MEETING #02「ベーシックインカム」と「なんのための仕事?」の話|山森亮さん × 西村佳哲 [録画データと、あとがき]
上の写真は『お金のために働く必要がなくなったら、何をしますか?』(光文社新書/2018)の口絵より。2016年5月。ジュネーブの広場で、ベーシックインカムの賛否を問う国民投票(スイス)の際につくられた「世界最大」のポスター。
5月に「078KOBE」のイベントでご一緒した、京都・同志社大の山森亮さんに声をかけて、7/1(水)の夜に「ベーシックインカム」をめぐる時間を持った。開催意図はPeatixのイベントページに書いたとおり。
あの日、山森さんの話をうかがいながら気づいたのだけど、「ベーシックインカム」はそれ自体の是非や適否以上に、補助線として引くことでいろんな話が浮き上がってくる面白さがある。例えば先の書籍タイトルの問い、「お金のために働く必要がなくなったら、何をしますか?」とか。(Peatixページより)
「078KOBE」では15分版だったベーシックインカムに関するベーシックなレクチャーが面白かったので、「もっと聞きたい!」と思い、まず半分くらいの時間でじっくり聞かせてもらって、残り半分くらい語り合えれば...と考えていたが、レクチャーだけで満90分に(それだけの内容があった...当たり前ですね)。語らいまで含めると全体で2時間少々になった。動画を公開します。
あとがきを少し。
冒頭で質問させてもらったが、山森さんは大学に入る前に、少し建設現場で肉体労働を体験している。日雇いで働く人々と出会い、優しさに触れ、自分以上に頑張って生きている姿に感じ入りながら、でも、その彼らに対する社会の眼差しの冷たさにやりきれない気持ちがあったそうだ。
「本人の力の及ばないところで、生きる糧を失ってゆく路上生活者たちの、その状況を変える方法を探したかった」「それで経済学へ」と恥ずかしそうに語る姿を見ながら、彼が語る「ベーシックインカム」の射程には、いつもその人たちが含まれているんだなと思う。
自分は最後の方で、「でもなんで〝お金〟を使うんだろう?」と話している。
ベーシックインカムの基本的な理念はわかる。いまの社会で〝お金〟は酸素のように必要なものなのに、偏って存在していて、空気が濃いところと薄いところがある。そしてその不足から、文化的な生活もへったくれもない状況に置かれている人が数多くいる。
まず生活基盤の底上げをしないと......という話はわかるのだけど、なぜそこでまた〝お金〟を使うんだろう。資本主義が内包する奴隷制は、その〝お金〟で制御されていると思うので、不思議な気持ちになる。
フィンランドで実施されたベーシックインカム実験(2017-18)の最終報告書が先の5月に公開されて、よく言われる「お金を配ると働かなくなるんじゃないか?」という見解と逆に、対象となった失業手当受給者・2000名は年間で6~13時間多く働いたことがわかった、と聞いてもやっぱりなんか面白くない。
結局ひとがより「働いているか、お金を使って生きている」ことが望まれるんだな。望みたいのは、社会全体の居心地がよくなることにみんなが時間を使えるようになることなんじゃないの。そもそも〝お金〟で解ける問題なんだろうか? という問いが、まだ残っている。
アメリカの公民権運動の中で、1963年の「ワシントン大行進」につづき、1968年に「貧者の行進(Poor People’s Campaign)」が行われたこと。
しかし、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアはその直前に暗殺されて、この機会に「所得保障(Guaranteed income)」の社会提案を準備をしていた各地のメンバーも、出発日未明にアメリカ全土で逮捕されたという歴史を今回はじめて知った。そうまでして守られているものは、なんだろう?
〝お金〟の特徴はその可変換性にある。間にお金を挟んで数値化することで、異なる価値の交換を非同期的に可能にする。
ベーシックインカムは〝お金〟によって拡大している問題を、〝お金〟で解決しようとしている。けど、価値そのものをもっと直接的に供給出来ないものか。たとえば公共の住宅整備とか...といった話を当日山森さんと交わし、アフタートークではイギリスのハウジング・コープの話も聞かせてもらった。
より直接的な価値はなにかといえば〝時間〟だと思う。その〝時間〟を、お金以外の手段でつくる方法を考えないといけないし、試さないといけない。山森さん。たくさん教えてくださって、ありがとうございました。
*次の「MEETING」は2020年7月18日(土)15:00から、慶應大学SFCの石川初さんと「オンライン授業の授業」。