見出し画像

#15 環境を整える仕事(すべての「脇役たち」に捧ぐ)

家事・育児をしながら、
これは「環境を整える仕事」なんだなぁということを、改めて感じてる。

今回はそんな話。


■やるだけでいいって、素晴らしい


子ども頃は、親が身の回りのことをしてくれたから
僕は自分のことをやっていればよかったし、
学校では教材や場所が用意されてるおかげで
勉強や実習をすることができた。

大人になってからも、
外食に行けば、作らずに「食べるだけ」でいいし、
体験教室などは、道具も材料も全部揃ってて
やり方まで教えてもらえるから「やるだけ」でいい。


全て準備してあって、あとはやるだけ。
いきなり本題から入れて、
やりたいことだけに集中できるから楽しい。

準備も段取りもやり方も、
ややこしいことは何も考えなくていい。

それってすごくラク。


以前、木工の授業で習ったことを応用して
家でも何か作ってみようとしたことがあったけど、
準備もイチからやらないといけないから大変で。
道具や材料選びで いちいち悩むし、
迷って決められなくて すぐ疲れるし、
なかなか進まないから全然本題に入れない…。
そんなことがあった。

自分が「やるだけ」の立場だったときは
その辺のことを全然分かってなかった。
イチからやってみて 改めて、
「整えてもらってたこと」のありがたみを感じた。

目立たないけど、
環境を整える役割はとても大切だなと今はわかる。


■自分が「脇役」になることが増えた


僕らは 生まれたときは自分では何もできないから、
自ずと「主役」だった。
大人になるにつれ、できることが増えるほどに
だんだんと脇役に回る場面が増えて、
その割合が多くなっていく。

実家を出て、自分のことは自分でやるようになると、
主役も脇役も自分でこなすことになる。
部下をもつ、親になる、歳上になると、
弱い立場の人をフォローする役割も担う。
「環境を整える役割」を果たすには、
献身(相手ファースト)が必要になってくる。


立場が上になると、脇役に回ることが増えて、
自分が主役に専念する(=誰かに環境を整えてもらえる)ことは、少なくなっていくなぁと感じてる。
社会の中ではだんだんと、主役ではいられなくなるみたい。

僕もそんなことを思う年齢になったってことか。


あるいは、
生きる世界が広がり、登場人物が増えることで
主役でいるのが難しくなるのかもしれない。


家庭でも、仕事でも、どんな業界でも、
「主役」と「脇役」がいて、
誰かが本来の実力・パフォーマンスを発揮できるよう、環境を整え、支える役割の人がいる。

それはあくまで「役割」。
「どっちが上で、どっちが下」ではない。

強いリーダーシップでみんなを引っ張っていくタイプの「主役」もいれば、
まだ未熟ながら「主役」という場合もある。
主役にも色々あるから、
単純にスゴいとかカッコいいでもない。

みんなが「主役」に執着するとおかしくなるしね。


■まだ自分のことで精一杯の人は「主役」でいい


ちょっと脱線して。

これは僕の個人的な考えだけど、
まだ自分のことで精一杯の人は「主役」でいいと思ってる。

赤ちゃんの頃はみんな主役だったように、
まだ未熟だったり、まだ仕事が分からない人は、
「主役」しかできない。
だから「主役」でいいんじゃないかと思う。

子どもに、初心者に、新人に、教えるときは
最初はある程度準備して、環境を整えて、
「やるだけ(=主役)」にしてあげたらいい。


いずれは脇役の仕事も含めて
できるようにならなきゃいけないとしても、
だからって、いきなり全部やらせるかい?

いっぱいいっぱいにさせることが得策だとは思えないし、
最初からアレもコレも求めるのは、僕は違うかなと思ってる。
(相手の性格にもよるけど。)

まずは、本来の力を発揮できるような環境を作ってあげなきゃ、
その子が「なぜできないのか?」は分からない。
それじゃあ 得意も苦手も知ることができない。
相手のことを知れないで、教えるも育てるもないよ。
だから これは、教える側のためでもあると思う。


まずは楽しさや、面白さを知りながら、
やり方を覚えたらいいでしょ。

1つのことに集中できて、余裕が出てくると、
自分なりに考える余白が生まれるし、
自由なアイデアが浮かんだり、それが自信になることもある。

まだ一人前じゃない人が主役でも、
全然変じゃない、むしろそれでいいと思う。


全員には共感してもらえないだろうけど、
それは別に仕方ない。

楽しさから教えるか、大変さから教えるかは、
子育てでも、仕事においても、
意見が分かれるところ。

どれだけ共感を得ても、考え方に筋が通ってても、
教える相手に合わなきゃ 不正解にもなる。


あぁ…変なスイッチが入ってしまった。
今日は教育論を語ることが目的ではないので、
脱線はこれでおしまいにします。


■でも脇役が続くと、たまに嫌になる


今や日常の大半は、脇役だ。
家族のために、誰かのために動いてる。
それなりには役に立ってるはずだ。

おそらく、僕は脇役がそこそこ得意だと思う。
俯瞰で見て サポートをする方が向いてる。
だから、それでいいじゃないかとも思う。


でも脇役が続くと、たまに嫌になる。


たまには
誰かに「サポート」や「環境整備」を任せて、
自分はただ「やる」に専念したいと思うときがある。
たぶんこれが、僕の偽らざる本音だ。


初め(生まれたとき)は主役からスタートして、
人間関係の中で、いつしか脇役を受け入れざるを得なくなって、
必要だから 僕もできるようになった。
ただ 「主役のおいしさ」も知ってしまってるから
脇役でいいやって 簡単には割り切れない。

だから、
脇役に徹することができる人は 本当に尊敬できる。


脇役もしっかりやりながら、
主役をやりたい気持ちも叶える。
あるときは脇役、またあるときは主役。

どちらかに偏らずに、バランスとりながら、
どっちでもいられるのが良いんだろうな。

脇役になりがちな人は、
たまにちゃんと主役扱いもしてもらって、
満たされる時間があっていい。


まぁただ、主役だからといって
他者への思いやりがなくていい訳じゃないし、

感謝もなく、オイシイとこだけ持ってくような、
「勘違いした主役」にはならないように
気をつけないとな。


おわり。

いいなと思ったら応援しよう!