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Lycaons ができるまで~第一章~
久々のこのタイトルに「お!」となって見に来て頂いた皆様、ありがとうございます!
私代表スガワラ、記事&動画でチーム内で平均ビュー数最下位なので、読んで頂けるだけでめちゃくちゃ嬉しいです(泣)
前々回の春日ちーたんの記事
の中で、このシリーズの続きを早く書けという煽りがあったので書く機会を伺っていたんですが、ちょうど都合の良い理由が出来まして…。
撮影して持ち帰ってきた動画に音声が入ってない😨😨😨
![](https://assets.st-note.com/img/1685688398613-DCS9GFgyPS.png?width=1200)
撮り直す余裕もなく、まぁ出来なくはないんですが、、、ちょうどいいから今回は続編書いてみようとなった次第でございます(汗)
ちなみにちょうど昨日桃澤氏とTwitterスペースをしたんですが、彼がこういう記事とかを全然読んでなくてスガワラという人間を全然知らなかったようで…。
それはもうとても悲しいことなので、まずはチームメンバーにスガワラの歴史とそこから繋がるリカオンズストーリーを知ってもらえるよう、とことん書きまくってみたいと思います(笑)
ちなみのちなみに、ヘッダー画像は今後のシリーズを通して、これまでに上がった原案や没データなんかを使って行きたいと思ってるんですが、今回はDevelopさんに持ち込んだ私なりのユニフォームのイメージ原案の1つです。
こういう候補をいくつかお見せした中からDevelopの岡さんが今のデザインを作って下さいました!
デザインは難しいっす(汗)
ニートからフリーターへ
帰省後待っていたもの
前回、暗黒の大学時代まででひと段落しましたが、今回は大学卒業後からスタートです(笑)
前回記事はこちら
卒業が決まった夏、とりあえずもう実家に引き上げようということで、8月に当時の住まい(東所沢)から秋田へ引っ越しました。
当然その時点で就職活動なんかも出来る状態ではなく、とりあえず毎日うつによる重力との戦いで、布団から起き上がることが出来るかどうか、みたいな生活をしていましたので…。
私は俗に言ううつ病(大うつ病性障害)でしたが、症状の出方は本当に千差万別で、私の場合は身体症状が物凄く強く出ていました。
とにかく重力に抗って生きているのが何よりも辛い、みたいな。
そんなこんなで秋田へ帰ってすぐ、終戦記念日に5年付き合った彼女にフラれました(笑)
自死とも隣り合わせだった日々をずっと支え続けてくれた元カノは本当に命の恩人ですし、その恩は一生忘れません。
元カノにとっての戦争は、やっと2009年8月15日に終戦しました。
![](https://assets.st-note.com/img/1685688630554-xbtChwzVlT.jpg?width=1200)
ニートの日々
ニートって、しんどいんですよ。
特に私の場合、うつニートだったので余計だったと思いますが。
毎日毎日することがなくて、だからと言って就活も勉強も読書もしたくない。
その期間にたくさん勉強できてたらきっともっと何か違ったんだろうなぁとか、そこで少しでも経済的余力が作れたら人生もっと違ったんだろうなぁとか、色々考えますよね。
でも、出来なかった。
あれは仕方なかったと思います。
生きてるだけで精いっぱいだたし、そんな状態だからこそ死ぬための行動を起こすほどのエネルギーすらないわけですよ。
だから案外、うつのどん底にいるような状態だと自死率は少し低いとか何とか言いますよね。
そんな期間が2009年8月~2010年6月くらいまで続きました。
寝ても寝ても日付が変わらない日々。
ちょっとだけアニメ見て、でもそれで潰れる時間なんてたかが知れてて、考え事をすると死にたくなるから酒を飲み、、、
最低最悪な日々ですよね。
そんな日々を過ごすためにお酒が必要だったし、一応病院通いも続けてたので、お金は無くなって行きました。
借金しまくりでした。
いい加減ヤバイと思って春くらいからハローワークに通い始め、仕事は案外すぐに見つかりました…。
が、、、
営業に適正が無い男
6月、何やらあんまりロクな面接も無いまま、歯科材料の営業をする仕事に就きました。
まだまだうつの影響下にあり、正直本調子ではなかったものの、仕事をしなきゃという方が優先だったので、とりあえず就職しました。
(中略)
8月、試用期間を以て解雇。
理由は「営業に適正が無い」というものでした(笑)
なんでもその会社は即戦力を求めていたということで、個人年商1億とかそういうレベルの営業戦力が求められていたようですが、ムリっすわ(笑)
いくつかのバイト経験がある程度のニート上がりの人間がいきなりそんな営業出来るか~!
