12月のふりかえり|誰も彼も精一杯やってこのありさま
サクッと書きたい。
12月◯日
久しぶりに『PET』(三宅乱丈)を読み返し最終巻で泣いた。ストーリーは重厚で、切ない。
『PET』には「人間は記憶によってなんとか生きている」という人間理解がある。記憶には、その人を支えつづけるそれと、痛めつづけるそれで出来ている場所があり、「ヤマ」と「タニ」と呼ばれている。この物語では、そのどちらを損なっても人は壊れてしまう。
〝記憶〟が人が生きてゆくことを可能にするのなら、たとえば記憶障害を抱えている人の生の実感はどうなんだろう。最近「インタビューのワークショップ」で、自分は現在性に焦点をあてているけど、その私は〝記憶〟というものをどう理解しているのか。
12月◯日
三軒茶屋の生活工房で「どう?就活」。「この3年で、390名とご一緒した計算になります」と担当の中村さんが教えてくれた。
川内有緒さんの、「いま住んでいるマンションの隣の部屋が空いていますよ。誰か越してきたらいいのに(笑)」には驚いた。どこまで開放的なんだ。誰でも上陸可能な島のよう。
でも確かに、近所に友だちが住んでいて、互いの行き来があったり、たまり場的な部屋があると、間違いなく人生は豊かさを増す。公共「的」な空間が同じまちに増えるわけだから。べてるの「コミュニケーションは質より量」という言葉が浮かんでくる。その通りだと思う。
「どう?就活」はこれが最終回で、私は本の執筆に移る。
会場に多摩美上野毛校に通っていたH君が来ていて、主催した展示イベントのチラシをくれた。もう終わってんじゃん!
「福祉工芸研究」。いい切り口じゃないかー。本人は装具製造の仕事をしているという。
上野毛のデザイン科のことは大好きで、いまもよく思い出す。学生の頃に出会い、卒業し、いろんな体験を経た人と再会するのは素晴らしい出来事。
12月◯日
藤野の里山長屋へ山田貴宏さんを訪ねる。たまたま前日に日本建築家協会の環境賞の審査会があって、夜のうちに「〝大埜地の集合住宅〟が大賞に選ばれた」との連絡をもらっていた。めでたい。
めでたい。と思うけど飛び上がる感じではないし、「おめでとう!」というすこし他人事のような言葉が浮かんで来るのは、まずこれは設計チームの仕事を讃えるものだし、そもそも集合住宅の真価は30年くらい経ってみないとわからないよなと思っているからだろう。
自分は生みの親の一人ではあるけれど、育ての親は違うし、本人(集合住宅)は日々育っている真っ最中なわけで、「幸あれ」という言葉がいちばん近い。
12月◯日
長野県立美術館でアートコミュニケーションの講座の仕事。軽井沢から通っている人もいて驚く。長野県は広いなあ。
宿泊は飯室さんの「1166 backpackers」。ほどよく賑わっていて嬉しい。講座のあと、ずっと訪ねてみたかった「書肆 朝陽館」へ。棚に友人の本を見つけると写真に撮って送る趣味がある。
12月◯日
今年最後の「インタビューのワークショップ」で清里へ。会場のハンターホール(清泉寮)は20年前に西原由記子さんと出会った場所で、たくさんの思い出がある。
ワークショップで自分は、目の前の人がきかせてくれる話を頭でわかるのではなく、わからないままわかってゆくような〝きき方〟を提案する。出来事や意味を知的に理解するのではなくて、その周縁に浮かんでくる表現を一緒に味わってゆく〝きき方〟を例示している。
年に何度かひらいているけど、初日は毎回「どうするんだっけ?」と思う。登り口のわからない山や森を前にした気持ちになる。メンバーはもう集まっているのに。
清里から帰る列車で、養老孟司さんの『ものがわかるということ』を読んだ。5日間が後方から照らされる感じ。
簡単にわからないことを、わからないまま、変な言い方かもしれないが、親しくなりたい。
5月のワークショップの告知ページを、3/2に公開した。
ところで清里の後半、ある晩に暖炉を囲んで語り合っていたとき、「このきき方で社会が変わると信じて、つづけているんですよね!」と嬉しそうに問いかけてきたメンバーがいて、慌てて「そんな滅相もない!」と退けた。でもこの問いは、その後もしばらく反芻することになった。
「社会」でなくもっと身近で具体的なもの。たとえば、生徒、家族、友だち、仕事仲間、引いて言えば自分自身と自分の関係は変わりうると思う。でも「社会」は大きすぎる…。いまの社会でいいとはまったく思っていないけど。
M.エンデがあれだけの創作をして、C.ロジャースがあれだけの試みを重ねて、宮崎駿があれだけの仕事量を投じて、それでいまこの社会なんだぜ。キング牧師にしてもフロムにしても、誰も彼も精一杯やってこのありさまなのに、「社会を変える」だなんて脳天気なこと言わないでよ。
その人に言い返したいわけじゃなくて、そんな自問自答がつづいたので2ヶ月経って書いている。
変えられるから行われたわけでも、勝算があったわけでもなく、「やらないわけにいかない」から行われた仕事の数々によって、社会は望ましくなってはいなくても、支えられていると思う。
変えられる気がしなくても、手遅れだと思っていても、やらないわけにいかないことをやるだけのことなんじゃないの? その中には華々しいものもあれば、ごくささやかなものもあるでしょう。いずれにしても、それらによって私たちはなんとか支え合っているんじゃないの?
そんなことを、ここしばらく考えていた。