僕は2020年4月に家業である側島製罐に帰ってきましたが、実は帰ってくる前に社長である父親と”念書的なもの”の取り交わしをしました。最近色んな所でお話しする中でこの内容について聞かれることが多くなってきたので、どんなものだったのか記しておきたいと思います。
形式と内容について
「念書」というと形式ばったもので、
一、甲がやることに乙は文句言わない。もし文句言ったら甲は継がない。
という感じで契約書のような書き方をするわけですが、自分の場合は念書”的なもの”という通りで、このような形式では書いていませんでした。どちらかというと”手紙”に近いものになってます。しかし、実際にはその内容に盛り込まれた約束事が守れていて、念書と同等の役割を果たしていることから、”念書的なもの”と言っても差し支えないものと思っています。
と、前置きはこれくらいにして、以下念書的なものの中身をほぼそのまま公開します。内容については諸事情に配慮してごく一部削除していますが、原文ほぼそのままです。
念書的なものの中身(原文ほぼママ)
親子だからこそ明文化することに意義がある
僕がこの”念書的なもの”をつくったのは決して先を見越してのことではなくその時の感情に従ってのことでしたが、結果的には目線合わせをやっておいてよかったなと思います。父親の価値観はその時代によっては必要なものであったと思いますし、長年人生を捧げて会社経営をしてきたやり方を正当化したい思いもよくわかります。それ自体を否定したり非難することが目的ではないですが、それでも今の時代に合わない価値観は変えていかなければいけませんし、同じ会社で働く以上親子だからというエクスキューズは通用しないと思っています。自分も人生をかける以上後悔はしたくないですし、どうせなら周りの人と一緒に楽しく生きていきたいですし、その想いを口頭ではなく文字に起こして伝える意義は十分にありました。
中小企業は大企業と違って異動もなく、外部の人材が積極的に登用されることも少ないことから、常識や価値観が凝り固まりがちです。特にオーナー一族が実権を掌握しトップダウンで機能している会社はその傾向が強く、その中で外部から入る人材が自分の想いを実現するためには、入社前に念書を書くくらいのことをやってもやりすぎではないと思っています。親子だとどうしても気恥ずかしかったり色んな感情が入り混じったりで、まじまじひざ詰めで想いを伝えるのは難しいですからね。
おわりに
もちろんこれだけのことを約束してもらうには、自分も相応のコミットする必要がありますし実力もつけていかなければいけません。宣言したこと以上のことを実行し続ける責任を自ら課すことはとても勇気と胆力のいることですが、まずは承継者自身が後悔せず、事業承継への挑戦を心から楽しむ環境を自分で作る努力は必要ですし、”念書的なもの”の内容でも出てきましたが、まずはこれから会社を引っ張っていく人がワクワクしながら日々笑顔で仕事をすることは何よりも大切だと感じています。企業の存在意義はそこで働くスタッフやお客様、そして社会に対して価値を提供すること以外にはありません。内部事情に囚われて余所見をしている暇はないはずです。
今回は、自分のところが万事うまくいっているというマウンティングをするつもりもなく、一例として参考になればいいなという想いで筆をとらせてもらいました。社内の軋轢や親との関係に振り回されることなく、まっすぐに自分たちの使命に向かっていける企業が少しでも増えて、もっと楽しくワクワクできる社会になっていくことを心から願っています。