2022年12月のふりかえり|よく知らないのに親しい人が増えてゆく不思議な仕組みがある
最後の最後でコロナに罹った。いろんな人が言うけど、「どこでもらったのかわからない」。自分もそう。
12月◯日
週末の2日間、世田谷区の生活工房で2年目の「どう?就活」を開催。ゲストのいきいきとした話しぶりに浸る。
大トリの松山剛己さん(松山油脂・マークスアンドウェブ社長)が圧巻だった。自分が頼んでおきながら本番の壇上で「こういう人、いるんだ…」と驚くことがままある。この日もそんな経験をした。
初日のD×P/今井紀明さんのお話もよかった。日々10代の子どもたちの相談支援を重ねているだけあって、もっともらしい良さそうな言葉や、汎用性の高そうな抽象論を安易に口にしない。
彼のような態度・あり方に接していると、ビジネスや政治の世界で大口を叩いている大人たちは、なんて子どもじみていてバカなんだろうって思う。
「SDGs」とか「異次元の」とか、社会記号や大げさな表現を振り回して、チャンバラごっこをしている。「ごっこ」だと思う。触れると血が出る、真剣のような言葉を斬り結んでいない。
フライヤーの絵を描いてくれた「しいきさいこ」さんも来てくれていた。絵本『きいろいカラス』を頂戴する。期待と不安の循環。別々の場所で、別々の人生をおくるわたしたちをつなぐ、きいろいカラスのはたらき。余韻が残る。
12月◯日
某社の働き方改革の仕事で、月イチの関西出張。ハードとソフトをわけて考える癖のある人が少しいて、もったいないなと思う。
楽器や譜面ができたところでそこに音楽があるわけじゃないように、オフィスや制度づくりがゴールじゃあない。「グランドピアノの中に音楽があるわけじゃない」というアラン・ケイの言葉は鮮やかだ。
つくり出したいのは「音楽」なんだから、ハードがどうソフトがどうこう言ってないでまっすぐ音楽を目指すといいし、歌い始めてしまえばいいと思うんだけどな。
12月◯日
関西出張のつづきで京都工芸繊維大学の週末講義。仲隆介先生が十数年招いてくれて、毎年この時期京都に通ってきた。でも彼の退官に伴い今年が最後。今回試したプログラムもあって、手応えもあり、楽しい2日間だった。
考えてみると私は、大学の授業で学生たちに聞いてもらったことを、そのあと本に書いている。
『自分をいかして生きる』に描いた「技術/価値観/あり方」の島の図の初出は多摩美の教室だったし、「私自身ー私ー社会」の図を初めて描いたのは、この工繊大の講義室だった。
当時の学生たちが「ふーん」という表情で聞いていたのを思い出す。大学の授業が、自分のワークショップ(工房)だったんだな。
12月◯日
講義を終えて翌日、仲さんと京北地域の知人宅を訪ねる。初めてポルシェに乗ったけど、「走っている姿を眺める方が快感あるな」と思った。
「後部エンジンなので、アクセルを踏むと背中を押される感じがあるんですよ!」という力説を楽しく拝聴。飛んでゆく景色を眺めながら、いろんな話を交わせて幸せだった。
12月◯日
あまりに動揺して目を覚ましてすぐ検索した。プール通いの影響はあると思う。12月もよく通った。クロールで泳ぐのが気持ちよくなってきた。
12月◯日
サウンドバムの岡田晴夫さんの葬儀。ご夫人が長く通ってきた教会で行われ、家にいるというか、彼女がリラックスしているように見えて嬉しかった。
岡田さんを偲ぶ会は、あらためてサウンドバムなりに場を持ちたい。
12月◯日
今年のワークショップの参加者にパーソナル・トレーナーの仕事をしている人がいて、秋口から相談をもらい、紹介資料のテキストリバイスやウェブサイト用のインタビューを少し手伝っている。
自分はワークショップに来た人と友だちのようになることが多く、実際そう感じているのでいいんだけど、仕事まですることになるのは珍しい。
この日は代官山のレンタルスタジオで1時間ほどのセッション。彼のワークはストレッチ系(…よくわかっていない。コンディショニングに通じるものがあるかな?)で、筋力系ではない。
10月に穂高でひらいたワークショップのメンバーがその近くで忘年会を開いてくれて、少し顔を出して帰る。それほどよく知らないのに親しい人が増えてゆく、不思議な仕組みがある。
