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”中小企業型ティール組織”という新しい未来への挑戦

側島製罐では2021年に全員でMVVを策定したのち、2023年からは「みんなで経営 自己申告型報酬制度」と銘打った制度を導入しました。今年導入したばかりなので実際の成果などはこれからでほぼ社会実験みたいなものですが、内容としては過去の実績を評価して給与額を決めるというやり方をやめて、各自の自律性や発展性を信じて未来に先行投資する形で給与を先払いするというやり方で、正に社運を賭けた挑戦です。この制度を導入するまでに三年間も要してしまいましたが、考えに考え抜いた末にこの制度に辿り着いた紆余曲折と悲喜交々を今回はまとめてみたいと思います。結論的には、側島製罐ではこの制度が会社のみんなが豊かな人生を歩んでいくためのベストな方法であり、総論としても自律分散型組織の素養が潜在的に備わっている日本の中小企業だからこそ実現できる新しい時代の組織のあり方だと僕は信じています。

社長の独断と偏見と前例踏襲で決まる給与

まずは前提条件として、典型的なレガシー中小企業だった元々の側島製罐の状態から書いていきます。側島製罐では人事評価・給与制度というものが長年ありませんでした。毎年6月に給与改定することだけは決まっていましたが、僕が入社した2020年当時はMBOどころか売上金額や生産量の目標値すらなく、当然ながらその結果としての給与決定ロジックや賃金テーブルなどもありませんでした。評価や給与の根拠は社長の感想で、新しく入社する人の給与額は現状在籍している人の金額を超えないように設定される、という手法でした。社長の鉛筆なめなめなやり方もそれなりに合理性がありそれ自体が悪いわけではないですし、給与支給額が実態と大幅に乖離していたわけではなかったとは思いますが、ゴネた人の役職や給与が上げてもらえたり、何の根拠や説明もなく社長の鶴の一声で突然昇格する人が現れたり、場当たり的な人事給与決定はどう頑張れば報われるのか不透明な閉塞感を作ってしまっていたと分析しています。加えて、当時は社長と工場長が権力を振りかざして圧政をしていた時期で、常に上司の顔色を窺って仕事をする、というのが文化として定着して、結果としては20年連続で売上低下しボーナスは減り続け大赤字、各部署がいがみ合っているような状態でした。


対処療法的な制度策定への違和感

僕が2020年4月に側島製罐の後継者として入社した当初、「俺のことをもっとちゃんと評価してほしい」「頑張っても給料が全然上がらないのでなんとかしてくれ」という相談が僕のところにたくさんありました。僕の前職ではMBOと給与制度が連動していて、目標を立てて、実績を作って、それが評価になり、給与に反映される、という仕組みでやっていて、それが唯一の人事・給与マネジメント手法で世の中の常識だと思っていました。また、家業に入社したばかりの時期で「このような声が上がっているのだから自分が何とかしなければという正義感の下、人事評価・給与制度の策定に着手してみました。が、何か月もかけて考えてはみたものの、結局まともな案すらも出すことはできませんでした。まあそりゃそうですよね。元々作られた人事制度をただ使っていただけの素人が一朝一夕に作れるはずもないわけです。また、人事制度について学ぶ中で「人事制度には正解がない」という事を痛感し、調べれば調べるほど人事制度設計の難しさに途方に暮れることとなります。どれだけ細かく設定しても納得感はない、運用しきれない、結局社長の独断と偏見の方が効率が良いんじゃないか、という感じですね。

ただ、その間に会社の中の様子を観察していて、「社長が言ったから」「工場長に怒られるから」という判断軸でみんなが仕事をしているのが見て、強烈な違和感を持つようになりました。評価は属人的な誰かの主観でされるべきものではなく、経営理念だとか会社が目指す方向とか全員共通の価値観に基づく必要があるのではないか、という思いに至り、まずは制度作りの前に基礎となるメンタルモデルを確立すべく、会社の経営理念にあたるMVVの策定に進んでいったわけです。

100年の下請業と苦しい時代に育まれた自律性

側島製罐では2021年にMissionVisionValuesを策定しました。MVVの策定については別記事で詳細を書いてるので割愛しますが、その中で明らかになっていったのはメンバーの視座の高さと当事者意識の強さでした。当時はマネジメントという概念もなければ運用の仕組みもない上にみんながお互いいがみ合ってるという組織が空中分解している状態ではありましたが、それでも各自にどんなことを考えながら仕事してるかを深く聞いてみると、みんな仕事とか会社のことについてすごい熱く語ってくれるんですよね。今までマネジメントも仕組みもない状態でどうやって会社が回っていたかというと、アナログで非効率でもみんなが自発的に足りない仕事を拾ってくれていたわけです。誰かに言われるわけでもなく、評価されるわけでもないけれど、自分がやるべきだと思ったからやる、というみんなの信念は表面化こそしていなかったものの会社のカルチャーとして確かに存在していました。個人的な仮説ですが、これはきっと長年の下請け企業で醸成された「目の前の作業を一生懸命やっていればいつか必ず報われる」という実直なマインドと、どれだけ苦しい時期が続いても会社に残りつづけてくれた中卒や高卒から長年働いてくれている人たちの会社への帰属意識が重なって生まれた文化なのではないかと分析しています。

