見出し画像

#3 「学びと自治」を聞く〜齋藤新さん〜

個人の成長や成功の手段とされるようになってしまった“学び“。しかし、やや古めかしく堅苦しくも感じられる “ 自治 ” という言葉を通してまなざすと、“学び“には、社会を支える「公共性」と、自ら意味と価値を作る「個人の自律性」という、2つの新たな価値・役割があることが見えてきます。
Learn by Creation NAGANO の運営を担う実行委員のメンバーは、共に長野県を拠点としながらも、図書館や公民館運営に携わってきた方、インターナショナルスクールの経営者、書籍流通の民間事業者など、各々が異なる領域で活動しています。それぞれの語りから、日常に根ざした「学びと自治」を聞き取り、感じ取るインタヴューシリーズをはじめます。みなさんにとっての「学びと自治」に思いを巡らせるきっかけになりますように。

第3回目にインタヴューした人:

齋藤新(さいとう・しん)さん
Learn by Creation NAGANO 実行委員。「暮らしから学ぶ根っこ教育」を自然のなかで実践するNPO法人グリーンウッドの事務局長として、事業を統括。またグリーンウッドとして県庁と山村留学の協議会に参加するほか、自身が持つ「認定ファンドレイザー®」の資格を活かして、ファンドレイジングの支援も行う。2022年から参加した Learn by Creation NAGANO では、現在、新しいプロジェクトを企画中。現在の活動拠点は、グリーンウッドの所在地である長野県下伊那郡泰阜村。

Learn by Creation NAGANO に参加して

ーー齋藤さんがLearn by Creation NAGANOに参加されたのは2022年ですよね。どのような経緯からでしょう?

コロナ禍で、泰阜村(やすおかむら)で子どもを受け入れて活動しているNPO法人グリーンウッドでの自然体験教育プログラムを実施することが難しくなってしまったのがきっかけでした。先が見えない中でたまたま木下巨一さんに相談したところ、実行委員長を務めていらっしゃる Learn by Creation NAGANO の実行委員会に誘っていただきました。

活動が始まるといろいろなつながりができました。それまであまりなかった、自分と違う文脈に生きてきた人と仕事をする機会もできて、とても刺激になります。

あと、自団体でも事務局長となると指示やアドバイスをすることが増えます。自分自身の仕事について周りから何か言われる機会が少ないです。でも Learn by Creation NAGANO では、聞いてもらった話から問いが立てられ、別の答えが導き出されることがあって、世界がどんどん開いている感覚があります。

今、Learn by Creation NAGANO 実行委員として次の企画を立てていて、グリーンウッドで、教育に関心のある若い人々などと一緒に「ルール」について考えるワークショップができたらいいなと思います。

ーーその他では、どのようなことをされていますか?

県庁と山村留学の協議会に参加しています。それから、「認定ファンドレイザー®」の資格を活かして、島根県の団体の寄付集めの支援もしています。

島根県の団体での関係性も興味深いです。新しい人が次から次へと加わって、誰がリーダーシップをとるのかわからなくなってしまったことがありました。そのときに痛感したのが他の誰かがイニシアチブをとってくれるだろうというふうに自分と切り離した瞬間に物事は回らなくなる、ということです。何事も自分自身の責任のもとに進めるという意識を持つことが必要で、「その先にあるのが自治だな」と思いました。

暮らしから学ぶ場所、グリーンウッド

ーー今、齋藤さんのメインの活動であるグリーンウッドも、自治に近いところにありそうです。グリーンウッドがどのようなものなのか、教えていただけますか?

