MIMMIのサーガあるいは年代記 ―23―
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「しょうもない」の語源
「分析結果を公表します。あれは人魚の涙ではありません。ただの海水でした。分析はNIT(西淀川・摂津工科大学)」
一切の曖昧さを残さぬ態度で、オフィーリアは断言し、立ち去ろうとします。山本を歯牙にもかけないことを示したのです。
「嘘だろう! NITは蛸薬師小路家が実質的に所有する大学だ! 不公平だ。それより、お前たちは人魚の涙の成分を知っているのか? 人魚は海水の中に住んでいるんだ。それは知ってるはずだ。浸透圧の関係で涙が海水と似て当たり前のことだ! あれは本物だ! すぐに桃子さんに合わせろ」山本は、大声で抗議します。ある意味もっともなところもありますね。
オフィーリアはうんざりとした表情をつくり、演台上のノートパソコンを起動して、NITからのメールを開きました。分析結果が背後の大型ディスプレーに表示されます。
「このとおり明らかです。塩分濃度は一般的な海水と同じですが、石油由来の油がいくらか含まれていました。それに、家庭排水由来とほぼ推定される石鹸、香料、皮脂も検出しています。こんな涙を流す生物がいますか? この分析結果には表れていませんが、分析した人のコメントとして、総合的にみてこの海水は含有成分から西ヨーロッパの港湾部で採取されたものと考え得る、とのことでしす。あなたはどこで人魚の涙を手に入れたのですか?」「人魚はアムステルダムにしかいないじゃないか」
大会議室にいる他の者たちが口をあんぐりあけました。
「あなたの先ほどの抗議には一々反論しませんが、二つだけ疑問を述べます。人魚の棲息地をアムステルダムと、どうして断定したのですか。人魚伝説や目撃証言は世界中にごまんとありますよ。二つ目は、2リットルもの涙を短期間で集めることができたのですか。人間の涙でも一度に流すのは十数ミリリットルくらいではないでしょうか?」
「だってあそこには人魚の像があるし……。涙も三千人分を一度に集めたんだから。本物の人魚の涙なんだよ……桃子さんに会わせてくれ」
「まるでお話になりませんね」
「それは人魚の涙が海の水に似ていることと、人魚の涙の成分を知っているのか、という質問の答にはなってない。僕は絶対にここを動か……」
彼は言葉の最後で思わず口ごもってしまいました。彼には獰猛な顔つきに見えるエリカとナナミンが眼にはいり、鉄鞭と棒手裏剣を思い出したからです。
「こんな子供だましのイカサマをするとは。正直に認めれば穏便に終わったのに……」と彼女が独りごちて、袖口の通信マイクを使ってヒロコーを呼び寄せました。
外で待っていたヒロコーが大容量メモリースティックを手渡すと、手元のノートパソコンに挿入して動画を起動させました。彼がピープル誌のビデカメラから抜き取ったものです。
「確かにアムステルダムまで行ったことは認めます。少し早送りします」
彼女の背後には、機内で機嫌良く政治を語る山本。オランダの観光地で浴びるほど酒を飲んで乱痴気騒ぎをする様子が映し出されます。
「ここです。ほぼ終わりの部分」
画面には、千鳥足で人魚の像の近くへ行き、苦労して魔法瓶二本に海水を入れている山本が映っていました。彼は岸壁まで這い上がると、人魚像の横で魔法瓶を掲げ、次にVサインをしています。彼はさまざまな髪の色の若い女性の群れに囲まれて、乱痴気騒ぎ状態でした。誰もが泥酔状態です。彼がガッツポーズをすると、女性たちから祝福のキスを受けています。
「いまさら説明する必要はありませんよね。国会開催中に欠席と海外渡航の届出もなく、しかも公費で、こんな破廉恥をして……。どうしてピープル誌はこんな取材をしたか不思議でならない」彼女が抑揚のない口調で告げました。
「早く出て行って。それと、これからは桃子お嬢さまの半径60㎞以内に立ち入ったらただではすみませんよ」オフィーリアが警告しました。
