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かの海も まだ見ぬ海も ❖ 晶子忌

今回は、歌人・与謝野晶子についてのちょっとしたエッセイです。
最後までおつきあい下さるとうれしいです。

序・海恋し


     海恋し潮の遠鳴りかぞへては少女となりし父母の家 
 
                  「恋衣」 与謝野晶子  


近代日本を代表する歌人・与謝野晶子。
歌集「恋衣」は、彼女が26歳の時に刊行されました。

22歳で与謝野鉄幹と結婚した彼女ですが、
それは鉄幹の先妻から彼を奪ってなされたこと。
いわば実家も故郷も捨てての駆け落ちでした。
失ったものを遠くより懐かしくも哀しくも思う、
そんな彼女の胸中がこの短歌からうかがえます。

情熱的・奔放・愛に生きた人。彼女を称える言葉は、
「女性の愛と官能を高らかに謳い上げた近代的自由人」
と言ったところでしょう。


二・俳句の中の晶子、随筆の中の晶子


与謝野晶子の命日は、5月29日。
「晶子忌」と呼ばれるその忌日は、俳句の季題にもなっています。


     晶子忌や両手にあます松ぼくり   永島靖子

     木洩日のつぶらを踏みて晶子の忌   片山由美子


上掲の二句は、晶子の過剰な愛、豪胆な性質を
汲み取っているのでしょうか。
彼女のことが知りたくなり、晶子自らが書いた随筆を読みました。


意外なことに、幼い頃の晶子は人見知りをする大人しい子だったとか。
嫌なことも中々嫌とは言えない気質です。
大人になってから知り合った他家の少女たちに
濃やかな愛情をよせている様子も描かれていました。

彼女の愛は、男女の恋愛にだけ向けられたものではなく
広くて深い慈しみの愛だったようです。


三・与謝野晶子とは、どのような存在なのか

ぼくの勉強不足もあるのですが、晶子の代表作と言えば
「みだれ髪」「恋衣」といった青春時代に集中している感が否めません。
後年の晶子の歌をいくつか詠み上げてみましょう。


   劫初よりつくりいとなむ殿堂にわれも黄金の釘一つ打つ  
                      「草の夢」大正11年

   御空よりなかばはつづく明かきみち半ばはくらき流星のみち 
                     「流星の道」大正13年

   いさり男も恋に痩せよと作りけん諏訪の入江の細長き船  
                      「瑠璃光」大正14年


いずれも晶子40代、夫の鉄幹が大正10年に亡くなった後の作です。
後年の晶子は、若い頃の自作を「嘘の時代」と評します。
「みだれ髪」で世間の耳目を集めた奔放さは、なりを潜めました。
内省的な歌が多くなりますが、浪漫的な情緒はいくつかの歌に健在です。
浪漫。
それはまだ見ぬもの、遠くのものからの声が聴こえる、
ある種の人々がもつクオリアです。

近くのものへ注ぐ深い情愛。
遠くのものへ憧れずにはいられないこころ。
両者へのまなざしが与謝野晶子の人となり、ひいては人生を支えていた。
そう感じた次第です。

最後に彼女の遺作となった「白桜集」から一首を紹介します。
彼女のまなざしを感じていただけますでしょうか。


  いづくへか帰る日近きここちしてこの世のもののなつかしきころ   
                           「白桜集」


「おまけ」

お目汚しです。ご笑覧下さい。


    まなうらに金波幾万晶子の忌       梨鱗


    歩むなりをちの野薔薇の耀きへ     同




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