問題の本質。その人へのレッテル。

問題の本質。
その人へのレッテルは、本質を突いているものなのか?!


映画「チェンジング・レーン」に気づかされた、俺の本質。
何故、俺は
あんなにも他者を憎んでいたのか?!


昨晩、就寝前に
何気に手に取ったDVD「チェンジング・レーン」
もう、すっかり忘れていたんだけれど
俺は、この映画で気づかされ
漸く、自分自身の呪縛から脱出する事が出来た。


俺の人生の中で、映画から学ぶ事は多い。

当時、接客トラブルに翻弄され
コチラは自社の立場と顧客の利益の為と
その依頼が、どれだけ無駄で危険な物か?!を
理解して欲しい一心で、事実や危険性や自社の信念を語っていた。
しかし、それが伝わる顧客は少数だった。
言葉を尽くせば、尽くす程に、問題の本質とは乖離し
関西で言う ”けったくそ” の問題と化していく。
”この工場は、俺の言う事を聞かない。”
”客に難癖をつけて来る。”
更に理論武装をして、舞い戻って来る顧客。
何故、他所へ行かないのか?
一体、何をしているのか判らない折衝の連続。
ウチでは、やらない、やりたくないと「理由」まで伝えているのに
何故、他所へ行こうとしないのか。
当時の俺には、理解不能だった。

「けったくそ」
「卦体糞けたいくそ」から転じたもので、「卦体」に「糞」をつけて協調していう語。「卦体」は易で、卦に現れた算木の形、占いの結果のこと。転じて、縁起の意となり、慣用句として「卦体が悪い」、さらに「けったくそ悪い」と変化して用いられるようになった。

接客に時間を取られ、作業が捗らない。
精神的にも、不愉快な気分で作業に入るとロクな事にはならない。
ポリシーへの無理解、打ち負かし合戦、
売上の為に、妥協して請けた仕事は
思った通りの危険な結果を齎し、クレーム化して返って来る。
だから、言ったのに!
募る不満と後悔。
何時しか俺は、顧客を怨む様になっていった。

接客については
先輩の知人が
仕事終わりにウチの工場に寄ってくれていた。
その人の顔を見ると、愚痴る様になった俺。
色んなワードで、都度
俺の接客の仕方と、実にならない、冷やかし顧客のあしらい方を
レクチャーされてたが、納得がいかない。
この時点で、俺の方がトラブルを誘発していると評してくれていた。
でも。(この、「But」が良くない)
俺は、間違っていない!
結果が、それを物語っているし
同情してくれる、まともなお客さんも居る。

なんで??
なんで、こんなに
俺にだけトラブルばかり襲って来るの?!

広告宣伝の不特定多数要素と不要な労力の取捨選択の難しさ


その知人は、忌憚なく
俺の未熟な行動を指摘するので
いつしか、アドバイスを貰う立場も忘れて
その知人さえ敵視する様になっていた。
広告を出し、不特定多数を受け入れる体制にしておきながら
その不特定多数に自社のポリシーを伝え、取捨選択しようとする矛盾を
数年に亘り、毎回色んな例を挙げて、説いてくれていたんだけれど。
もはや、俺の耳には入っていなかった。
じゃあ、どうすれば良いのか?!
例えば、百貨店の入り口で
”当店は赫々云々のポリシーで云々!”言ったって
顧客の選別が出来る訳ではないっていうのは理解してる。
けど。
打開策が浮かばない。。
顧客の為を想ってサジェストする。
それを受け入れず、支払おうとせず
コチラの事情なんか無視し
自分の要求を押し通して来るモンスターを相手に。
スペシャルファクトリーでもアドバタイジングは必要なのに。

千客万来か特定顧客への特化か。
大戦争に発展。

今、思い返せば
この頃には既に、”社長病”を患っていた。

資本主義の中
企業は利益を上げないと生き残れない。
顧客サービスの継続の為にも、真っ当な経営をしなければならないのだ。
そのストレスは半端な物ではない。
なのに、それが当の顧客に伝わって行かないジレンマ。

資金繰りに奔走しても
コチラが喜べて、お客さんも喜ぶ
感謝される良い仕事に発展していかない。
勿論、真っ当な依頼が大半だけど
意識は不満足な側に残る。
トラブルになるリクエストは
おかしな流行りに乗じた
無知で危険で違法で儲からない低俗な物ばかり。
俺は、工場のドアを開けなくなった。
Euroの防犯対策の様にカメラ越しに確認しないと
開錠しなくなったのだ。