グリーンウッドは、現在も中心的な事業である「暮らしの学校 だいだらぼっち」から始まりました。創業の1986年より前、2泊3日ほど短いフリープログラムのキャンプをするなかで、子どもたちから「もっといたい」という声があがって1週間、1ヶ月と伸びました。最終的には「1年間キャンプがしたい!そうすれば自分たちで田んぼも畑もできるし、食器も家具も家だって作れる!」というこどもの声が発端となって、暮らしの学校がはじまったそうです。私は現在ここで、事務局長と現場の全体責任者をやっています。

だいだらぼっちの活動は、「暮らしから学ぶ根っこ教育」です。学校の教科や仕事上では「こうやったら〇〇ができるようになる・身につく」と学びを組み立てていきますが、だいだらぼっちでは、遊びを含む1年間の暮らしのなかで、子どもたち自身が、見たいものを見てやりたいことをすることから学びを得、枝葉を伸ばしていくことを大切にしています。成功も失敗も含め、すべての経験が子どもの成長に繋がると考えます。

グリーンウッドのねっこ教育
グリーンウッドの「ねっこ教育」

暮らしのなかには、学ぶことがたくさん詰まっています。例えば、人と協力し合って何かをすること、喧嘩したときには仲直りをすること、知らないことは知っている人から教えてもらうことなど、人と関係性を結ぶこと。さらに、掃除してきれいに保つこと、食べられるものを知り食べられるように調理する方法を知ること、作物を育てるための方法などの、衣食住に関わること。

要は「暮らしから学ぶ根っこ教育」では、子どもたちが、必然や偶然のなかから学んだことを糧にして、他者との関係を作り、課題があればそれと向き合えるような力を身に着けるんです。そして私たち大人は、子どもたちがさまざまな経験を通して、自立していくのを見守ります。

食事作りから薪割りまで、あらゆることを協力し合いながら自分たちで暮らしをつくるだいだらぼっちの子どもたち。

ーー子どもが成長するきっかけは子ども自身の興味関心の向くままに任せながら、生きる力を伸ばしているのですね。

そうです。グリーンウッドでは、だいだらぼっちのこの手法をギュッと凝縮して、その他にもいくつかのプログラムを実施しています。

「信州子ども山賊キャンプ」では、夏季や冬季の長期休みに全国から1000人の子どもたちを集めてキャンプをしています。ここでも、子どもたちがやりたいことを話し合い、自分たちでプログラムを作ります。ごはん作りも含めて、子どもたちが暮らしのことすべてをやります。

学童クラブや「森のようちえん まめぼっち」、青年を受け入れるキャンプボランティアやインターン、大学生のゼミ学習なども、「暮らしから学ぶ根っこ教育」をもとに実施しています。

夏のキャンプでも火起こしから全てを自分たちで

求めて動いて迷って、身を任せてたどり着いた場所

ーーそもそも、グリーンウッドに齋藤さんが関わり始めたのが2004年頃ですよね。その前は出版業界にいたそうですが、どのようなきっかけから職業を変えられたのでしょう?

転機になったのは、私が27歳のときです。当時は、出版業界で働いていました。突然友人から電話があり、「テレビ見て」と言われて点けたら、高層ビルに飛行機が突っ込む映像が写りました。9.11(2011年アメリカ同時多発テロ事件)です。その映像を見て「戦争が始まる」と思いました。それから実際に、アメリカはテロとの戦いを宣言し、アフガニスタン侵攻へと突き進んだわけですが、私は9.11の映像を見ながら、自分が今やっている仕事は平和な世界でしか成り立たないし、誰かの平和を支えるものにもならない、と切実に考えていたんです。

その後、もし子どもの教育に携わる事ができたら、平和な世界へのピースの一つになれるのではないかと、児童書をつくる編集プロダクションに転職しました。でも、その職場環境はとてもひどくて。社員は担当プロジェクトが終わると次々に入れ替わるし残業もとても多く、手元にあった仕事が片付いたときに退職しました。
 
とはいえ、そのあとの仕事はなかなか見つからなかったんです。会社の表面的な部分しか知らないなかで志望動機や職場での展望を書くのは、楽なことではありません。無理やり考えて応募し不合格をもらう、という流れが常態化してしまい、「こんなことをやっている自分はこの先どうなっていくんだろう……」と日々考えていました。

