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希望に満ちた破綻…れいわ新選組政権誕生と、その先に見える百年の黄昏

序章:歴史的転換点

ある年の総選挙を機に、世界は驚きをもって日本の政治の大転換を目撃した。れいわ新選組が圧倒的な支持を得て政権を握り、野党第一党には同じくポピュリズム路線を掲げる国民民主党が躍進。いまや自民党と立憲民主党は、国民の耳障りのいい言葉を発することに長けた両新党に押され、存在感を急速に失いつつあった。かつて保守とリベラルを代表していた二大政党は“国民の敵”と揶揄され、現役世代からの支持をほとんど失い、支持基盤の高齢者層も数を減らし、もはや影響力を喪失していったのである。

第1章:MMTの導入と「税は財源じゃない」宣言

れいわ新選組の掲げる経済政策の柱として、MMT(現代貨幣理論)の全面導入がはじまった。「税は財源じゃない」「自国通貨建てで国債を発行している国家はデフォルトしない」というキャッチフレーズは、かつての政権が踏み込まなかった大規模な国債発行を後押しする理論的根拠として喧伝された。

  • 減税と大規模財政出動の同時進行
    国債を増発して国庫を潤し、消費税の大幅な減税を同時に行う。その裏付けとして「増発した国債を日銀がほぼ無制限に買い取ればよい」という理屈が広められた。

  • ばらまき政策の数々
    さらに国民の人気を集めたのが各種の“ばらまき政策”だった。子育て給付金や年金の大幅上乗せ、教育や医療費の原則無料化など、魅力的に見える政策が次々と導入され、短期的には景気の底上げに寄与した。

  • 雇用保険・介護保険の国庫負担割合の大幅引き上げ
    雇用保険の国庫負担割合を25%に、介護保険は50%以上へ引き上げ。これも一見、社会保障を手厚くするための大胆な政策として歓迎された。一方で、「財政支出が増えるのに税収は減る」という危うい状況が加速していくことには、当初あまり目が向けられなかった。

  • 富裕層・大企業・優秀な人材への超課税
    格差是正の名目で、富裕層やグローバル企業、さらに海外で需要の高い優秀な人材にも高率課税が課されるようになった。これはまさに“富裕層から国民への再分配”というコンセプトではあったが、やがて経済活動の停滞や人的資本の流出を引き起こしていくことになる。

第2章:ポピュリズム政治が加速する

政権与党のれいわ新選組だけでなく、野党第一党となった国民民主党もまたポピュリズム路線を突き進んだ。「現役世代を第一に」「手取りを増やす」を旗印に、あらゆる分野で大衆受けする政策を打ち出すが、その背景には緻密な財源設計は見当たらなかった。

  • 自民党・立憲民主党の凋落
    かつて多様な主張を衝突させながらもバランスを取っていた自民党と立憲民主党は、現役世代から“既得権益の代弁者”と批判され、国会で声を上げるたびに耳障りの良いスローガンでかき消される。その結果、両党ともに党勢を大幅に失い、ただ過去の栄光だけを語る存在となってしまった。

  • 勢いづく支持率競争
    れいわ新選組と国民民主党は、国民の不満や不安をつかみやすいテーマを見つけるたびに「更なる給付金」や「追加の減税」など、常に“次の人気政策”を競うようになっていった。この争いは短期的には国民の歓心を買ったが、長期的には深刻な財政・経済的問題の兆候をますます増幅させた。

第3章:学術的観点からみた暗い未来の影

1. 超インフレの危険
「自国通貨建て国債はデフォルトしない」という前提は、通貨価値が安定している場合に限る。しかし、過度な国債発行と財政支出はインフレ圧力を高める。特に市場や海外投資家が「日本はコントロール不能な国債発行をしている」と見なしたとき、急速な円安やインフレは進む。もし中央銀行が無制限の国債買い入れを継続すれば、通貨信用が大幅に低下し、結果としてハイパーインフレに近い状態を招いてしまう。

