並べるの。殺す前に何日もかけて楽しみながら拷問をしてね。彼らの拷問にかかったら誰でも口を割るの。一度試してみる?」
「あなたは勇敢で誇り高き兵士よね。ありふれた尋問や拷問に立派に堪えるでしょう、でも、……このメキシコ人にかかったら、……わたしはそんな酷いものは見たくないわ」
 
 彼女は捕虜の耳元に口をよせ、何事か囁きました。
 
 もちろんたどたどしいながら、すべてロシア語です。
「だからわたしの聞くことに答えて。嘘やごまかしはなしでね」
「何が知りたい?」捕虜は嗄れた声で問いました。
「すべてよ。あなたの国籍、名前、所属、任務、誰が命じたか。仲間の人数、武器、作戦、部隊ごとの人数。指揮官の経歴と性格。部隊配置……わたしたちのことをどこまで知ってるとか……一切合切」
 
 彼はしばらく考え込んだあと「わかった」と言いました。
 捕虜はペラペラと喋りだしまし、桃子が手短にとか、要点だけとか言って中断させなくてはならないありさまでした。桃子の知らない単語、専門用語、方言が多くありましたが、大略は理解しました。
「取りあえず、それくらいでいいわ。その陰でジッとしてなさい」と言って、後ろ手の縛めを廃材にくくりつけました。
 
 ロドリゴの銃を拾い上げて、ゴンザレスの傍らによります。
「なんとかなりそう。あれが全兵力よ。たった五十三名だけ。重火器は古いRPG-28一基以外なし。ただしよ。ただし、全員がロシア元国家親衛隊スペツナズ出身の傭兵。手強いわよ。それに素晴らしいことに、ランクルは完全防弾防爆仕様よ」
 彼女は見えてきた敵のランクルに向かって、三点バーストで5,56㎜弾を撃ち込みました。もちろん止めることはできません。
 
「ヒロコーは何をしてるの? ロドリゴはまだ意識が戻らないし……。役立たずばっか」言い終わると、全身がうっすらと垣間見られる敵兵に、三点バーストを放ちました。敵は倒れましたが、ボディーアーマーに命中したようで、のろのろと立ち上がる始末です。
「ヒロコーが屋敷にたどり着いたてら、もう援軍が来るはずなのに」
「期待しないほうが良いですよ。しかたありません。……まだ三、四人しか確実に倒していません。負傷は十人ぐらいでしょうか。戦場の霧ってこういうものですよ」
 ゴンザレスは日光浴をしているような長閑な口調で、射撃の合間に応じます。彼は、ここで死ぬ覚悟を既に決めていたのです。

 (つづけます)

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