見出し画像

#16 僕の料理の作り方(ラクをするための因数分解)


■僕の料理の作り方

プロの料理人でもなく、
友人に料理を振る舞う機会も特にない、
僕が作るジャンルは「THE 家庭料理」

自分1人だけだと やる気が出ないけど、
食べてくれる人がいるならモチベーションも上がる。

とは言え、僕はココロザシが低い(笑)
「食べられればOK」と思っているし、
本格的なレシピには まだそこまで興味がない。
(腕もない!)

その代わり、
専ら その日その場の思い付きが採用され、
自己流に走りがちなeveryday。

なぜなら、その方が楽しいから!笑

いかに自由に、楽しく作るかを求めてる。
(いかに手抜きをするか?も、よく考えてる。)


これで許されるのも「家庭料理」だからこそだ。


■火が通ってれば大丈夫、味があれば食べられる


もちろん最初は 料理は母に教わったし、
今でもレシピサイトにお世話になるんだけど、

僕は基本 計量をしないし、
レシピの分量をちゃんと見ない。守る気がない。
何を使うか?だけを見て、あとは勘と想像。
そのせいでたまにヒドい失敗をするけども(笑。

セオリーなんかも無視しまくりで、
あまり他人にお見せできるものじゃない…。


それでも作るのは楽しい。
それは、料理について僕がたどり着いた
2つのマインドのおかげ。

・火が通ってれば大丈夫!
・味があれば食べられる!


本当に最低条件のはなし。
でも、これだけ守ってればいいやと思ってから、
かなり気がラクになった。


あとは好きにやってみて、
不味くなることはあっても、大ごとにはならない。
調味料の入れ過ぎと、黒焦げにさえ気をつければ
食べられない事態にはならない。

最低限を知っておくことで、
自分の自由度を上げることができる。


2つめの「味」については、
食べるときに かけたり付けたり調整できるものや、
素材のままで美味しいものもあるから、
メニューによっては
調理工程では「味付け無し」でも構わないんだよな。
(サラダや焼き野菜はこれで問題なし。)


僕の料理を食べるのは 家族だけなので、
家族さえ満足させられればOK。
そう割り切れるのも、気がラクな理由だろうね。


■守らなきゃいけないこと、守った方がいいこと、好きにしていいこと

料理に限らないんだけど、
何かを創作するときや、仕事でも、
僕には考え方のクセがある。
(あまり理解されないのだけれど…)

僕は教わったことを、3つに分解したくなる。

①絶対
 (守ってその通りにしなければならないこと)
②ベター
 (できれば その通りにした方がより良いこと)
③ご自由にどうぞ
 (自分なりに好きにアレンジしてよい部分)


ひとつずつ解説していくと、

①は、法律とか、安全に関わるもの。
基本であり、ときに縛りにもなる要素。
個人や組織にとって「譲れないもの」もそうかな。

料理でいえば、
「生で食べたら危ないものは火を通す」とか、
硬い芯や魚の鱗、腐った部分など
「食べられない部分は取り除く」とか、かな。


②は、コツやノウハウみたいなもの。
最悪やらなくても大丈夫だけど、
やった方が上手くできたり、効率がよくなる類の工程。
かかる時間やコスト、己の技量に応じて選択可な要素とも言えるかな。

料理でいえば、
おいしくするための下処理や、具材の切り方、
さしすせその順番、とかかな。
拘りがなければ、別の方法で代用してもOKなもの。


③は、①と②以外の全部!
自分のオリジナリティを発揮できる場なので、
ここが多いほど楽しく、ラクになるのは必然。

食べたい野菜があるなら レシピになくても使ってよし。
薄味が好きなら調味料を減らしてよし。
未知の味付け・組み合わせに挑戦してみてもよし。
面倒くさかったら手を抜いても全然よし!


何度も繰り返すと分かってくるのは、
①は意外と多くないってこと。
それが分かってくることで、脳内がシンプルになる。


①が分かれば、あとは②か③。
①が少ないほど、自由度が高くなる。
ミスしても大丈夫だし、
ラクを取るか、楽しさをとるか、完成度をとるか、
自分で選べばいい。


■それが自分の腑に落ちる形

その根本にあるのは、きっと
「もっと自分に合った 良い方法はないのかな?」
と常に考えてしまうクセだろう。
物事をそのまま素直に受け止めないとも言える。

言われたままをやるだけじゃ面白くないし、
窮屈に縛られるのが好きじゃない。
「ここを変えたらどうなるんだろう?」という疑問とアイデアが浮かぶと、
やってみたくなる性格のせいだ。

咀嚼して、消化、吸収するために、
「自分なりの解釈の形」を模索してる。

僕が理解しやすいのが、上記のような形だっただけだ。

逆に言えば、
この①②③のポイントが分かりづらい説明をされると、
僕はなんのこっちゃ理解ができない。
理解できるまでは、一旦全部を①として捉えざるを得ないので、
言われたことをそのままをやるしかできない。

それはとってもやりにくい。楽しくもない。


失礼な話だけど、
全部を①のように説明してくる人は、
「好き勝手を良しとしない」のか、
「実はあんまり分かってない」のかな?と
感じてしまうんだよなぁ…。
(まじで失礼)

とはいえ、①②③をきちんと説明してくれる人なんて、いたことないし、
やっぱりこれは、
あくまで「僕が理解しやすい」だけの形なんだろうなぁ。


■本格的にやるのは やりたくなってからにします

料理が本格的になるとしたら、
②の要素を丁寧にやっていくほど そうなっていくんだろうなと思う。
それには正しい知識や技術も必要だ。

さっきも言ったことけど、
どこまでやるかは
「時間」「コスト」「己の技量」との相談になる。


本格的なものは求めないよ!と思えば、
②はやらなくても問題ないし、
考えるのがダルければ、
レシピに沿って粛々と作るので全然OK。

今の自分の気分に合わせて、
やりたいことをやり、
やりたくないことをやらない為に、
僕はこんな因数分解みたいなことをしてる。


独特なのか なかなか理解されないけど、
もしも誰かの参考になれば嬉しいです。


おわり。


いいなと思ったら応援しよう!