9月のふりかえり|個人性をつぶさない組織や、社会であって欲しい
9, 10月のメモ帳をなくした。忘れちゃったことは、忘れてしまっていいのかな。
9月◯日
西荻窪の矢田部英正さんを訪ねる。彼は武蔵野身体文化研究所の主宰で、知り合ってもう20年くらい。以前つくってもらった椅子の調整が済んだと連絡があり、受け取りに行った。
彼の家は遠藤新(フランク・ロイド・ライトの弟子)の設計で、訪れるのが楽しい。古い建築は維持がひと仕事ですね。石州清水流の先生でお茶も点ててくれる。近況を交わす中で、最近古物商から買い取ったという曾祖父さんの絵葉書を見せてくれた。
そうだよな。こういうのを「絵葉書」っていうんじゃないか。描かれていた時間と空間が丸ごと届く感じ。市販のポストカードがつまらなく思えてきた。
大勢に一斉にキャストするものが、個人の表現でも幅を効かせているけど、個人と個人の充実した関係がもっと欲しい。
9月◯日
2週間後の「書くワークショップ」にむけて、川内有緒さんと「書き方」のインタビューを。最近ほかにも3名ほど同じテーマできかせてもらったけど、みんな違って面白い。彼女は朝4時から書いていました。
楽しく話をききながら『この人には場所性があるな』と思う。彼女に会うと、川内有緒という国というか土地を訪ねている気持ちになる。彼女はその王様で機嫌がいい。「あはははは」と笑っている。
9月◯日
対話型鑑賞を学び合う仲間うちで「実物でやりたい」という声が高まり、みんなで東京都現代美術館へ。「常設展はすいてる。ぜったいに大丈夫」という太鼓判を押されて行ったが、結構来館者がいて(ホックニー展の影響?)、小人数にわかれてヒソヒソとやった。
この勉強会は今年の4月から始まって、不定期につづいている。
個人的には「インタビューのワークショップ」や「きく」ことの視野を広げたいし、たしなみとして身につけておきたい等の気持ちで始めたけど、「絵をみる」ことそのものが楽しくなってきた。
9月◯日
アソブロックの団さんと、渋谷「100BANCH」に小川立夫さんを訪ねる。彼はパナソニックの重役。居合わせたパナのスタッフさんが彼を信頼している感じがすごく伝わってきて、幸せな気持ちになる。
この1年で同社に対する個人的な印象は様変わりした。嫌な印象があったわけじゃないが、前は「いわゆる大企業なんでしょうねー」という先入観があった。
でも国と同じで、具体的な個人に出会うと印象が変わる。その個人性をつぶさない組織や、社会であって欲しい。
9月◯日
フランスに滞在中の、田瀬理夫さんのメールが届く。
この夏は1ヶ月ほど、奥さんと一緒に渡欧されている。70歳を越えてたくさんの人に求められ、働きつづける姿は頼もしい。
最初に勤めた会社の同期が、昨年から次々に定年をむかえている。
「定年」ってまるでなってない仕組みだな。戦中は働き盛りが動員されて、田舎は高齢者とおんな子どもばかりだったと思うけど、戦後は経済活動に動員されてまた同じことが起こりいまその果てにいる。田舎の人口動態を見ると60〜65歳あたりで転入人口が再増加する。60をすぎたら生まれた土地や本人の人生に返すって、いったいなに?
