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西原由記子記念講演会から[中編]|自分の人生をかけて僕に向かってくれたあれを、電話してくる人に対してもやってる

上:「ワークショップフォーラム g」(2009)より
前編はこちら

第11回「西原由記子記念事業講演会」の抄録を削らずに載せています。中編は丸々1本、橋本久仁彦さんの語り。お元気。よく喋るよく喋る。>(約8,700文字)

橋本さんは出先の糸島から

橋本 由記子さんは、僕にとっては40年前、1970年代ぐらい。僕学生で。そのあと高校の非常勤講師になって「教えない授業」というのを20代、一所懸命挑戦してました。
そのときはカール・ロジャースのパーソンセンタード・アプローチ(Person-Centered Approach:PCA)。「相手中心に聞く」という聞き方を、その道を志してね、やってました。

僕がロジャースに惹かれたのは、「死ぬ人を救う」というよりは、例えばアイルランド紛争で殺し合ってる人のところに行って、エンカウンターグループをしたんですね。
ほんで、相手殺したがってる。目の前に殺したい人がいるのに、話をきいて、ずっとそこに居つづけたロジャースさんの姿勢。それでまずびっくりしました。

すごく命の危険もある。自分の一言で激怒して殺しに行くようなところを、「お前はうちの娘の赤ん坊を殺した。だから許せないんだ」と目をギラギラさせて怒るのを、「あなたは怒ってらっしゃる」という風に言っていくのは、これ僕、日本でやってる〝共感〟ではないように思います。

カウンセラー長いことやってきましたけど、ああいう風に相手に向き合って、差し向かいになって、どんな怒りが出てこようが逃げない。こっから逃げないという覚悟みたいなものを決めた上での共感というのをしている方には、日本では会ったことなくて。
「PCAは日本に上陸しなかった」と、かつて僕の先生方言ってましたけど、僕自身はそう思っています。

なので現在、僕、カウンセラーもファシリテーターの名前も手放して、もういい歳になったから橋本久仁彦という名前だけで本当に相手に向き合うという。これはもう生涯そうしたいと思ってましたから、それやってみたいなと思ってここにいます。

と思っていったときに、西原由記子さんっていうのは、僕にとってはちょっとやっぱ忘れがたいところがある。
先ほど西村さんが本に書いてくれたのを、もうだいぶ前やけど、もういっぺん自分の言葉をね、読ましてもらいましたら、いま思ってるのと同じことを言ってるから変わってないなと。「真剣さ」というのを。

『かかわり方の学び方』(ちくま文庫)補稿より

真剣な人に会うしかない

橋本 僕、20代の頃に、信号待ちしながらいろいろ、人間のこと考えてて。パカンッとこう悟ったんじゃないんだけど、直感があって。
いまもそう思ってるんですけど。人間の問題っていうのは「愛されない」とか「受け入れられない」とか、「戦争」とか「病気」とかじゃなくて、単に〝自分自身に真剣になれない〟ことだと思っています。

自分に非常に真剣に生きてる人っていうのは、障害があったとしても非常にかっこよく生きてますから。存在として切り立ってね。ですので、僕は「真剣さ」っていうのがやっぱりいちばん大事な。西村さんも由記子さんのことを言うときに「真剣」ということを語られたし、本城さんは「真実」ということを語られているのを拝見したときにね、やっぱり由記子さんのバイブレーションみたいなものが、響き渡ってるなと思いました。

僕いま円座というのをやっていて。どんなメソッドも使わずに、ただ立ち向かいになってね。その代わり「真剣に行こう」みたいな。で、真剣に行こうと思うと、相手にいくら共感して肯定しても相手別に真剣にならないからね。共感された肯定されたと思って、いい気持ちになるだけやねん。

それが必要な人はいると思いますけど、それはもうICU(集中治療室)みたいに、本当にもう命の糸が切れそうな人の場合は、本当にそっと共感して大事にするべきです。けれどもそれを一般の人にやってしまうと、相手は真剣になるどころか、いい気持ちになるねん。
ほんで、自己実現に行こう、みたいな感じになるんですよ。

