病歴60:わがみを もてあます
「痩せたら酸素がいらなくなるんだって?」
そう言った緩和ケア医は悪くない。
見せてくれたカルテには、「説明済み」と書いてあるが、二日前に呼吸器科に受診した時、そんなことを聞いていなかった。
ふた月に一度、在宅酸素療法を処方してもらうために呼吸器科に受診する。
念のためにレントゲンを撮るが、肺炎はきれいにおさまっており、徐々に肺活量も回復してきた。
二日前も「肺炎は治っている」と言われて、次の予約日を決めて、それで診察は終わった。
だから、看護師さんに少しぼやいた。
「肺炎は治っているのに、酸素は必要って、どういうことなんでしょうね」と。
この在宅酸素療法が必要なくなる方法についての助言や指導はいっさい無いのに、医師の態度からは「いつまで通うつもりなんだ」と言わんばかりの圧力をこの数回は感じている。
私だって、好き好んで酸素ボンベに繋がれているわけではないのだ。
重たいし疲れるし行動は制限されるし、嫌で嫌で嫌でたまらないのはこっちの方だ。
その日は運悪く、呼吸器科でも、会計でも待ちが長かったせいか、とても疲れていた。
9月になっても猛暑が続いている上に、仕事が忙しいことや家庭の事情や、いろんな忙しいことが重なって、へとへとになっていた。
そのせいだと思う。
会計後、荷物をしまおうとして、そのまま倒れた。
あまりよく憶えていないのだけど、ストレッチャーで運ばれて、しばらく休ませてもらってから、帰宅した。
その二日後の受診だからか、最初から車椅子に乗るよう、顔なじみの看護師さんに勧められた。
いつものように、車椅子に載せてもらうと、ドナドナの気分になる。50年ものの子牛。とっくに子牛じゃないな。
最初の行先は緩和ケア内科で、上記の一言を言われたのだ。
二日前に意識消失したことを話し、念のために検査を受けることになって、待っている間にどうしても考えずにいられなかった。
私、好きで太ったわけではない。
この病歴にも書いてきたことであるが、神経障害の治療のためのリリカやタリージェで、次に間質性肺炎の治療のためのプレドニンで、体重が増えた。
後者では、昨年、10㎏以上の体重増加になり、なんとかかんとか、6㎏ほどは落として、そこから先が落ちなくて困ってきた。
太った後に、プレドニンは点滴では太りにくいが、錠剤だと太りやすいと聞かされて、とても悔しかった。なんで、ぎりぎりまで、点滴や注射で投与してくれなかったのか、悔しかった。
そもそも、太ったのは呼吸器科の治療のせいではないか。
そりゃあ、もともと美しい容貌であったわけではない。中年にもなった。容姿にこだわるのもおかしいかもしれないけれど。
急に太って、衣服が入らなくなった、自分の容姿がひどく嫌だ。
風呂に入るたび、鏡に映る自分の裸身の醜さが、嫌でたまらない。
食欲が下がっても体重が下がらなくて、悔しい思いをしている。
運動をしようにも、疲れやすく、しかも、酸素ボンベが行動を制限する。
どうしろと言うのか。
考えるほどに、悔しくて、悔しくて。
悲しいのとは違う。腹が立つだけでもない。いやいっそ、腹を立てることができたらよいのに。
プレドニンを処方していた医師は留学してしまったし、今の呼吸器科の医師が何かをしたわけじゃないけれど。
でも、血中酸素濃度が96ぐらいあれば大丈夫って言うけど、安静にしているならよくても、動いたらそれが93とか89とかになるわけだよ。
苦しいのは私なんだよ。なんとかできるなら、ちゃんと言えよ。
言われたら、言い返せるかもしれないじゃない。
どうすればいいんだ、って。
どうしてこうなったんだよ、って。
検査を終えて、再び、緩和ケアの診察になって、私は止まらなくなってしまった。
涙も、言葉も。
私はもう、我慢できなかったのだ。治らない病のこと、自分の容姿、両親と家庭の問題、なにもかも。
実を言えば、一週間以上、ドライアイで涙が出なくて困っていたのであるが、涙でハンカチがぐっしょりと濡れた。泣く時には泣けるんだとびっくりした。
緩和ケアの医師には、後で考えると、もらい事故のようなもので、患者のかんしゃくにつきあわされて気の毒だったと思う。
文句は、やってもいない説明を、「説明済み」と書いていた呼吸器科の医師へ、お願いしたい。
心理士が呼ばれ、精神科も受診し、抗うつ薬が増量されて帰ってきて。
それでも気持ちがおさまらなくて。
家族にも話して、やっと、これは悔しさなのだと認識した。
傷つきではない。悔しさ。
悔しさだと認識したら、自分の中の怒りをかき集め、やれることをやるしかないではないか。
再び、あすけんをダウンロードした。
あすけんの女ともう一度、戦ってやろうではないか。
…自信はないけど、痩せるように努力を更にしようと思う。