定年は40代前半に設定する方が、社会がよく機能すると思う。そこから大学で学び直す人も、起業も増えるだろう。退職後に備える資産形成のノウハウにしても、個人のサバイバルに終始している印象で、社会全体はむしろ劣化させていると思う。
9月◯日
森山円香さんとパートナーの啓高くんから、新婚旅行(8ヶ月間・世界一周)の報告として生写真が届いた。旅に本を持っていってくれた様子。神山で書いた本だ。
働くことも、誰かと生きてゆくことも、一緒にする冒険のようだといいな。
9月◯日
陸前高田へ。翌週の箱根山学校の前に「書くワークショップ β3」をひらく。6名の知った顔ぶれと、山の中腹で、たくさん読みたくさん書いてすごした。
音楽にせよ文章にせよ生まれてくる表現はすべて〝作物〟だから、書きたければ、まずそれが生まれてくるプロセスと環境をつくる必要がある。その再構築を試みるワークショップ。5月から3回やらせてもらって、どの回も楽しい。とくに今回はこんなに笑ったワークショップは人生で初めてだったかもという感じ。自分には、次の本を書く準備過程にもなっている。
9月◯日
「第9回・箱根山学校」が始まる。学校から教科教育を抜いて、美味しいご飯と広い空を加えた4日間を、約40名ですごす。
今年は箱根山テラスオーナーの順一さんと、設計メンバーの長谷川浩己さんが話し合って、10年間で背丈が伸びた南側の木を伐ることが出来た。ふたたび広田湾が望めるように。震災後しばらく無くなっていた、養殖の筏が増えている。
テラスのロゴは福岡の中川たくまさんがデザインしてくれた。湾に浮かぶ筏がそのモチーフだ。コロナ禍で一般営業は止まっているけど、息を吹き返しつつある感じがして嬉しい。
震災後、陸前高田にはいろんなアイデアを持ち込んでくる人がいたが、現地の人たちにとってそのお相手はストレスだったんじゃないかと思う。
「ネパリ・バザーロ」の土屋春代さんたちのように、来て、自力で必要な人に出会い、そこにあるもので商品をつくって、仕事(雇用)と仕事場を生み出し、販売を重ねて、いまもかかわりつづけている存在は珍しい。隣町の「気仙沼ニッティング」や、内陸の「ファーメンステーション」も、同じく震災をきっかけにして生まれた事業体だ。彼女たちは〝会社〟の使い方が上手だなと思う。
私は年イチのイベントという形で人のつながりがつづく仕組みを講じてみたわけだけど、リミッターを設定してあって「箱根山学校」は来年の第10回で一区切りになる。その先はまだわからない。終わりは大事。終わることで始まることがあると思う。
9月◯日
渡り鳥の動画に胸を打たれる。先頭が入れ替わってゆく様子など。
https://twitter.com/dfuji1/status/1706157113318556069
海側から遠野へ移動して、昨年の「どう?就活」の仲間、スティルウォーターの4人の女性たちや松山剛己さん等とクイーンズメドウで3日間すごす。ここは最初からずっと松山油脂のシャンプー類を使っているのだけど、その「Mシリーズ」は会社を引き継いだ剛己さんが初めて手がけたプロダクトだった、という偶然に本人がすごく驚いていた。
良質な定番商品をつくって長く社会に提供しつづけるのは、〝会社〟の大事な働きだと思う。
フランスから帰国した田瀬さんも来て、土産話をたくさん聞かせてくれた。
荒川高原牧場でむかえる夜明けは初めて。朝はもう朝ってだけで素晴らしい。しかも毎日くり返されている。
賑やかな友人たちが帰った夜、遠野に移住した福田さんの誕生日を祝って数名で食卓を囲む。「こんな日が来るなんて…」と思っている人が多かったと思う。
食べ終えてまた荒川高原へ。満月のあかりで草原を歩いた。馬は朝と変わらず草をはんでいる。歯で草をちぎる音が聞こえる。夜にとけてしまいそう。みな無事に戻った。
9月◯日
新しいメンバーを迎えて「インタビューのワークショップ」が始まる。このことは10月編で書こう。
今月と翌月は複数のワークショップがつづく。ワークショップをひらくと、仕事でも近所でも会わない人たちと出会う。そして「こんな人がいたんだ」と思い「みんな一所懸命だな」と思う。
この月の感想を一言で書くと、人は人を求めているんだなということ。人生の登場人物が増えてゆくのは面白い。