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1月のふりかえり|「いろんな人生がある」という一言にしてしまうとつまらない

半年分たまってしまった…。1月は前月の「どう?就活」や年末のワークショップを終えて、一息付いていた頃だ。

1月◯日

能登の震災から5日目。イタリアの緊急避難所のツイートを読んで動揺する。

少し調べると、イタリアに限らず台湾や他の国の避難所も進歩していた。「災害大国」って誰が使い始めた言葉だっけ。13年前の東日本大震災と、なにも変わっていない(数ヶ月後、変わっていないどころかさらに悪くなっている実態を知る)。
日本社会の停滞や凋落を嘆く声は多いけど、私にはこの避難所の件が、これまででいちばん堪えた。

より我慢強い人が、なんとか生き延びてゆく社会のしんどさが強まってゆく一方。試験の「解ける問題から解く」やり方は社会課題に適用していいんだろうか。解けない、手が届かないという理由で後回しにしていると、ひたすら好きなようにされてしまう。

このふりかえりは7月に書いている。先日「東京の緑地の歴史」に関するツイートを連投した。

東京の緑地保全については、最近だと…といっても70年ほど前のことだけど、東京都の石川栄耀(都市計画課長)が大きなプランを描き、念入りに法制化まで行っている。が、いろいろあって実現には至っていない。

彼は55歳で書いた『私達の都市計画の話』(教科書副読本)に、「結局大人は駄目でした。子どもたちこそ明日の日本の建設者です」と書き残している。
目がよく利いて力もある先人たちが、手を尽くしたその先で、あきらめたり、次の世代にゆだねたり、人によっては自死を選んでゆく姿を私たちは見てきた。勝ち目のない負け戦をどう生きる? という問いが長い。

1月◯日

『JFK/新証言 知られざる陰謀』をみて滅入る。軍産複合体やCIAの粗雑な隠蔽ぶりが。つまり隠そうともしていないというか、メッセージはあからさまな「俺たちに従え」で、それを教え込むべくパレードなんていう人々の祝祭の舞台を使ってくる。本当に屈辱的。なんて惨めなんだろう。

ガザ、ウィグル、香港、チベット、そして沖縄も。物事を力づくで思い通りにしようとする勢力にやられっぱなしだ。望むのは勝つことではないので、最初から戦いにすらなっていない。

1月◯日

6年ぶりに向谷地生良さんと会う。来月遠野でひらくワークショップ「ハヤチネンダ」でみんなと読むインタビューの作成が主目的。
上野駅のアフタヌーンティーで、「べてるの家」の弔いの様子や、最近お考えになっていることを、たっぷり聞かせてもらった。

閉店時刻になり店を出て、構内の柱の陰でしばらく立ったまま話し込んだ。向谷地さんももう少し話したそうではあったけど、「お疲れでしょう。宿に戻って寝て!」という気持ち。駅前の横断歩道を渡ってゆく後ろ姿を見送る。
そのまま正面の食堂に入っていった。お腹すいてたんだな…。食券を買う姿を遠くからしばらく眺めていた。別れがたい。

1月◯日

短い日記を書いた。この社会について本を読んだり勉強したその先で、「解説者」にはなりたくないと思う。

1月◯日

神山の友人からコピーライティングの相談があり、オンラインで打ち合わせる。
言葉は貨幣のように流通するので、見た人が頭や心で復唱して、他の人に伝えたくなるデザインが大事。でもその流通性の暴走が、SNSの厄介なところか。

1月◯日

約1年前に亡くなって、夏に偲ぶ会をひらいた岡田晴夫さん(サウンドバム)をふりかえる短文をようやく書けた。

死の受容に時間が要るのは友人も同じで、人はその家族だけのものではないと思うから、昨今の密葬や家族葬の流れは寂しい。
政策として核家族化を進めた人たちは、国内の市場拡大と同時に、数十年後の夢の島や街角の空き家や、数十年後の葬式の情景も思い描いたかな。