被害妄想と正義感

前述の映画「チェンジング・レーン」
ひとつの事故が
ストレスを抱えた2人の人生をおかしくしていく。
相手への嫌悪と自分の中の良心との葛藤。
事故はWhiteのエリート弁護士と
アルコール中毒で離婚の危機のEbony Manとの間で起きる。


彼の周りは、彼が酒に浸っているのが問題だと思ってる。
そのレッテルに自分でも
それが自分の弱さだと自覚し、節制に努めている。

それでも、人生は好転しない。
自分の真面目さ故に
物事をMUSTで考える。
自分の「こうあるべきだ!」を他人にも期待し、押し付けている。
起きてしまった事故の処理にも
しっかりと保険会社へ届けるべきだ!と主張する。
正論だ。
事故した双方の争いと工作の果てに
子供の通う学校で逮捕されてしまう。
警察署で完全に嫁さんに絶縁を告げられた夜
アルコール依存のサークルの友人が
俺の大事な友人だからと保釈金を払い
事故相手の弁護士からの策にハマり、投獄された彼を助けた。
なのに、彼は。
事故相手のせいだと、まだ興奮している。
いい加減にしろ!
お前はアルコール中毒なんかじゃない!
お前はトラブル中毒だ!
っと。叫び
去ってしまうシーン。

これは俺じゃないか!?

俺自身が世間のトラブル
自分の気に入らない事象を
自らセンサーを働かせて拾い歩いてた!?

精神的自立と真の優しさと接客と。

自分の気持ちを他者に理解して欲しいのは
誰もが同じなんだろうと思う。
けども、それはお仕着せであっては成立しないんだろう。
人間の印象なんて、自分発信の物より
他者目線で持たれたイメージが殆ど。
「お前は、こう言いたいんだろう?!」って
他者から言われる、思われる様にならなきゃならない。
その行動の中に会話も入っている筈なんだけど。
一見で来る顧客にそれを伝える術がない。



何年アドバイスを貰ってただろうか。
今から思えば、よくも見捨てられなかったと。。
アドバイスをくれていた
某店の量販店長を長年やっていた知人に感謝する。
誠実、真面目さ理由に傲慢だったのは俺の方だった。
自分の強い経営信念と他者への甘えを
MUST思考で、顧客に押し付けていた。
解って貰おうとした挙句「言う事を聞け!」という姿勢だった。
関わらない、請けられないなら、単に「断る」だけで良かったんだ。。
まあ、それはそれで断り方っていうのも問題にはなるんだけど。
特に相手もトラブル中毒化した顧客なら。。



他店で買い物をしていると
本当に言葉数が少なくて、接客の意図を汲み取れない
そんな店員もベテランに多い。
自分のトラブル中毒症状に気づいてない時には
不愛想な店員だ!と怒っていたが。

ああ、これが他者期待してる自分だ!と気づける様になった。

コチラのオファーに「無理ですね。。」とツレない答え。
その理由を幾ら探っても、仕方なく。
無理は事は、無理なんだよね。
そこには色んな理由が潜んでる。
勿論、客側を納得させる事も店員の役目なんだろうけど。
それは請ける側からすれば必須でもないし
理由を言ったからって、客が納得するとも限らない。
顧客の提示した条件では、単に請けられないってだけの話。
そこから顧客も1レベル賢くならなきゃいけない。

真の優しさってお節介の事ではなく
コチラに考えさせてくれるヒントをくれる事。
相手の事情を汲んで、モディファイしたオファーを提案して
請けて貰える場合もある。
「それなら請けられます。」と微笑む店員。
意思疎通が出来た瞬間。
事情を想像出来た自分と
事情を汲んで貰えた店員と。


世の中には
俺が患ったみたいなトラブル中毒患者が沢山居る。
彼らは二次的な病状を抱えている事も多い。
自発的に生み出したストレスで
逃げ場として造り出す別の病状。
世間は大概、そっちを問題視し爪弾きにしてしまう。
何故、その人が真面目で正論を述べるのに
そんな問題行動を起こしてしまったのか?
もう1つ奥の問題を探ってやらないと。
そういう人達は救われていかないのではないかな。。

映画の中では、事故相手のエリート弁護士も
トラブルが大きくなっていく過程で
守銭奴の義父の悪行に気づいて行く。
権力を使って酷い仕打ちをした事に後悔し
和解へ向けて動き出す。。

Fine