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【孤独】心の繋がりが健康になる理由、独りとは

私はこの先独りだろうか、不安というものはふと
した時にやってくる

だが安心してほしい
孤独とは何なのか

それが分かれば
少しは不安も取り除けるかもしれない


この世界で変わらないものはない
よく聞く言葉だ
野菜や果物も放って置くと腐ってしまうし
長く生き続ける木でさえも
いつかは枯れて朽ちてしまう

この世界のものは常に変わり続けている
人間もそうだ
もし変わらないのだとしたら
わたしは赤ん坊のままだ
いや、生まれさえしない
産んでくれてありがとう

昨日と同じに見えるこの体も
実は絶え間なく変化している

どう変化しているのだろう
そもそもわたしとは
どこからがわたしなのだろう

何がわたしで何がわたしでないか
それはとても大事なことだ

例えば、目の前の食事
それはわたしだろうか
いや、野菜炒め定食だ

箸でキャベツや玉ねぎ、にんじん等を
持ち上げ口に入れる
それらはわたしだろうか
いや、野菜だ

しばらくしてゴクンと喉を通り
食道を通り、胃に到達する
胃酸は強い、どんどん十二指腸や
その他臓器により
栄養は体へと取り込まれていく

野菜はどこへいったのだろうか
もうすでに野菜というものはない
わたしの一部となっているのだ

野菜とわたしは別々だったのに
今はわたしと一緒だ

つまりわたしだ


少し話を変えよう

目には見えないが
わたしの前には空気がある
前だけではない、すでに囲まれている
言い方がおかしいだろうか

もう一度聞こう
目の前にある空気はわたしだろうか

吸う前の空気はわたしではない
吸った空気はわたしになり
そして吐いて出ていく息はわたし、ではないのか
それは空気ではなく、わたしの吐息と
言ったりもする
おじさんの吐息ですまない

理解は不要だ
わたしが言いたいのは
そうして色んなものが
わたしの体の中を巡りながら
わたしというものを存在させてくれていると
言うことだ

当たり前の事だが、この世界には
木や動物、虫や太陽の光、空気
その他、色々なものが繋がり合って循環し
生きているということだ
わたしは度々その事を忘れてしまう
みんなはどうだろうか

それが人間の孤独とどう繋がるのか

信じがたいだろうが、人間の体は食べ物や空気以外にも気というものが出入りしていると言われている
 ファンタジーだ

日本語にも、天気、空気、冷気、運気、電気、元気
など沢山の気がある
元気があるというのは
自分の体を気が循環しフレッシュになっている
ということだ

自然の中に行くとリフレッシュしたと言うだろう
今回は簡単な説明ですまないがそういう事だ
リとは何なのかはググってほしい
ありがとう

元気とは元の気だ、人間は元々自然と繋がっている
繋がらなくなるから、元気でなくなっていくのだ
ところで、リはググってもらえただろうか
再びという事だ、再び新鮮になるという事だ

気が循環するということは自分と世界は繋がっているという事になる

大自然で生きる少年は元気が漲っている
自然と絶えず繋がっているからだ

私達人間も気で繋がり合っている
 だから、気が合うや、気持ちを受け取る、気分が良さそうだねと、お互いの気が分かる

それは繋がっているからだ

わたしは度々、心が内を向く、そうして
自分だけを見ていると、その繋がりが途切れていく

それは人間関係だけではない
自分が自然の循環から外れると
まわりのものに対して乱雑になる
天気に文句を言い
食べ物の味に文句をつけ
ぶつかったのは自分なのに
タンスや棚を睨みつける
小指は痛い

それが孤独だ

自分しか見えないので
まわりの事を受け入れる事が出来ない
今から自分になる食材も
今から吸い込む空気も
わたしとは違うと
分けてしまう

もしも自分が何者かに食べられる時に
感謝されればまだしも、不味いな嫌だなと言われながら食べられたら、体の中で抗うかもしれない

そんなふうに食べられて、一緒になりたいと思うだろうか
体の中で、その者の役に立ちたいと思うだろうか
わたしには難しい

目の前にあるものは全て私とは違う

どうだろうか
この状態になった人間の
どこが
孤独ではない、のだろうか
わたしの事だ

繋がりを全て断ち

さながら川の流れから隔絶された、岩の窪みにある
水溜りのようだ

水は川の流れにあってこそ綺麗な水でいられる
 循環から外れた水溜りはだんだんと淀んでいき
やがて腐ってしまう、これが病気だ

病気は気の病だ

人間も世界との繋がりから外れると
だんだんと淀んでくる
だがわたし自身も、気付いてはいなかった
繋がりを断って孤になっていた事に

孤とは、孤立や孤独の孤
頼るものがない、そむくという意味もある
言い換えれば、繋がっていないぼっちと言う事だ
同情は無用だ、わたしはどんぐりだからな

自然、というのは自然に循環している
木は酸素を送ってくれる
山は水を送ってくれる
自然界の色々なものは、私達に色々なものを
送ってくれる
色々ありすぎて例えが浮かばない
わたしは馬鹿なのだろうか

とても有難い事、だと思う
それらを、感謝して受け取るだけで良い
しかし孤独な人は、感謝して受け取る事が出来ない
私というものが強いのだ
我が強いという言い方もある
わたしは我が強い
それは人と比べて、という事ではない

我を通すということは、相手を受け入れないという事でもある
わたしにはそんな事がしばしばあった
今でもある

例え話だが、10人の集団にあって
何かを選ぶという時に
わたし1人が自分の我を通したとしよう
たしかに通ったら満足かもしれない
だがわたしは、誰をも受け入れていない
受け入れない人というのは、受け入れてもらえない
 わたしは孤独だろう

家に帰ってからも孤独感が襲ってくるのは
自分が、繋がりを断ったからだ
だがこれは例え話だ
わたしは、無実だ

孤独というのは自分がどれだけ繋がりを断つかと
いう事だとわたしは思う

だから大丈夫だ
この事を知れば
孤独とは何かが分かると思う

1人でいるという事と
独りだという事とは違う
たとえ1人になったとしても
自分が繋がりを断たなければ

自分の心が、まわりを見れるのなら
きっと独りになることはないだろう

それに、たとえ誰かがそばにいてくれたとしても
1人になるのは嫌だと、自分の事を考えれば
心は内を向き、独りになってしまう
寂しい寂しいと

誰かを求めて探すかもしれない
そして、その誰かを見つけたとしても
それは一時的に心がその人の方を
つまり、心が外を向いているに過ぎない
 その存在を失うかもと、また心が内を向けば
繰り返しだ

わたしはそれがダメだとか
悪いだとか
そんなふうには思わない

それが人間で
人間として良いところだとわたしは思う
人間に産まれて良かった

しかしそれが辛い人間もいる
どうしたらこの繰り返しから
出ることが出来るのか
家族や仲間がいても
ずっと孤独の中に苦しんでいる人もいる

だからわたしは届けたいと思った
この記事の内容が正しいか間違いかも人次第だ
そんな考えもあるのかと知るだけでいい
この記事を読んでどうしたいのかは
読んだ人が決めれば善いのだから

ただ、これだけは伝えたい

まわりにいる人や空気、自然、動物、その他色々な
この世界の全ては繋がりたがっているという事を

一緒にこの世界で生きていて欲しいと
わたしは思っている

最後まで読んで頂きありがとうございます

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こくぞう
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