人の良心を評価するという気持ち悪さ

さて、みんなと一緒に共通の価値観となるMVVをつくって共通の価値観となる軸もできたところでいよいよ人事評価・給与制度を策定していこうという段階になり、外部のコンサルの方にも協力を仰いで制度設計を進めていきます。「みんなでつくったMVVを軸にすれば納得感の高い評価制度ができるはずだ!」とコンサルの方に相談しながら意気揚々話を進めるわけなのですが、結論的には全く納得いくものができず、1年以上かけたプロジェクトが途中で頓挫してリセットを2回繰り返すことになります。これは自分たちの制度設計に対する解像度の低さに起因するものなのでコンサルの方は何も悪くないのですが、話を進める中で最大の焦点となったのは「MVVという内発的動機に基づくものを、外部から誰かが評価したりマネジメントしたりすることは正しいのだろうか」ということでした。みんなでつくったMVVは、各自の心の根底にある”良心”から湧き出るものであるはずなのに、それに評価という力学が加わることによって、MVVに即した行動をすること自体が目的化したり”やらされ”になったりしないか、という違和感です。「あの人はバリューの○○を実践したから評価しよう」というやり方が本当に適切なのか、それはただ従前の評価制度と同じように会社の思い通りに人を動かすやり方ではないのか、個々人が自分の心の声に従って生き生きと働くためにこの評価という手法は本当に正しいのだろうか、という違和感です。僕個人の想いとしては、MVVや経営理念というものはあくまでも組織全体の共通の価値観のようなもので、そこに個人の思想に基づく良心が重なるものであり、MVVという組織の都合を個人の思想に優先させることは絶対にないと思っています。

側島製罐では、過去のボロボロだった辛い時期を乗り越えてみんなでつくったMVVに対する各自の想いは非常に強くて、ただ額縁に入れて飾っているようなものではなく、みんながオーナーシップを持って自分たちの宝物のように日々大事にしてくれているという実感がありました。MVVをつくってからも金銭的な報酬は何も約束されたものでもなく、誰かに評価されるわけでもなかったにも関わらず、自分たちの心の声に従って自律的に正しい行動を追求していくみんなの姿を見て、「評価制度」という概念はこのみんなの純真無垢な心を殺してしまうのではないか、もっと言うと「マネジメント」という指示命令や報連相を前提とする仕組みは根本的にこの会社には合わないのではないか、と感じるようになりました。

「評価をしない」という発想の転換

とはいえ、個々人の心や感情と、”経営”という冷徹な現実の二軸を両立させるのは難儀です。経営は売上や利益を前提としている以上、その全体から見た貢献度を評価して分配するという視点は外すことはできないですし、他方で各自には担当者の視点での自己評価があります。この経営的な全体最適と業務レベルの部分最適の視点のギャップを埋めない限りは、経営者と従業員という両社が双方心から納得して働けるような環境は実現できません。人は誰しも、自分が頑張っていることを認めてほしいものだと思っていますし、それが自分の人生を支えるお給料に結び付くこととなれば、ほんの少しの自己評価とのズレですら甚大なすれ違いとなり、信頼関係を育むことはできません。

ではどうすればいいのか、という事を考えに考え抜いて僕らがたどり着いた結論は、「評価をやめて全員が経営者になる」というものでした。

自己申告型報酬制度について

まず評価をなくすという点についてです。評価がなくなると従前の仕組みではその後工程にあった給与をどうやって決めるかという話になるわけなのですが、結論的には”自己申告型報酬制度”という制度を導入して、給与決定が最初の工程になるわけです。制度の凡その概要は以下の通りです。

①自分の役割とそれに対する報酬を各自が宣言する
②”投資委員会”と報酬内容についてすり合わせる
③向こう半年分の給与額を決定する
④半年おきに宣言&報酬内容を見直す

近しい内容として先駆的にやられてる木村石鹸さんという会社があるので制度の中身について多くを語るのは今回は割愛しますが、今までの一般的な人事制度の違いとしては「過去の実績に対する評価」をやめて「未来に投資する」というものです。

なお、ここで登場する投資委員会は社員の有志メンバーで組成されたチームで、宣言の内容を実現するための”サポーター”という位置づけです。投資額と宣言内容のバランスが取れているか、他にもっと能力が発揮できる領域はないか、そのためにどんなことをすれば良いか、などの助言を行い、可能な限り本人の宣言内容の実現を叶える手助けをするチームであり、一切評価する立場にはありません。あくまでもスタート地点は宣言する本人であり、報酬額のベースとなる評価をするのもまた本人です。

