
阪神・淡路大震災から30年を迎えようとしています
みなさま、こんにちは。
1月1日の余韻が冷め切らない中ですが、1月17日は阪神・淡路大震災が起きた日です。今年の1月17日で発生から30年となります。30年も経つとその災害の記憶や経験者が徐々に減り、知らない世代も増えてきます。今日から数回は阪神・淡路大震災について触れていきたいと思っています。
阪神・淡路大震災が起きた1995年はどんな時代だったのか
1995年は、1月に阪神・淡路大震災が起き、3月に地下鉄サリン事件が起きました。11月にはWindows95が発売されています。スマートフォンはおろか、まだパソコンすら普及していない時代でした。携帯電話(ガラケー)の普及率が翌年の1996年にようやく10%に達するという状態です。(参考情報:https://www.tca.or.jp/database/index_archive.html)。言わずもがな、インターネットについてもまだ多くの人が触れたこともないという時代でした。
ゆえに災害の情報や被害状況などは、ニュースサイトやSNSなどで知ることはできず、報道機関の情報からのみ把握できるという状態でした。

阪神・淡路大震災という災害について
兵庫県南部を震源地とする地震で、6,434名の方が亡くなりました。複数の都県で犠牲者を出した東日本大震災(死者1万5900人)を別にすれば、熊本地震は274名、昨年の能登半島地震は400人超でしたので、その多さがわかります。
死因の77%は窒息・圧死と言われています。
最大震度は7。これは福井地震を契機として新設された「震度7」が適用された初めての事例です。発生したのは朝の5時46分発生。まだ多くの人が起きる前の時間で多くの人が家にいたため、建物倒壊による犠牲者が多く出ることとなり、上記死因の話につながります。9月1日が防災の日となるきっかけになった関東大震災は、昼食時である11時58分に発生したので台所を利用している人が多く火災被害が甚大でした。阪神・淡路大震災では火災の影響は限定的でしたが、第二次世界大戦後に発生した地震災害としては、東日本大震災が発生するまでは最大・最悪のものでした。近代都市での災害として日本国内のみならず、世界中に衝撃を与えた災害が阪神・淡路大震災でした。
また、都市での地震災害ということで建造物の被害が多数ありました、



このほかにもポートアイランドは液状化の被害に見舞われるなどしました。このような被害が、テレビ、新聞、ラジオでしか知ることができなかったのが阪神・淡路大震災という災害でした。(次回に続く)