ある時、その流れを断ち切ろうと、大好きな屋久島へ2週間の一人旅に行きました。屋久島の自然はとてもゆったりとしていて、倒れた木の上からまた木が生えていたり、その隙間に小さな植物や生き物が勝手に棲み着いたりするんです。生き物がいつのまにか共存して多様性が保たれている。そんな様子を見て、自然の中に身を置くことがこどもたちにも必要なのではないかと直感的に感じました。

エコツアーのガイドという仕事があることを知ったのもあって、自然のなかで子どもたちと関われる仕事を探したところ、「自然学校」という活動があり、グリーンウッドという団体があることを知りました。そこで、グリーンウッドの1ヶ月半の山賊キャンプの長期ボランティアに応募したのが始まりです。

他者といるための3つの掟

ーーグリーンウッドの活動について、「子どものやりたいことを」と先程おっしゃっていましたが、例えば子どもたちは地域でどのように暮らすのでしょう?

だいだらぼっちには今19名の子どもたちが参加しているんですが、そのなかに探究心が強く積極的で、つる細工にはまっている子がいます。自分で試行錯誤するだけでなく、村のつる細工が上手な方を「師匠」と呼んで教えを請い、今度は材料を取りに行くんだ、と楽しみにしています。そうやって子どもたちに人とのつながりが自然にできているのを見ると、「これをやりたい」という気持ちは人との関係が生まれる種なんだなと強く思います。

ーーだいだらぼっちは、子どもたちが自分たちで決め、活動していくという点でまさに自治であると思ったのですが、齋藤さんご自身が「自治」と聞いて思い浮かべるのは、どのようなことでしょうか?

まずはやっぱり、自分を律する、と書く「自律」です。他者がいるという前提で、自律した人同士がお互いの心地よさや豊かさを作っていく。その関係性のなかで、それぞれの望む姿ではなくてもお互いにとって60点くらいでも、それぞれが納得できる状況を作りそれを良しとすることができる、というのが自治だと思います。

そう思うきっかけになったのは、やっぱりだいだらぼっちでの経験です。10年ほど前に、だいだらぼっちに付きっきりの4年間がありました。そのうちの1年間に、思春期真っ盛りの「大人」への反抗と強烈な自己主張を持つ中学生男子が2人いたんです。いろいろ迷惑もかけるようなこともしていて、他の子どもたちへの影響もありました。でも、それを咎めると「子どもが主役だと言っているくせに大人が口を出してきて」というようなことを言ってくるんですね。大人としては子どもの声を聞くことを第一にしているので、そこでスタッフは詰まってしまう。

もちろん困りました。でもそこでふと「子どもが主役」というのはどういうことだろう、と改めて考えました。まるで子どもがやりたいこと・言ったことをすべて無条件で受け止めなければいけないような言葉だけど、それは違うのではないかと。やりたい放題やっている子がいたら、それを止める子もいられる場でないと、自律とは言えません。そこで、だいだらぼっちの場を守り、かつ表現できる掟を作ることにしました。

ーーどのような掟ですか?

3つの掟と言って、1つ目は「この指とまれ」。だいだらぼっちに来ることも、1年間の活動にどのように関わるのかも自分で決めようということです。2つ目は「持ち寄りの心」です。小学生から大人までいろいろな人がいるので、得意不得意やできることできないことがあります。暮らしの中でそれぞれの違いを認め、自分ができることを精一杯やることで1年間の暮らしを乗り越えていこう、と言っています。

3つ目の「一人一票」が特に先程の悩みに対して出した答えです。年上も年下も、大人も子どもも関係なく誰もが一票の権利を持っているということなのですが、要は「子どもが主役」のなかに参加している大人も、子どもたちと同じように豊かに時間を過ごせるように、年齢に関係なくお互いの意見を聞きあおうね、ということです。

何事も自分たちで決め、やっていく、という方針なので、子どもたちにはよく「ここでの暮らしを守っているのは、あなたたちだよ」と言っています。もし、薪のお風呂を空焚きして火事になったら、それ以降に子どもが火を扱うことはできなくなってしまう。だからそれぞれ責任を持って暮らしていかないと、この場はなくなってしまうんだよ、と話しています。

ーー3つの掟はどのようにしてできたんですか?