山本は脂汗を流して立ちすくみ、どう言いつくろうかと混乱していましたが、ヒロコーの巨体が近づき、壁にもたれかかって立っていたエリカとナナミンが自分に向き直るの見て、出口へ駆け出しました。
オフィーリアが大きく溜息をつき、両手を演台の縁について、たった今重労働をやっと終えた人のように体を支えました。
「上出来だったわよ。でも判定勝ちってところかしら」と、エリカが讃辞とも批判ともつかぬことを言いました。
「あいつの莫迦さ加減に助けられたところもあるわね。だけどあとの四人は手強いわよ」ナナミンも辛辣な批評を口にしました。
オフィーリアは二人のコメントに弱々しく頷くばかりでした。残りの四人は、山本よりずっと手強いことは言うまでもないことですが、そのうちの一人に致命的な失敗をしていたことを最近気づいて、密かに悩んでいました。
その失敗とは、ロシアの巨大オリガルヒ(新興財閥)の息子イワン・イワノビッチ・シャマロフに割り当てた難題、「ゴジラの卵」(但し、生のもの)が実在することを今日知ったのです。それはある地方の大きなスイカの登録商標です。今朝、ネットで検索して初めて知ったのですが、気づくのが遅すぎました。課題の公表まえなら、「(但し、生もの)」という但書をもっと違うものにした筈です。
イワンが意気揚々とこの巨きなスイカを持ち込んできたとしたら拒否できるでしょうか? 架空の怪獣の卵と、指定しなかったのですから。気休めは今はスイカ栽培の最盛期でないことですが、温室栽培をしていたり、万が一昨年の在庫が残っていたらどうしよもありません。熟していない巨なスイカでも条件を満たすでしょう。
ほんの十日程前にその場の勢いだけで、難題の品目を決めてしまったことを恨んでました。自分だけの責任ではないものの、イワンに桃子へのルートを拓くことになってしまうのです。
予め検索をしていればほんの二分もあれば分かる、軽率な失敗でした。
彼女は、もしイワンが桃子と面会するようなことになれば、エリカ愛用のキアッパ・アームズ社製キアッパ・トリプルスレット中折式三連散弾銃で、その「ゴジラの卵」を微塵に吹き飛ばし、イワンの頭もスイカのように砕き、最後の一発で自分の頭を吹き飛ばす終局を想起しないでもありませんでした。
それが桃子への責任の取り方だと思っていました。恋い焦がれる桃子をイワンなどに会わせることはできない、と。二度目の恋ならもっと上手になってもよかったのに、と残念でたまりませんでした。
ともあれ、若手政治家の山本は人魚の涙を集められずオランダの海水でごまかすという卑劣なことをして、出入り禁止どころか桃子に近づけなくなりました。また、彼が海水を汲む場面や乱痴気騒ぎをする場面がどこから洩れたのか、ネット空間で拡散されましたから、評判は地の底を這い回ることになりました。
ちまたの人々は、彼が人魚の涙を一升も集められず誤魔化したことから、「一升もない」が転じて「しょうもない」ないし「しょむない」という言葉ができあがったということです。また彼が後年、無任所大臣に任命された際には、口さがない京雀たちは「しょむないの大臣」と呼んだそうです。
まことに、しょうもないオチですね。
ところで、このサガもしくは年代記の主人公である桃子ことMIMMIの動静はどうなっているのでしょうか。
青史、公的刊行物などによると、五人の求婚者の記録はたくさんあるのですが、彼女の記録はこの時期まったく残っていません。ただ、「五州古雑記」という稗史の類いには誌されていますが、専門家の間では甲論乙駁の状態で真偽不明としかいいようがありません。ちなみに「五州古雑記」における五州とは、山城、摂津、河内、大和、和泉の五州のことのようです。
この書物によると、桃子は外部からのあらゆる電子情報からフィルターで遮断されて、求婚者たちのことは知らずにいたそうです。むしろイメージ戦略の第二段階作戦を計画するのにワクワクとしていて、この作戦では、学識者、各種学会を標的に据え、彼女は量子力学を必死で独習していたとのことです。早熟の天才少女と言われる彼女にとっても、膨大な近年の論文を読み漁るのは一苦労で、ほぼそれに没頭していたと記録されているようです。
(つづきますよ)