1から演劇を創っている、という話
突然だが、花染は【るるいえのはこにわ】という団体の副主宰という顔を持っている。
主宰 薊詩乃 が書く物語が好きで、演劇やれば?と声をかけたことから始まった団体だ。
今日小劇場、と呼ばれる界隈でたくさんの劇団が毎月何処かしらで演劇をしている。
花染もその小劇場界隈で、役者やスタッフとして関わってきた。
しかし、気になることがあった。
公演情報に載っている名前、前の公演でも見たぞ。
そんなことが幾度もあった。
役者に限らずスタッフも、その劇団員ではないのに毎公演参加している。1人2人なら、特段気にも留めてなかったと思う。しかし、ほとんど変わり映えのしない名前を見ると気になってしまう。
結局、保守的だ、と思ってしまうのが良くないのだろう。この役者はこういう役を与えれば、それなりのクオリティは担保されるよね。この人にスタッフをお願いすれば、納得いくもの作ってくれるよね。そんなことを勘繰ってしまう。
それが悪いことだとは思わない。が、似たような作品を作って面白いの? とは思う。
演劇は、観劇してくださる方に何かしらを持って帰ってもらうものだ。それが、感動なのか、思考力なのか、他のものなのか、は作品によるだろう。少なくとも、仲良しごっこをするためのツールとして演劇を利用するのは間違っていると思う。人様からお金を頂いてるのだから、そこは弁えるべきだ。しかし、メンバーが固定された座組ではその色が拭えないところもある。そういう意味でもこの現状に警鐘を鳴らしたい。
これは、邂逅『人間農場』の予約開始日に花染が呟いたツイートだ。
花染を含め、2000年から2003年頃に生まれて、大学で演劇を始めた人たちは、人前でやる舞台に殆ど関われなかった。
しかし、所謂外部公演って呼ばれるものの多くは人との繋がりがなかったら、誘われることすらない。
演劇界隈を盛り上げる、とか大きな目標を立てても実情がそれなら意味がない。
演劇集団関奈月という小さな枠組みの中でしか生きてこなかった私にとって、外部公演やワークショップで学んだ数々は信じられないほど有益なものばかりだった。
新しいものを得るためには、新しい出会いしかない。そう強く感じた。
【るるいえのはこにわ】を始動するにあたり、絶対に譲れない点になった。
外部公演に出たことあるから、誰かの知り合いだから、そんなくだらない理由で座組を決めない。
公募をし、役者はオーディションを通じて、スタッフは面談を行い、一緒に作品を創ってくれる人を決めた。
旗揚げ公演という、劇団の色が何一つわからない状態で、役者やスタッフをやりたいと声を上げてくれた方々には感謝しても仕切れない。
結果、今の座組には、関奈月の先輩、一度ワークショップで一緒になった人はいれど、殆どが初めて顔を合わせた人たちが集まった。
しかし、
『演劇をやりたい』
『人間農場という作品をより良いものに昇華させて世に出したい』
という気持ちは共通している。
作品に対して、妥協は一切したくない。
演技も演出も薊や他のメンバーの意見も踏まえて作っている。演出が一番偉いから、演出の意見が絶対である。のような考えもあるようだが、少なくとも私や薊はそう思っていない。
演技しかやってこなかったわけではないから、不確かな部分もある。加えて、演出一強の稽古をしていると客観性が失われる。任意参加ではあるが、スタッフも稽古に来る。そこで、観客として演出のわかりにくさや演技で伝わらなかった部分を伝えてくれる。前述した通り、観客を一番大切にしたいため、これはとっても助かっている。
とまあ、花染の演劇に対する価値観を語ってきたわけだが、これを読んでる君の意見はどうだろうか。
少しでも共感してくれたり、このやり方に対する答え合わせをしたくなったら、るるいえのはこにわ 邂逅 『人間農場』を観に来てくれると嬉しい。
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