2. 人材と資本の国外流出
富裕層や高度専門人材に対する重税は、初期段階では所得格差を縮小させる効果があると期待された。しかし、継続的な超課税は人材が海外へ流出する引き金にもなった。企業もまた国際競争力を保とうと、税負担の軽い国や、柔軟な経済政策を行う国へと生産拠点を移す。結果的に国内の雇用が減少し、さらなる景気の低迷を引き起こす。

3. 国民生活の持続可能性の低下
増大する社会保障費を国債でまかなうことは、将来世代への負担の先送りとも言える。ばらまきによる短期的な利得は、長期的には負債として積み上がっていく。日本は少子高齢化が進んでいるため、一度大きく膨らんだ国債は減りづらい構造だ。債券市場で金利が急激に上昇すれば、政府の利払いが急増し、財政運営は行き詰まりを見せるだろう。

第4章:数年後、数十年後、そして100年後

  • 数年後の世界(2030年代)
    国債の莫大な発行残高と、それに伴う懸念から円の信用力が低下。海外投資家が日本国債の買い控え・売却に動き、国内でも“円資産の安全神話”が崩壊しかけていた。インフレ率は上昇を続け、国民は物価高に苦しみ始める。大学・研究機関、IT関連企業を中心に高度人材の海外流出が増え、国力の根幹を担うイノベーション分野での国際競争力が脆弱化した。

  • 数十年後の世界(2050年代)
    人口減少と高齢化はさらに深刻化。無計画な財政拡張によるインフレと税財政の混乱の影響で、残された若年世代は過剰な負担を背負わざるをえない状況に陥る。医療・介護は当初こそ充実したが、その維持費の高騰により、新たなサービス開発やインフラ整備への投資は大幅に削減される。このころになると外資系企業の日本離れは加速し、経済の縮小が一気に進行する。

  • 100年後の世界(2120年代)
    自民党が政権を取り戻した時にはもう遅かった。人口は激減し、社会インフラの維持もままならない地域が増えた。莫大な国債と拡張しきった社会保障制度は、次の世代へと重くのしかかる。労働力不足と財政負担の拡大が、ますます国家運営を困難にしていく。もはや“かつての世界3位の経済大国”という日本の面影はない。外国資本や外国人観光客に依存する構造が定着している。少数の若年世代は高齢者の巨大な介護・年金負担を支えることに疲弊し、優秀な人材が海外へ旅立つことが常態化している。

第5章:未来人からの問いかけ

西暦2030年を生き抜いた人々、その中には、れいわ新選組や国民民主党の政策によって一時的な恩恵を受け、楽観的に未来を謳歌した者たちもいれば、その陰で将来への不安を抱えながら苦しんだ者たちもいる。
そして、さらに先の時代を生きる次世代の人々は、こう問いかけるだろう。

「なぜ、短期的な満足感を優先し、子どもや孫の世代の負担を膨らませる政治を選択したのか?
なぜ、責任を次の世代に押し付けたまま、未来を託そうとしなかったのか?」

終章――2030年を生きた人々への恨み、そして次世代を託す覚悟

未来人たちは、2030年代にこの国の舵取りを担った政治家や有権者に対して、こう語るかもしれない。

「あのときの人達が、短期的な快楽と“耳障りのいい言葉”に飛びついたせいで、私たちは今、終わりのない財政と社会保障のツケを払い続けている。
なぜ次世代の責任を見据えようとしなかったのか。」と

現役世代を中心に支持を集めたはずの政権は、「ばらまき」政策によって確かに多くの人に潤いをもたらした。しかし、その代償として、後に続く世代に大きな負債と社会システムのひずみを残したのである。

れいわ新選組と国民民主党がもたらした光は、一時の希望に満ちたものかもしれない。しかし、その先には、暗く重い影もまた忍び寄る。今、私たち一人ひとりが次の世代への責任を本気で考えなければ、百年の未来どころか、数十年先に日本という国はもう原型をとどめていないかもしれない。


「耳障りのいい言葉ばかりがもてはやされ、未来世代への重荷は後回しにされる。そんな社会に生きる私たちは、歴史の裁きと後世からの恨みをどう受け止めるのか。次世代に責任を持とうとしない人達に、本当に日本を託していいのだろうか――。


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