まず、相当な時間をかけて作ったんですけど、その年にあったトラブルを全部書き出して、それぞれどう表現したら対応できるかを考えました。最初に思いついたのは「時間を守る」「言ったことはやる」のようなものでした。でも、これでは抑えつけるためのルールだし、幅がないのでトラブルが増えるごとにどんどんこれからも増えてしまう。何よりだいだらぼっちらしくないと悩んでいました。そんなときに、昔からいるスタッフが子どもたちに向けて「一人一票」「持ち寄りの心」と言っていたのを思い出しました。そこで今までの活動で使ってきた言葉を書き出し、「最低限これさえあれば自治が守られる」と判断できる数に絞りました。こうしてできたのが、3つの掟です。

掟が完成したのは、ちょうどだいだらぼっちのシーズンの切り替わりの時期でした。トラブルも多く落ち着かない1年を過ごしたこどもたちが、次の1年も継続することを希望してくれたので、「3つの掟を考えたから来年度からこれを大事にする1年にしたい。大人が介入してトラブルを解決する暮らしはだいだらぼっちではないはず。だから暮らしをつくる仲間としてこどもたち同士で楽しいことや目標達成するためにはアクセル、困ったことやトラブルが起きそうなときはブレーキを自分たちで踏んでいってほしい」と話しました。

いつもトラブルが起きると深夜まで話し合ったりして本当に大変な思いをしていたんですが、翌年には「だいだらぼっちってこんなに楽しいんだ」と言っていました。そうやってだいだらぼっちに残ることを自分で決め、自分で楽しさを手に入れたことは自信になったと思うし、つまり、それで子どもたちの自律が育まれることになるということを学びました。

ーー子どもたちと接するときに、学びの場を運営している責任者として何か心がけていることはありますか?

権力を持った大人としてではなく、一人の人間として子どもたちと接することです。例えば、宿題はやりなさいと言うし、学校へも行きなさいとも言いますが、「だいだらぼっちだけではない外の世界を知るために行くべきだし、学校は別におもしろく過ごすために用意されている場所ではないからね」と、大人としてではなく私自身が思っていることとして説明します。

それから、参加期間が長かったり年齢が上だったりするとパワーバランスが崩れて強くなってしまうことがあるので、特に新人職員や小学生の低学年の子がいるときなどは気を配ります。誰もがだいだらぼっちを守る主体者である、というスタンスでいてもらわないと回らないので。一人一票を保つためのバランサーの役割です。

ーー3つの掟は、大人の望みで決められたことではなく、その場をつくり、維持するための柱なんですね。

3つの掟は、子どもたちだけでなく、グリーンウッドのスタッフ間でもクレド(行動指針)として使っています。スタッフの間に上下関係を作らず、それぞれに役割を果たす。そのために、それぞれが自分で決め、持ち寄る心で協力し、一人一票の精神で物事を進めていくことが大切になってくるんです。

20代から60代まで、経歴も職種もさまざまなグリーンウッドのスタッフ

いつでも想定外が日常

ーー3つの掟はシンプルでわかりやすく、なおかつ具体的に機能するんですね。

とはいえ、掟に対する解釈は、やっぱり人それぞれです。その違いからのぶつかり合いは日々あるので、一回一回話し合って調整しています。グリーンウッドそのものが、うまくいかないことを前提として動くことを問われている職場でもあるので、都度対処していかないと。

ーー「うまくいかないことを前提にする」ことは、なぜ必要なんでしょう?