僕にとってあれは真剣さではなくて、欲望が肥大し始めている姿に見えています。で、真剣さというのはどんなふうにしたら通じるかというと、やっぱり真剣な人に会うしかないと思いますね。あるいは自分が真剣にならざるを得ない経験をするとか。
地震だったり、いろんな局面で真剣な行動をした人のことが報道されてきますけれど、僕らはあれをスキルとして学ぶことは無理だと思います。いっぺん相手と真剣にぶつかる、っていうのをやるまではわからへんと思う。

行き着いたのが「いのちの電話」だった

橋本 僕、中1のときに親父を亡くしましたから。うちの家はそれでもうひっくり返ってしまいまして。有名な獣医師だったのが突然死んでしまいましたので、お袋は。僕をはじめに三人残してね、生きていくの大変だったときに、親父が心だけ持っていってしまって。

死なれると心、こうやって触れることができなくなるから、人間関係っていうのがいちばん大事だなと。だから死ぬときにも持っていけるような人間関係というのをハッキリ経験したいなと。高校ぐらいのときにそう思い定めて、大学でも心理をやったり、そこでカウンセリングに出会い。
そしてカウンセリングの勉強に入って、いろんなところへ行きましたけど、やっぱりその「真剣さ」というものをずっとキープしてる場所っていうのは、ないように思えるんだね。

で、そんなときに僕は、「学びの中で〝真剣さ〟どないしたら身につくねん。いくらカウンセリング受けてワークショップ受けて、いろんな人に聞いてもらって、有名な先生に会ったのに、なんか一枚自分が真剣になってない、っていうのをどうしたらいいねん」というときに、新聞で特攻隊の人の手記とか、余命いくばくもない人が死期を自覚したらなにをするか一所懸命そんな研究したりしてたんだけど、行き着いたのが「いのちの電話」だったんですよ。

死のうとしてる人とかかわることができたら、自分自身にそれがわかるんじゃないかという。動機としては不純かもしれないけど。それで僕、最初「関西いのちの電話」の訓練を受けて電話相談員になりました。

探してる気持ちがあって

橋本 いま思い出しましたけど、由記子さんも「関西いのちの電話」の創設メンバーだったと。その「いのちの電話」で体験しつつ、なんか僕、物足らなかったんだね。「物足りなかった」って、電話かけてくれる人というよりは、もっとこう、探してる気持ちがあって。

それで当時「自殺防止センター」っていうのを大阪・日本橋の島之内教会というところでやってると。僕はもうイケイケでしたから。20代の後半ぐらいでしたかね、行きました。

「大阪文化財ナビ」より

「自殺防止センター」は、本城さんの言う通り「なんという不躾な名前だ」と思ってたんです。当時ね、僕はパーソンセンターですから。「そんなもの指示したらあかん」とか「人をリードしたらあかん」っていうのを勉強してましたから。「受けていかなあかん」「全面的に相手を受容するんだ」と思ってましたけど、「『自殺防止』とか言われると死にたなるやないか」みたいな風に思ってたので(笑)、かなりおっかなびっくりだったんですけど、「でも経験してみなわからん」と思って島之内教会に行きましたね。

「関西いのちの電話」ではわりと講義とか、そういう訓練の仕方が多かったです。グループをしたとしてもそんなに徹底したグループではなかった。
で、自殺防止センター。由記子さんのとこでは「Tグループ」メインなんですよ。

僕が何期生か知らんけど、当時仲間たちが5人ぐらいおって。「これから訓練するから、5人で好きなこと喋れ」っていうわけです。由記子さんいま写真見たら穏やかでニコニコしてましたけど、あの頃こんな感じでね(目がつり上がっている感じ)ちょっと怖かったんですよ。「フンッ」って感じでね(笑)。

そんな迫力で「好きなことを喋ってください。私はトレーナーですからオブザーブしますッ」って言って、後ろに2メートル離れたところにパイプ椅子ボンって置いて、バンッと座って、ボード持ってペン持って、こんな感じで「じっ」と見てるの(笑)。

その状況で5人で好きに喋れって言われても、みんな喋られへんよ(笑)。「そんなのいちばんやったらあかんやろ」とか僕思ってて。Tグループ知りませんでしたから「なにこれ」と思ってね。「喋れるかい」と思って黙ってて。で、もうみんな、他の連中も『これ無理だよね』(笑)。
他の連中っていうのは、プー太郎みたいな人とかケバい女の子とか、難波の近くですからいろんなタイプの若者が集まってる中で、後ろでドンってオブザーブ、かな、あれ監視か(笑)、なんかそんな感じやったの。