そしてまたニートへ戻るわけですが、それから1ヶ月後、私はフリーターへ昇格いたしました。
外伝Ⅰ:ニートの運動
引きこもりニート時代の唯一の運動は、小学校6年生から家族として過ごした愛犬クッキー(ラブラドールレトリバー)の散歩だけでした。
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朝は外が明るいので出かけたくなかったのであまり行けませんでしたが、夜、クッキーさんと星空を見ながら歩いたその景色もまた、一生忘れないでしょう。
私が帰京してすぐに体調を崩して13歳で亡くなったクッキーさんですが、今でも本当に感謝しています。
![](https://assets.st-note.com/img/1685689033259-r5ekY2YI0n.jpg)
私の人生には常にワンコがそばにいて欲しいと思えるくらい、亡くした悲しみ以上のものを与えてくれた存在でした。
だから私はチームの愛称に絶対イヌ科の動物を取り入れたくて、その中でも特にチームワークに優れた「リカオン」の名前を頂きました。
そのへんのお話はまたずっと後ほど。。。
外伝Ⅱ:ニートの日々で、実は
就職する前の少しの間、実は私、ちょっとだけスポーツ関係の事業のお手伝いをしていたことがあります。
今はBリーグでバリバリ盛り上がっている「秋田ノーザンハピネッツ」
が生まれる前、まだ水野社長ともう1人の方が準備事務局として「秋田プロバスケットボールチームを作る会」という活動を始めて1年程度の頃(確か)、私も社長らにくっついてインターンとしてお手伝いをさせて頂いていた期間がありました。
それがまさか今自分自身が、規模は違えどLycaonsというチームを立ち上げるなんて、この頃は夢にも思っていませんでした。
ただ確かにこの経験も原体験のひとつにもなっており、だからこそ目指すイメージとしては「Bリーグの熱量」が頭の中にずっとあり続けるんだと思います。
水野社長、覚えててくれてるかな…?
この活動に関してもうつの身体症状が辛過ぎて結局フェードアウトしてしまうことになりうしろめたさしかないんですが、いつか近いうちに当たって砕けろで連絡してみたいと思います。
今だからこそ水野社長から色んなことを学びたい…。
フリーター、再出発のはじまり
スポーツデポ秋田店
もうスポーツになんて関わりたくない。
特に陸上とかトレーナーとか、そんなものは全て自分の人生から排除する。
そんなつもりでいました。卒業した頃は。
でも結局そんなことは出来なかったんですよね。
その一番の理由は、早稲田大学というお金のかかるところで学ばせてくれた両親に対して、それを無意味なものにすることはどうしても出来ないという気持ちでした。
そういうことで妹と喧嘩もしました。
今だってなんだかんだこの業界にしがみついているのは、その気持ちが一番大きいんじゃないかと思います。
地元で全く関係ない仕事をしてみたけど結局うまく出来なかったこともまた、自分にはスポーツしかないのかな、それしか出来ないのかな、と思わせる理由の一つになりました。
そんな時、地元の求人フリーペーパーに「スポーツデポ秋田店」のアルバイト募集広告が。
正直結構迷いましたが、応募 ⇒ 合格とスムーズに採用して頂き、同期のK上くんと一緒にランニングシューズやアパレル等の販売セクションの担当として働き始めることになりました。
実はその前にもカラオケ店でアルバイトでもしようかと(時給がよかったので)面接を受けたんですが、面接の冒頭から
「うちは学歴なんかで採用しないからな!」
と差別発言を受け、あっけなく不採用になったりしています(笑)
スガワラという男、クビになったり不採用になったりフラれたり、ここに書いていないことも含めてそんな経験が実はめちゃくちゃ多い人間なのです(笑)
結構ネタ性高いので全部書きたいくらいですわ(笑)
阿部さん
敢えて個人名を出させて頂きます。
阿部さんとは、当時のそのセクションのリーダー的な人で、同じく社員ではなくフリーターでした。
