Lutraが始まるまで〜自分のことその5 (就活編)
みなさんこんにちは!Lutraのまなみです。今日はなんでLutraしてるの?についての話ということで、引き続きまなみの生い立ちについてお話ししていきます☺️今日はアメリカ留学→日本に帰ってきて最初の会社に入るまでの話です。
どんどんLutraに近づいております!(遡っている!)どれくらいのボリュームになるかはわかりませんが😂どんどん更新してまいります〜🎺
前回はこちらから↓
アメリカでチャレンジしたいこと、生きる意味を見つけた(というよりすがるものを見つけたという方が正しいかもしれません)私は、日本に帰ります。
たった9ヶ月の滞在だったけど、いろんな人がいろんな人生の生き方をしているのをみました。先生も小説家を夢見て毎日小説を書いていたり、40歳になってから留学している人も。なんとなく感じていた、大学卒業して院に行って就活して研究開発職になるという道ではなく、もっと自分らしい道で生きていきたいな〜と思い。卓球の時に味わった才能の限界で苦しむような道ではないところを探し始めました。
就活は、1年大学をお休みしていたので、1年下の学年の人と一緒にスタート。当時は全然気にしていませんでしたが、私がアメリカにいる時にリーマンショックが起きてしまって、新卒採用が一気に冷え込んでいた時でした。
そんな状況でしたが、私は1社くらいなんとかなるだろうと謎に楽観的に過ごしていました。
テクノロジー・アイデアを世の中に出す仕事ーー。決めたのはいいけど、具体的にどうしよう。どう進めたらいいのか笑
ひとまず安易に製造業でグローバルに活躍しているところを探し始めました。理系のビジネス職で、アメリカに行った経験を活かして成長できるところという軸で行きました。
幸い私の住んでいた京都(関西)は製造業がとても多くて、さらにグローバルに活躍できる優良企業がたくさんありました。
私はとにかく受けて受かったところから選べばいいやん!の精神で興味があるところは全て受けてみました(製造業だけ笑 今思えば他の業界も見ればよかったんですけどね)
大阪のP社、S社などみていく中で、せっかく就活をしているのだから、1社くらい東京の会社を受けてみようと思いました。東京の製造業でグローバルな会社・・・ソニーくらいしか思い浮かびませんでした(笑)ので、思い切ってソニーに応募してみました。
みんな有名な企業だったので宝くじのようなものだろう、うまくいかなくても京都の地元の企業で海外と接点の持てるビジネス職目指してやろうと、それくらい開き直ってました。
その結果・・・ソニーから内定をもらい、東京に行くことになりました笑
大阪の企業からも京都の企業からも内定もらってましたが、ソニーからほぼ一瞬で内定連絡が来たのと、何とな〜く自分はここでソニーに行ったほうがいいと直感で思い、東京勤務とは聞いてましたが、このタイミングを逃してはいけないと速攻で決めました。
人生どうなるかわかりませんね笑
当時(今の旦那)私の彼氏は関西にいてほしいと言ってましたが、すっぱり断って決めました笑 余談ですが、その時別れ話したのですが流れて最終的に結婚して今は関係も子どもの両親に落ち着いてます笑 本当に人生どうなるかわからないですね笑
アメリカにいた時やその前は本当に辛かったのですが、日本に帰ってからは全てがトントン拍子に進んで行った感覚があります。神様は誠実に自分に向き合う人を見捨てたりしないんだな、、とあの時もその後も、何回も思いました。だから、私はどんなに辛いことがあっても、不貞腐れたり(不貞腐れる振りはしますけど笑)、今まで自分が信じて努力してきたことをやめたりしない習慣がここでできたかな〜と思います。タイミングは選べないけど、必ず報われる瞬間はくると。
そんなこんなで、京都の外れの普通の学校に通っていた落ちこぼれ卓球女子が、世界中の人が知る日本を代表する大企業に入社することになりました。
次回からは社会人編と言うことで、どのような経験を積んでどのようなことができるかも含めて、自分の素直な言葉でゆっくり書いてみたいと思います。まだまだお暇な時にお付き合いいただけると嬉しいです!
(続く)