その信念のところに僕ら来てんねんな

橋本 で、僕はちょっとかじってたから、好きなこと言ってもいいっていうの。『俺、発言せなあかんな』と思って。
『でもホンマのこと言わなあかんわ』と思って。「後ろに座ってる人が、なんかこう、すごいプレッシャーで、漬物石が上に乗ってるような感じがして喋れませんっ」って言ったんだよね(笑)。

そしたら周りの人は『それ言っていいの?』みたいな感じで(笑)。みんな黙るじゃない。
そしたら後ろから由記子さんが、「私は漬物石じゃありませんッ‼︎」って叫んだの(笑)。これが僕のTグループの原体験だから、Tグループのイメージあんまり良くないんですけど(笑)、あのね、まだこんなに生き生き言えるってどういうこと?って思うんですよ。
生きてんねん、あの人。あの人は、聞くべきときに僕ほとんど聞いてもらったことないんですけど(笑)、僕に対してなんて言うのかな。すごいね、正直に来たの。

その正直っていうのも、格好いい正直さじゃないねん。「人に愛を」みたいな正直さじゃないんですよ。「自殺防止センターやるんだっ!」っていう、あの感じなの。

僕にとってのあの時のイメージは、イノシシ。シシガミ。こいつはやばいな…みたいな感じ(笑)。

僕、「この人なんとかしよう」と思って。後ろの漬物石にきいてもらえるつもりだったからね。言うたらすこし通じると思ったら、「漬物石じゃありませんッ!」って全否定ですから。「俺の気持ちはどうなるんや」と思うけど、伝わってくるものがあんねん。
「漬物石じゃない。この人マジやな」と思って。「あれ?」と思って。

聞いてもらうって、いい気持ちになる。それがカウンセリングやろうと。だから僕がグループしたらみんな俺のこと好きになるし、和気あいあいと楽しく、いい場ができる。僕は教師志望でしたから「そういうクラスになるぜ」みたいな感じできたんだけど、違ったね。

だからその後1時間ぐらいは、みんな風圧に耐えたの(笑)。なんか言おうと思っても、由記子さんの殺気みたいなもんが満ち溢れてるからね。しかもその殺気に対してもの言うたらあかんわけ。だからいままで経験した中で。僕たいがいの人といろんな円座してきましたけど、いまでも思い出す、いちばんタフな円座だったね。

それでもその中で1時間経つと、なんかね、その殺気に慣れてくんねん。この人は僕らをずっと見つづけて。害を与えたいわけではない。だからヤクザがメンチ切ってる感じではない。この人の信念で見てて、しかもその信念のところに僕ら来てんねんなって。
なんか自分への再評価が起こり始めて、ちょっとずつそのプレッシャーの下で喋り出すねん。これ原体験ですよ。いまの円座がまさにそんな風になってるから。すごいなと思う。

いつでも相手を叩き切れる姿勢できいてる

橋本 へんてこりんな風貌の男の人が喋ったことも覚えてるんですよ。「僕、いつも寝てる最中に『ガーン』って耳元ですごい音がして。気がついたら目の前に電球があるんです」って言う。「電球は部屋の高さ2メートルぐらいのところにあって、寝ていては決して見えないものなんだ」とかって幽体離脱の話をしてね。で、「そのまま窓から出ていくんだ」みたいな話を聞いて。

僕ら黙ーって応答もできずにシュールにじっとしてて。西原さん向こうから見てる(笑)みたいな不思議な体験だったにもかかわらず、覚えてるからね。無数にエンカウンターとかカウンセリングしたけど、全部忘れてんねん。覚えてんのは、やっぱり入ってきたものやねん。

で、当時「それは相手を傷つけてる」と思ったんだけど、僕は最近「傷」って思ってないんだよね。
傷つけるのは不可能だと思う。人間はぜんぜん別の存在で、まったく別個の尊厳を持ってますから、僕が少々相手に「傷つけよう」と思ったところで傷つくもんじゃないねん。