12月◯日
朝の便で鹿児島から飛んで来た坂口修一郎さんと、ご飯を食べ世間話を交わす。彼は東京の家を売って、今年から本格的に鹿児島に人生の軸足を移した。
この少し前、彼が仲間たちと10年間つくり上げてきたコミュニティ・フェスティバル「GOOD NEIGHBORS JAMBOREE」の本が完成して届いていた。自分も短文を寄稿している。
コロナに突入した最初の年、つまり2年前か。徳島の山あいで「うー」と閉口していた自分は「MEETING」というトークプログラムを始め、その6番手で坂口さんの話をきいている。このときの「GOOD NEIGHBORS JAMBOREEが自分自身の再生に必要だった」という彼の話は、いまも温かい塊として胸の中にある。
MEETING #06 坂口修一郎さんと、〝自分の仕事〟の話
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久しぶりに会って、別れると、いつも後で「本当はこんな話をしたかったな」と思う。こういう本番に弱い。
12月◯日
冒頭の「どう?就活」に会場参画できなかった玉置さんが気の毒だったのと(陽性判定が出て会場に来れなかった)、それもあって彼女たちの良さが全開しなかった残念さがあり、アフタートークを持ちかけたところ、新メンバーの村田さんや生活工房・中村さんも交えた90分トークが実現して、素敵な師走のひとときになった。
MEETING 番外編 「どう?就活」Vol.2 stillwater additional talk|玉置純子・白石宏子・青木佑子・吉倉理紗子・村田麻美 × 西村佳哲・中村幸
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素晴らしい奇跡の連続。「どう?就活」の当日、「会社ってなに?」という私の問いに、彼女たちの誰かが「信頼できる仲間がいるところ」と答えた。stillwaterに幸あれ。
12月◯日
清里/清泉寮で今年最後の「インタビューのワークショップ」を開催。各地から集まった7名と、4泊5日の年末を歩く。
今年は合宿版の「インタビューのワークショップ」がリスタートした年になった。恐る恐る2年半ぶりに6月にひらいて、気がつくと半年で7回もやっている。
「インタビューのワークショップ」が再生した年になったなあ。
自分はこの仕事が好きで、納得度も高く、情熱もあるから、逆に「もしできなくなったらどうしよう?」という怖さがあった。このプログラムを初めて試みたのは2009年の京都精華大/市民講座で、その後何年か経った頃から、次第にそんなことを思うようになった。
身体的トラブルなどいろんな原因が考えられるが、いちばん怖いのは自分が「飽きてしまう」ことで、そうなったらむろんつづけられなくなる。頼まれてやっている仕事ではないから。もし、実は飽きているのにつづけていたら、不一致感が溜まって、すぐダメになるだろう。
「飽きたらどうしよう」「いや飽きない飽きない」と胸の中で呟きながら、回数を絞っていたのが数年前。でも頭で心配していても身体にその気配がないので、「これは飽きないのかも?」と思い始めた頃、コロナ禍に突入して「もう二度とできないのかな…」と絶句したのが3年ほど前。
オンライン版の進め方を思い付いて光が見えたのが2年前。「これは飽きようがない(構造的に)」とわかったのが今年の夏。そして「飽きたら次に行けばいい」という言葉が口から出たのが今回だった。確かに。どんなに好きでも、握りしめない方がいいわな。自由に生きよう。
清泉寮のハンターホールは西原由起子さんと出会った場所でもある。Tグループ以外の滞在は初めてだったが、年の終わりというタイミングを含み「インタビューのワークショップ」に最適だった。メンバーもよかった。
12月◯日
八ヶ岳から戻ると数日前のクリスマス感は一切なくなって、街は大晦日の空気。ルヴァンに寄って年末年始用のパンを受け取り帰宅したが、夜から咳が出て、崩れるようにコロナで寝正月になった。
ワークショップの他のメンバーは元気っぽい。どこでもらったのか、さっぱりわからない。