ブラームスはお好き? Aimez-vous Brahms?
雨の歌、余韻
9月も半ばを迎えて暑さは幾分和らいだものの、いつ大雨が降り出すかと油断ならないきょうこの頃。季節の移ろいに翻弄されて落ち着かない気分を少しでも鎮めたくて‥
久しぶりにブラームスの「雨の歌」のCDを取り出して聴きました。有名なヴァイオリンとピアノのためのソナタではなく、Regenlied op59 の3、歌曲のほうです。
Walle, Regen, walle nieder,
Wecke mir die Träume wieder,
Die ich in der Kindheit träumte,
Wenn das Naß im Sande schäumte!
雨よ、沸き立つように跳ね返り
水気が砂の中に滲み渡るように
私が子供のころみた夢を
もう一度生きかえらせてくれないか
(吉田秀和氏訳)
クラウス・グロートKlaus Grothによる8節からなる詩はこのように始まります。けっこう激しい雨ですね。でも詩の情趣はむしろ、子どものころの思い出や郷愁につながってゆき、声部の旋律と、雨音を思わせるピアノパートとが相まって、ブラームス特有の切なさが伝わってくるように思います。
CDは、このあとにop59の4「余韻」Nachklang (残響)がつづきます。雨の歌の余韻。2分前後の短い曲ですが、濃厚な不安定感を感じさせ、かなり気になる曲です。
しかもこれに終わらず、さらにもうひとつ、Woo 23のRegenlied 「雨の歌」も忘れずにおこう!
この三つの歌に込められた雨のモチーフ、ブラームスがここまでこだわった理由はなんだろうか‥とても興味深く思われます。曲の魅力やその理由を探り、言葉にする過程で、きっとコアな部分、核心に近づくことができるかもしれません。
クララの手紙
「雨の歌」を含むこの《八つの歌曲と歌》op59は1873年の出版です。思いたって、手元にあるクララ・シューマンとブラームスの書簡集を繙いてみたところ、この年の9月17日の日付でバーデンからのクララの手紙にこの歌のお礼がひとことありました。以下に引用します。
また、Regenlied op59-3の旋律とピアノパートは、ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第一番のフィナーレにも使われていることはよく知られています。この曲の発表は6年後の1879年。同様にこの本からこの曲に関する記述を拾い出してみましょう。
先ず、1879年6月末、ブラームスからクララへ。自信なげな控えめな言葉が彼らしく、微笑ましい。
続いて同年の7月10日、デュッセルドルフのクララからブラームスへ。少し長くなりますが、キーワードとなる言葉が惜しみなく出てきます。
ヴァイオリンソナタ第一番の第三楽章に、"八分音符の運動"とともに現れる件(くだん)の旋律は「私の旋律」だったのですね! 歓喜と哀愁に満ちた「私の旋律」、感謝と感動に高鳴る心。長いあいだ、気になっていた雨のモチーフ、雨の余韻の魅力の理由がここにあらわれていると思います。
では音楽上ではどのようにこの曲の魅力を語ればよいのだろうか。音楽そのものをどう語れば? 次の手紙に手がかりがあると思います。
1979年12月8日、フランクフルトのクララからブラームスへ。
手紙文中の協奏曲とは、ヴァイオリン協奏曲、ソナタとはヴァイオリンとピアノのためのソナタop78のことです。
また当時の名ヴァイオリニストで指揮者でもあったヨアヒムは、ブラームスとは心からの信頼で結ばれた無二の親友でした。
彼らが、"晴ればれと、素晴らしく、耽溺して" 協奏曲を楽しみ、ヴァイオリンのソロではなく、二人でソナタを合奏して、"本当に美しい" と思うさまを生き生きと伝えるこの手紙はなにを示すのでしょうか。
歌曲に芽生えていたあの雨のモチーフ(クララの言う"私の旋律"と"八分音符の運動") が、器楽による協奏やデュオにも引きつづいて流れつづける‥器楽にまで広がりを見せる、音楽の"本当の美しさ"を示す要素、緻密な構成、調和、バランスといったものを必然的に持っていた、持たせている、と考えざるを得ないのです。
この一連の「雨の歌」は、しっかりした骨格を内に持つ、歌とピアノのデュオDUOであること、器楽的な要素と広がりを持つ歌曲であること、この二つを確認して締めくくりにしたいと思います。
写真はブラームスとクララの書簡集です。読み進めると、胸が熱くなる美しい本。
カバー写真の説明に、「クララ・シューマンの押し花帖より。1859年6月3日、英国ウィンザー郊外で摘んだシダー」とある。クララの押し花がなんともかわいいです。
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