傷ついてるのはだいたい、言われたから言い返したかったり、西原さんみたいに「死んではいけません!」って言いたかったり、ものすごいパワーでね、シシガミみたいなパワーで、そんなふうにほんまは言わなあかんのに「それ言うたらあかん」と思って抑圧した上で、「自分は相手のこと受け入れる人なんだ」っていう風に別人格をつくった場合に怖いのは、ココが怖いねん。

生きなかった自分自身が、「怖さ」として相手の姿から持って帰ってきてるんだという風に思いますから。
そういう意味では、西原さんが僕に対して真剣にかかわってくれたというか。「この橋本ってやつにはちょっと真剣にかかわっとこう」っていうのじゃないと思います。彼女が自分の人生をかけて僕に向かってくれたあれを、電話してくる人に対してもやってると僕は確信してます。

あの人が「はあはあ」って聞くのは、いつでも相手を叩き切れる姿勢できいてると思います。それをリスニングって言うんだと。ロジャースのやってたのはそういうきき方です。

「私のこと見てくれたから」

橋本 いまパッと思い出すのはロジャース派。当時のロジャースは、資格もなにもなかったから、手弁当でやってた侍みたいな人ばっかりでね。で、ある兄弟のユング派の研究室でプレイセラピーしてました。

で、他動の小学生ぐらいの子どもがおって、プレイセラピーしようという女性のカウンセラーたちをなんか傷つけたりめちゃくちゃすると、暴力的に。だからなかなか対処が大変で、ちょっと参考意見でって色気出したのが、パーソンセンターの遠藤先生って。もう亡くなってますけど、呼んできました。

マジックミラーっていうのがあって。ユング派のあれって、正しいのかズルイのか知らんけどこっちから観察して見るんだね。ほんで、たくさんの女性カウンセラーが行って、その子どもと遊ぼうとしてはうまくいかずにほうほうの体で出てくるのを見てて、「わしが行く」って言ったんだね。ほんでみんな「パーソンセンターの人だから問題ないだろう」って入れました。

そしてその男の子と遠藤さん、老人ですけど、向き合います。で、遠藤先生が「なにして遊ぶ」って言う。男の子はチャンパラで相手叩くの好きですから、パッとこう、ビニールの刀持って。ほんで遠藤先生も勝たなあかん。「よしわかった」って持って、向き合ったの。

で、相手の男の子は「またやったろか」みたいな感じで。それに対して正中線で構えて、しばらくしたら、「チェストーッ!」って。カーンって男の子をパーンッってやったんだね。男の子はびっくりして。刀手放してしまって「あー」ってなった。
で、それ見てたマジックミラーのこっちのユング派の先生方。「えらいことだえらいことだ」「えらいもの入れてしもうた」って騒いだんだけど、なんとそのあとその子どもはね、来るたんびに「あの先生は来てないのか」「あの先生に会いたい」「あの先生はどこなんだ」と言いつづけた、という話を僕は覚えていますね。

ほんでいまちょっと思い出しました。円座を始めて、僕が持ってた団体もいろんな事情あって手放しちゃって、いまそばにいるのは相方の松岡。娘と。芝居してた息子も帰ってきて、いま4人でね、円座で時間内一生懸命かかわろうっていうことをやって。
「時間を守る」っていうのがすごい大事で。この時間内に、相手が泣いてようが、「傷ついた」って言ってようが、もう時間が来たら切りましょうと。そのことを共有してやってるわけですから、カウンセリングというより一つの試合のような形のものをやるのを仕事にしていて。この間、福岡の津屋崎でしました。

うちの息子と娘たちもおってね。で、そこで小学生の女の子が、お母さんがいる前でちょっと真ん中でゴロンって、こう甘えた感じしながら、ちょっと動きをしたわけです。円座の中で。で、子どものやることだから、みんなも「まあまあまあ、よしよし」みたいな感じで大人同士の話を。でも、この子の動きはけっこう目立ってるんだね。

で、うちの息子が「マキちゃんはなに考えてるの?」って訊いた。「マキちゃんはいま、どう感じてるの?」みたいなこと訊いてね。

気になってたけど、こっちで大人の話してましたから、みんな「え」って感じになったの。「子どもに行くんだ」みたいなね。
ほんならマキちゃんは、自分はフリーパスやったのに急に指名されたから、「え」ってなって、お母さんの方を向いて、お母さんの方に帰っていくような感じだったの。お母さんの顔見て「どうしよう」みたいな感じで。お母さんも、ちょっと困ったような感じで。