正直なことを書くと、同じエリアにはスポーツゼビオなどもあり、そちらの店に比べて取り扱っているシューズの種類等がデポの方が専門性が低く、どちらかと言えば学校に入学したばかりとか、ランニングを始める最初のシューズとして、みたいなラインナップが多かった分、ちょっと物足りないところはありました。
が、ゼビオじゃなくデポに入って良かったなと思えるのは、阿部さんがいたからという理由が全てと言っても過言じゃないかも。
仕事に関しては厳しい人でしたが、私の持っていた専門性の高い知識を「シューズ」というものと結び付けて高めてくれたのもそうですし、サービス提供者としてのマインドを教えてくれたのもそうですし、仕事をする上での基本的な事柄は、なんだかんだ全て阿部さんから学んだと思っています。
そのくせプライベートではダメ人間仲間として色んなことをして一緒に遊びましたし、今でも時々、一瞬だけあの頃に戻りたいなぁと思う事もあります。
そうして社会との繋がりを得て、人との繋がりを得て、私はうつ抜けして行き、最終的には抗うつ薬から卒業することも出来ました。
外伝Ⅲ:アニメ漬け
元々アニメは好きでそれなりにコンスタントに見てはいたんですが、大学4年で全然動けなくなった頃『マクロスF』を見始めたあたりから徐々に視聴量が多くなり、実家に帰って更に増え、デポで働いて半年くらいの頃には体調もだいぶ良くなってきたこともあってアニメを見まくる生活をするようになりました(笑)
2011年春アニメのクールで、25本/週のペースだったと思います(笑)
時期としては『バカとテストと召喚獣』とか『WORKING!』とか『荒川アンダーザブリッジ』とかの時期だったでしょうかね。
そんなアニメ視聴本数も2023年現在、総視聴シリーズ数で約550シリーズに迫る勢いになっていますが、アニメもまた、苦しい日々を支えてくれた大きな糧でもありました。
今までの外伝はLycaonsにちょっとだけ伏線的に繋がってますが、アニメに関しては完全なる趣味の話で全くの無関係です(笑)
帰京、その前に
2010年10月から働き始めたスポーツデポでしたが、それから約1年が経った頃、スガワラは悩んでいました。
またスポーツに触れる機会を得てしまい、更にその中でお客さんに対して怪我やリハのこと、フォームのこと、色んなアドバイスを売り場で出来る範囲でする中で、あろうことかまたトレーナーがやりたくなって来てしまったんです…。
当時の秋田にはまだそんなことを教えてくれる人は(多分)いませんでした。(今のこともわかりませんが)
だから私や阿部さんを指名して来てくれるお客さんも多く、それは本当に幸せなことで、一度全てを捨てた人間からすると、そうやって社会から求められることがどれだけ嬉しかったか、その頃の気持ちは今後も絶対に忘れたくないと思っています。
だからこそ悩んでいました。
もう一度トレーナー、やりたいかも。
陸上、楽しいかも。
と。
そんな悩める中で友人の結婚式を機に一度東京に出てきたときに先輩の話を聞いたり、同期の近況を聞いたりすることで、「自分もこんなところでくすぶってちゃいけない」という想いが強く沸き立って来てしまいました。
その後秋田に帰った後、色々あって実家から家出をし、しばらくの車中生活の後で図々しくも後輩の家に転がり込むも、考え事をしながら雪道を走っていて自損事故。
三週間ほどでまた実家に戻ったりと、葛藤故に結構やさぐれた生活をしていました。
ただ、その後輩の家で自分の時間を過ごしながら、その後の人生のことをたくさんたくさん考えました。
そこで思ったことが
「陸上のクラブチームを作りたい」
というものだったんです。
チームのコンセプトと原案は、案外既にこの頃に固まっていて、やりたいことの方向性はそんなにブレてなかったりもします。
これ実はほとんど誰にも話したことがないエピソード、本邦初公開だったり(笑)
これが2012年1月。実はここがLycaonsのいっっっちばん最初のスタートだった、
というところで今回はここまで!
次回、いよいよスガワラが帰京します(笑)
今回は2009年8月から2012年4月までの3年半ちょっとを5,000文字ほどにまとめてみました(笑)
なげーよ(笑)