有名な人が亡くなると、その人との思い出や写真の投稿でSNSのTLが埋まる。で、わりと早く収束する。これも寂しいというか、つまらない。

一人の人間が、その人なりの想いや期待を抱きながら、周囲の人々とかかわって、生きて、どこかのタイミングで逝く。そのことにあまり瞬発的に反応したくないし、過剰に重く捉えたくもない。
生まれたときは祝福するのに逝くと悲しむって、この世にいる側の勝手すぎない?とも思う。そんなことを考えながら来月の「ハヤチネンダ」の準備が進んでいる。

1月◯日

筑摩書房を訪ねて『東京の生活史』を編集した柴山浩紀さんに会う。スモールタウン版にあたる「駒沢の生活史」というプロジェクトを今年進めるので、ご挨拶を兼ねたヒヤリング。

生活史の面白さは、「いろんな人生がある」という一言にしてしまうとつまらない。それぞれの人生が数限りなくあることがわかってくる面白さは、大学生の頃の配達のバイトの、冷蔵庫の搬入とかで、まったく知らない人の家の中に入ったときの感覚と似ている。「こんななんだ…」という。

柴山さんは存在感が面白かった。頭で話しているというより、感覚の表出に言葉が付随している感じ。「只者でなかったなー」と思いながら帰り、後から、近年数々のヒット作を手がけてきた編集者だと知る。数年前に読んで驚いた本間陽子さんの『海をあげる』も。

1月◯日

『小山さんノート』の展示を見に代田橋へ行くと、会場の書店「エトセトラブックス」そのものが面白かった。棚にはフェミニズムや政治・社会に関連する本が多い。初めて見る本がいっぱい。レジと並んで少し机があり、2人の女性が働いていた。その雰囲気がとてもよかった。「私たちのお店です。どうですか?」という感じ。楽しげで、誇らしい。

お店をひらくことは、街角に立って歌い始めるのに似ている。誰一人立ち止まらないかもしれないし、そもそも誰からも頼まれていない。
私には「会社」が〝文化的な傘〟であって欲しい気持ちがあるのだけど、ここにも素敵な傘がひらいてるな…と思いながら店を出た。

その足で「カーネーション」のアニバーサリーライブへ。背筋を伸ばしてスティックを落とす鈴木さえ子のドラミングに不意打ちされて、涙が出そうになる。40年前、青山タワーホールのコンサートで蓮實くんと会ったのを思い出した。
歳を重ねるって、一つにはこういうことなんだな。なにを見ても誰かを思い出す。その誰かはもう亡くなっていることが増えてきた。

1月◯日

群馬県の朝鮮人追悼碑撤去のニュースにうんざりする。まわりに立たされた警察官も気の毒。

「国ってなんだろう?」ということを考えている。この頃読んでいるのは片岡義男の『影の外に出る』や、SUREの『オバマのアメリカ合衆国、私が生まれた日本/室 謙二』。
店や会社と同じく国も〝文化的な傘〟であって欲しいが、入りたくない傘もある。そもそも私たちには、国を自分たちの力で「国」にした経験がない。

1月◯日

若い友人たちを訪ねた流れで、ランドスケープデザイナーの田瀬理夫さんが若い頃に手がけた「平塚ガーデンホームズ」を見に行くことができた。ちょうど築40年の集合住宅。そこにいつまでもいられる感じ。帰りたくなかった。

平塚の友人たちは、同じ建物や道沿いに住む人同士で気持ちよくつながった日常を送っていて、暮しやすそうだったし、安らいでいて、オーガニック(有機的)な印象があった。
年末のクイズ大会や、みんなで1年を振り返るイベントが楽しくてしょうがないという。心から「いい」と思うことを身近な人とたっぷり共有していて、街をよく使っている。

こういうのを「クリエイティブだね」って言うんじゃないか。