例えば田植えの予定を入れても雨が降れば、別の日にしなければならないし、突然大量の薪がやってきて処理しなければならなかったり。もっと想定外のことが、子どもがいると起きます。体調不良もそうですが、「なんでそんな遊びをしたの?」というようなことでケガをしたり、いたずらしたり。2人のケンカがいつのまにか全員の話し合いに発展したり、と自分が立てた予定が変わるのは常に当たり前です。

子ども本人にとっては筋が通っているけど大人では想像すらできないことが起こる。要は、ほとんどのことが想定通りにならないんです。

ーー私自身、子ども時代を振り返ると「なんであんなことをしたんだろう?」と思うことがいくつもあります。グリーンウッドでも想定外のことがたくさん起こってそうですね。どのように対処するのでしょうか。

想定外のことが起きた時にどうするかは、みんなで決めることを信条にしています。登山のために朝出発する予定だったのに寝坊する子がいたとき、山頂に行かなくても途中まででも登るのか、他のことをするのかどうか、みんなで考えます。

グリーンウッドの活動自体が自然のなかでのことなので、台風が来たり大雨が降ったりするのもしょっちゅうですが、そのときも何ができるのか・何をするのか、いろいろなことをみんなで考えて決めます。起きたトラブルをみんなの真ん中に置かないと誰かが決めることになって、「この指止まれ」にも「一人一票」にもならないので。

やる予定だったものができなかったときはもちろん残念ですが、子どもたちの持ち帰るものは多いようです。山賊キャンプが毎年秋に開催する、夏・冬の活動の報告会「山賊キャンプ想い出会」は、少し大変な思いをした子の参加率が高いんです。何が彼らにそうさせているのかというと、「自分がそこにいた」という実感だと思うんですよ。

あのとき、自分がそこで頑張ったからご飯ができた、仲間がいたからなんとか乗り越えられた、など「自分自身が成し遂げた」という実感をとても強く得ているんじゃないでしょうか。そういうのを見ていると、子どもにとっての嬉しさとは、物事が自分の手のなかに預けられたときの喜びから生まれるものなんじゃないかと感じます。

ーー確かに、自分自身で何かができたという経験は、自身にもつながるし後々強く記憶に残ります。でも今の時代だと、大人が先回りして子どもの学びを用意するようなことも多いですよね。

決められた通りにやることばかりの現代だからこそ、子ども達の力を信じて、自分たちなりにやれる場を提供することは、とても重要だと思います。自分で成し遂げたという実感を得たことがあると、意にそぐわない環境になったときに、自分のできることを見つけ出して何とかしようと思えるのではないでしょうか。すると、人生がおもしろく豊かになる。

でも、遊びのなかで自分の欲求に従ってやりたいことを存分にやる時期がないと、学びの入口にまでたどり着くのが難しいかもしれません。実は、自律しながら人と関われるようになるのは、今の時代ではとんでもなく難しいことではないかと感じているところもあります。

大切にした自分の感情は将来の自分の糧となる

ーー自分たちなりにやれる場が少ないと、子どもたちも突然「自由だよ」と言われて困ることも多そうですが……。

実際にそういう子はいます。学童でスタッフから「自由に過ごしていいんだよ」と言われて最初は固まっていた子が、何年もかけてだんだんと自主性が発揮することもあります。それを見て私も、自由に過ごすことにも訓練が必要なんだと思うようになりました。

ただ、もし「何をやったらいいかわからない」という子がいてもただその場にいるだけで学ぶことはあるし、楽しめなくても楽しめなかったこと自体を持ち帰ってもらうのが一番です。

つまらなかったら「つまらなかった」でいい。「お母さんに会いたくてとてつもなく寂しかった」と言う子がいたら、その気持ちをお母さんに伝えてくれたらいいんです。遊びで子どもが得たものは、たとえネガティブなものでも学びになるし、その感情を大切にしてくれれば、それは将来にきっと自身の糧になると思うので。

ーー想定通り、予定通りに行かない中でも、無理に前向きになるのではなく、その時の感情を大切にしながら目の前のことに身体や手を動かす。「暮らしから学ぶ」といつも話している齋藤さん独自の観点だと思いました。これは自治の基本でもあると思うので、子どもだけでなく大人も交えた学びを Learn by Creation NAGANO も齋藤さんと一緒につくって行くのが楽しみです。今日はありがとうございました。

いいなと思ったら応援しよう!