”みんなで経営”という覚悟の交換

ここまで読んでいただいた方、特にマネージャーや経営者層の方は「こんなやり方でお金を先払いして本当に大丈夫なのか、ちゃんと回収できるのか」という疑問が生じたのではないでしょうか。しかし僕は、この制度の肝はこの点にあると思っています。この制度は、ある意味で経営者やマネージャーが人を評価したり給与を利用して人を思い通りにコントロールしたりするような権利を放棄して各自に仕事内容や報酬の自由を享受できる環境を用意するものです。その対価として、各自が自分達の業務だけでなく経営全体にも真剣に向き合って、その価値に見合う仕事をする、というのがこの制度の本懐である”覚悟の交換”だと思っています。

僕は会社の代表取締役なので、高額な借金の連帯保証もありますし不動産も担保に差し出しさなければいけなかったりして、文字通り事業に人生を賭けている節はあるわけです。経営が傾けばその責任を一手に引き受けなければならないわけという意味では、何とかして自分の思い通りに経営を成り立たせていきたいという気持ちが湧いてきたこともあります。だけど、やっぱり、そうやってお金を人質のようにして自分の思い通りに人を使役して働かせるようなやり方は、中小企業のように経営者と働く人の距離が近い組織であればあるほど敵対心や猜疑心を生むものだと思っています。

そして何より、側島製罐のビジョンは”宝物を託される人になろう”というものであり、みんなの大事な人生を預かっているにもかかわらず経営都合の他人軸で働かせるような会社はこのビジョンを語るに値しないと痛感しています。せっかくみんなの人生の大事な時間を預けてもらう以上は、お客様にどうしたら喜んでいただけるか、世の中をどうやって良くしていけるか、という点にフォーカスしてみんなが生き生き働ける環境にしたい、その想いを実現するには覚悟の交換を通じた「全員が経営者になる」という方法しかないと確信したわけです。経営者の目線を持って仕事をすると言うことは、いくら相応の報酬が貰えるとはいえ責任は大きくなります。それでも、やっぱり僕は自分の会社で働く人には豊かな人生を歩んでいってほしいと心の底から思っています。責任のない仕事からやりがいは生まれません。自分の良心に立脚し、MVVという共通の価値観を大事にしながら、誰かに指示命令されるわけでもなく小さな経営者として役割と責任を全うして生きていく、その結果として各自が小さな経営者として豊かで潤いのある人生を歩むと共に、その集合体が新しい時代の側島製罐になって自律的に新しい価値を作り続けていけるようになると思っています。そして、そうやって人間性を取り戻すことで発展する新しい組織のあり方を社会に提案していくことが、僕の人生の使命の一つだと感じています。

たった40人の中小企業だって社会を変えることはできる

この制度にたどり着くまでに3年もかかってしまったわけで、働くうえで最も重要なもののひとつであるお金を実質的には劣後させたままMVVを策定したり新しいプロジェクトをはじめたり、今までのただ言われたことをやるという仕事観からの大きなパラダイムシフトがあったわけなのですが、その間も会社に残り続けて、その未来を信じて一緒に進んできてくれた会社のみんなにはどれだけ感謝してもしきれないなと思っています。

自己申告型報酬制度だなんていうと突拍子もない感じに聞こえるかもしれないんですけど、時代的には近しい仕組みって既にたくさんあると思うんですよね。例えばセルフレジとかモバイルオーダーとかも同じ自律的な性質を持っていると思っています。待っていれば誰かがサービスを提供してくれるっていう仕組みがなくなる代わりに、自分で好きなタイミングでオーダーできたり、時間の節約ができたりってベネフィットがあるような感じで、自己申告型報酬制度では誰かが自分に指示命令をして待っていれば自分の役割を全うできるという仕組みがなくなる代わりに、自分のやりたいこととかそれによって得られる報酬とかを自分で考えられるようになる、というものですね。その報酬の内容も今までのように金銭的な価値だけに依存するわけではなく、自分で仕事の価値と向き合うからこそ見えてくる報酬というものがあると思っています。

とはいえ、冒頭書いた通りこれは社会実験みたいなもので、この制度がこれからどのような形になっていくのかわかりません。だけど僕らはこれが現時点でのベストの答えだと思っています。ティール組織なんて一瞬流行っただけだとか、中小製造業ではそんな仕組みは不可能だとか、マネジメントを弱める組織なんてうまくいくはずがないとか、そんな声もありますが、やっぱり自分の主観だけは手放してはいけないと思うんですよね。誰に何と言われようと、自分たちの心の声に従って自分たちの人生を生きていくというメッセージを発信し続けることで、組織も変わり、社会も変えていけるんじゃないかなと信じています。何年か経って失敗してたら、その時は笑ってやってください。前のめりに死ぬなら本望です。


最後に、今回の制度策定にあたっては、生きがいラボの福留さんに多大なるサポートをいただいたので、感謝の想いと共にご紹介させていただきます!

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