無制限に札刷っていいわけないでしょ!中央銀行と通貨発行の仕組みを再確認する
「政府はお金を刷れるんだから、そもそも破綻なんてしない!」――最近、ネットや書店で見かけるこの“ウルトラ☆ポジティブ”な主張を目にすると、「え、いったいどこからツッコんであげればいいの?」と思わず頭を抱える人もいるでしょう。
“金融リテラシー”とか“通貨供給”とか、そんな理屈っぽい言葉は気にしない! 「借金返せなくても自国通貨だから大丈夫だし!」と強気に押し通すその姿勢は、ある意味「ポピュリストの鏡」と言えます。でも、ちょっと待ってください。政府がどうの、中央銀行がどうのと言ったって、世の中そんなに甘くありません。「自国通貨建て国債ならいくらでも発行できるから破綻しない」なんて話を真に受けて、何の歯止めもなく好き勝手に“ジャブジャブ”国債を刷ったりお金をばら撒いたりしたら、いったいどうなるのでしょうか?
中央銀行は「魔法の輪転機」ではない
日本銀行券、いわゆる紙幣には「日本銀行券」と明記されています。だからといって「日本銀行=政府そのもの」でもなければ、無制限に好き勝手札を刷って配れる、いわゆる夢の機関でもありません。
日本銀行の株主構成は半分以上が政府の出資ですが、それにより何でも思いのままに決定できるわけでもなければ、日本銀行が政府のポケットマネー工場というわけでもない。
財務省とタッグを組んで国債を買い支えるケースはありますが、それはあくまで金融市場を安定させたり、国債の急激な値崩れを防ぐための措置です。たとえば、どこかの銀行が潰れそうになったら最後の貸し手として助ける、いわゆる「日銀特融」の仕組みもあります。が、だからと言って「政府が破綻しそうなら、日銀が無限にお金を出して支えてくれるから、もう何やってもいいでしょ?」などと政治家が宣言したら、誰がどう見てもヤバイ雰囲気しか漂いません。そんなことすれば、ハイパーインフレまっしぐらになりかねない。金融市場も海外投資家も、「あぁ、この国はいよいよタガが外れたな……」とドン引き確定です。
「破綻しない」と「お金に困らない」は別問題
しばし混同されがちなのが、「国債がデフォルトするか否か」と「財政がバラ色かどうか」はまったく次元の違う話だという点です。
「少なくとも自国通貨建てで、日銀が国債を買い支える余地があるかぎり、形式的・法律的にはデフォルトしづらい」これは財務省の見解にも一部見られる確からしさです。(デフォルトしますけど)
しかし、だからといって「破綻しない=政府がいつでも湯水のごとく金を出せる=お金に困らない」とはならない。インフレ率の制御、為替相場の安定、社会保障の持続可能性、そして国民からの信認など、考慮すべき要素は山積みだからです。
経済界やマーケットが「こいつら明らかに歯止めが効いてないな」と判断したら、国債金利が上昇したり、為替が乱高下したり、国内の物価がバンバン上がったり・・・・要するに取り返しのつかない混乱が起こるのです。「破綻(デフォルト)しない(事実上のデフォルトはします)」のと「デタラメやって大丈夫」には、大きな溝があるのです。
そもそも「通貨発行益」はタダの魔法ではない
政府(というより日本銀行を含む“政府セクター”)が通貨を発行するとき、発行コストと実際の通貨価値の差額から生じる通貨発行益というメリットが存在します。これを「シニョリッジ」などと呼びます。
ポピュリストさんは、この通貨発行益を「ほら、だから何でもアリでしょ?」と解釈しがち。しかし、通貨を発行する以上、それは金融市場に流れ出し、インフレや市中金利など、さまざまなマクロ経済変数に影響を与えます。行き過ぎた通貨発行は、経済のファンダメンタルズ(基礎体力)が追いつかなければ、モノやサービスが十分に生産されないのにお金だけがジャブジャブ増え、物価が高騰するリスクを高めます。国内でお金の価値が下がり、国民が暮らしにくくなるのはもちろん、国際的な信頼も落ち、一気にお金の価値が怪しくなる。つまり、破綻とはまた別の意味で「国が悲惨な状態」に陥るわけです。
現実の政治と経済の複雑さは甘くない
「日本は破綻しない」と胸を張る方々は、「それでもデフォルトは起きない」と言い張ります。それ自体は教科書レベルで言えば一理あるようには思えますが、現実の政治運営がそんな単純なら、消費増税や国債発行額の増減をめぐる数々の国会論戦も、マスコミの大騒ぎも存在しなかったでしょう。
実際には、政治家や官僚も「無理して財政を回そうとすれば、その代償はインフレや国債暴落、あるいは円の信認喪失として跳ね返ってくるかもしれない」というリスクを認識しています。だからこそ税金という形で、ある程度の歳入を確保しながら国の支出をまかなう必要がある。
「いざとなれば日本銀行が助けてくれる」ということは、法的には可能性としてゼロではない。が、それにすら限度があり、やりすぎれば信認が損なわれる現実があります。そして、世界中がデジタルやAIを駆使して複雑に絡み合う今、単純な「紙幣を刷る or 刷らない」の二分法ですべて解決するほど、経済も社会も甘くありません。
普通に破綻するし、形式的に破綻しなくても“安泰”とは言えない
「政府が通貨を作れる=日本は破綻しない」という主張だけを切り取れば、部分的・形式的にはそれほど間違っていないかもしれません。しかし、本当に大事なのは「それを乱発したり信用を失ったりしたら、果たしてどうなるか?」という視点です。
そもそも破綻には、財政だけでなく、通貨の信任や物価、社会保障、金融政策など多角的な問題が絡み合います。「日本が絶対に破綻しない」なんてバラ色の結論だけを振りかざして、「消費税もカット! 国債も無限発行!」などとやってしまえば、回りまわって国民生活そのものがズタズタにされるおそれがあるのです。
「いざとなったら最終的に日銀が何とかしてくれるでしょ?」そのいざが来る前に、そもそも信用崩壊と激しいインフレ、あるいは国際金融市場の総スカンにより国民生活が大混乱するシナリオが先行するでしょう。
ポピュリストの口車に乗って「いやー、日本円なんて無限に湧いてくるから最高~」なんて言っている場合ではありません。通貨発行の仕組みは、甘くもなければ無尽蔵でもない。よく考えれば「いろいろリスキーだから、やっぱり慎重にならざるを得ないんだよな」という、ごく当たり前のことを思い出していただければ幸いです。