それに対して大人の反応をわき目も見ずに、彼はもう一度マキちゃんを見て、「僕はマキちゃんにきいてるんだけど、マキちゃんはなにを感じてるの?」って訊いた。

ちょっと部屋の空気が固くなります。だって、マキちゃんもすごく困ってる感じがするわけで、お母さんも困ってる感じがするわけで。そのシーンがしばらくつづいて面白かったですよ。

フリースクール運営してる大人の人がちょっと反応して、「いいじゃないか」みたいな感じのこと言うわけ。「そんなに答えたがってない」と。もう一人、学校の先生が反応して、「マキちゃんはすでに表現してる」とかそんな言い方をして。

で、それを聞いてるはずですけど、彼はその人らをまったく無視して、「マキちゃんはなにを感じてるの?」って、もう1回向かっていったんだね。
あれ、すごい胆力だなと思う。あれはなかなか難しいなと。ですけど大人関係なく、サシでその女の子に向かって行った。

すると、女の子はちょっと彼の顔を見て、一言二言喋ったの。でも饒舌には喋らずに、ちょっと目を向けただけなんだけど。ほんでお母さんのそばに戻ります。で、その場はそのまま終了して次の流れに行くわけですけど、帰るときに、その女の子のお母さんがね「うちの子が◯◯くんに会いたい」と、「ぜひ見送りに行きたい」って車出してくれはって、僕ら全員乗って、近くの駅まで送ってもらったわけですよ。マキちゃん隣におってね。

ほんでお母さんが言うには、「◯◯君、◯◯君って言い流しで」「私はあの人のこと好きになった」とかって言うんだって。
それで僕は、なんでそういう風に好きになるって言えるかなと思って、直接インタビューしたの。「あのとき必ずしも優しい態度ではなかったけど。なんで君は彼に会いたい会いたいって言うの?」ってきいたら、彼女はね「だって、ちゃんと私のこと見てくれたから」って言った。

ちょっとびっくりして。誰が自分のことを真剣に見てて、保護じゃなくてちゃんとこうサシで向き合ってるかというのを捉えてるんだなと思ってですね。その動きと、西原さんの動きであったり、先ほどのユング派の人の動きであったり、ちょっと重なってくるんだね。

「カルシウムがあって、すごい身体にいいんだ」

橋本 ね、なんで重なって。僕、良し悪しは知らんけど残ってんねんで、これは持っていけるねん。死ぬときもこれ残ってんの間違いないと思います。「いろんな経験があったな」と思うときに、この人が出てくるなって。そういう風に自分っていうのは死んでいくんだなと。

うちのお袋がもう何度も危篤になって死にかけのときに、カウンセラーだし、ちょっと話きかなあかんと思ってきいたら、おふくろは語らずにね「怖ない」って言ったの。「思い出があるから怖くない」。そのおふくろのいい思い出は、こんなふうに蘇ってきている人々のことだと思います。

記憶ではなくて、思い出というよりずっと生き生きとした、あの存在感や。由記子さんは亡くなって10年って聞いたら「ちょっと嘘!」みたいな感じですけど。僕、非常に近いですから。
西村さんと由記子さんと東京で会ったときにね、一緒にご飯食べたときに。あの人、モーニングサービスかなんか行って、卵割って、由記子さんカラ食ってん。バリバリバリって! 僕、びっくりして(笑)。

そんなことする女の人おうたことないけど。「由記子さんなんでカラ食べるんですか」「美味しいですかね?」って言ったら、「食べれるよ」って。「カルシウムがあってすごい身体にいいんだ」って言った。これも残ってる。覚えてるやろ。僕はもうびっくりしたね(笑)。これが僕の、西原由記子っていう人の印象です。

それに比べると旦那さんの明さんは、髭の明さんでね、優しいの。もうバランス取ってるのか、明さんに会うと僕はもう癒される。由記子さんに会うときは真剣勝負で、明さんに会うときにはホッとする、というような島之内教会でした。


以上、橋本さんの「西原由記子さんの話」。後編は、本城・橋本・西村の三人で語り合います。(つづく)