はんぶんこ@埼玉へ、きみトリ寄贈訪問
『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』を持って、「素敵だな」「ここに置いてほしいな」という場所をめぐっています。
著者のひとり、ライチです。
Twitterで はんぶんこ@私設図書館・文庫 さんを見つけたのはいつだったか。ご自宅の一角で始められた、誰かのセレクトした「一番の本」を並べる私設図書館。ブックカードで、読んだ人たちのあしあとを感じられる図書館。
素敵だな~。『きみトリ』を持っていつか訪問するぞ!と
思っていたもののコロナ禍がなかなか収まるめどがみえず、はんぶんこさんも月に1度、予約制での開催のようだったので、直接問合せをしました。
TwitterのDMとメールのやりとりののちに訪問日を予約し、たまたまその日の予約が私だけだったので貸し切り状態での訪問がかないました。
出していただいたカフェラテが「ほんもの」でびっくり、主宰の雪竹ますみさんは、図書館司書であり、バリスタでもあるということです。カフェラテと米粉のクッキーでおもてなしいただきました・・・・なんだかふわふわと居心地がよくて、貯金箱カンパもせずに帰ってきてしまった>< また行きますので次は必ず。
ますみさんは、このほかにウクレレを弾くとか、歌も歌うとか、ダンスや舞台の親子鑑賞など、かなりアクティブでクリエイティブ(貧困な語彙で恐縮です)な方ということもお話で伝わってきました。
そして何より、人とのつながり力、好奇心、愛、がたっぷりとそこに満ちている居心地のよさ。
はんぶんこのこだわりは、寄贈した人、借りた人の履歴を記す、このカード。いまは公共図書館はほぼバーコードをピッとするから誰が何を読んだかはわからないですよね?個人情報として、護られているはず。でも私が学生時代は手書きの図書カード「以外」はありませんでした。(あれ、でもいつぐらいまであったのだろう)
ますみさんは小学生時代、少女漫画雑誌・りぼんで連載されていた漫画『耳をすませば』(のちにジブリでアニメ化)で、図書カードで人が出会うという可能性に強いインパクトを受けたそうです。
そういえば、私も小中学生のころに読んだ小説か漫画で、好きな人の図書カードの履歴を追いかけて本を読む少女が出てきた記憶がある・・・・
ますみさんは、中学生のころから司書を目指していたそうです。「いっそ図書館に住みたい」とまで思っていた少女が、いまや住んでいる家の一角から図書館化(1角から増える見込み)するという夢の叶え方。わくわくします。こういうお話が私は大好き。
大学で専門的に司書の勉強をしたますみさん。にもかかわらず、司書としての就職は厳しく(制度!)、いくつかの職を経て、結婚、子育て、とライフステージが変わる中で数年前、地元の学校司書の職に出会ったそうです。ようやく司書職になり現在に至るときいて、人は何か迂回するようなことがあっても、いずれ本来やりたいところへと流れ着く、そんな希望を感じました。
ご自宅の一角を私設図書館にしているという情報をHPで読んだときに、勝手に、玄関わきの応接間とか、倉庫的な1室とかを想像していました。
でも実際はんぶんこの蔵書は、なんとご家庭の一等地、天井が高く明るいリビングの窓際にありました。普段の生活時には幕をかけられていて、開館時のみ、蔵書がおもてに出ているそうです。
蔵書が収められているのは、脚立をイメージしたという木製の本棚。ますみさんのリクエストにこたえてパートナーが手作りされたそうです。なめらかにやすりがかけられ、応援と愛を感じます。並んだ本は「手にとってみて~」と、抱っこをせがむ子どものように語りかけてくる印象でした。
1人1冊、自分が思い入れのある一番の特別の1冊を寄贈するということは、いきなり200冊とかがぎっしり並ぶわけではなく、ほんとうに、1冊1冊が時間をかけてそれぞれの手で収められていく。そして、それがこの吹き抜けの窓際の、ユニークな本棚に並んでいるのだなあと、とにかくココロがきゅ~っと反応しどおしでした。
20年後とかには、いったい何冊になってるんだろう?という明るい想像の窓が開かれたような、そんな気持ち。未来へ続く脚立型の本棚。
ますみさんのポリシー「本はすべての道につながる」という言葉が、脚立の先にみえる気がします。
私の好きなあの本も寄贈されていました。これがあるのにあれはないのか、でも、1人1冊だしな・・・などいろいろな考えが頭を駆け巡りました。
私自身も、『きみトリ』がなければ、あれかな、、、という本も浮かびます。でも、今回、やはり、自分自身の人生をかけていま、ここに置いてほしい1冊は『きみトリ』です。
そして、特別な1冊が並び、増えていくこの本棚で、『きみトリ』をどなたかにお手にとってもらえたらとても嬉しいです。