【随想】察してほしいvs説明してほしい
察してほしいvs説明してほしい
この戦いは、どうすれば終結するのか。
説明してほしい側の人は、察してほしい側に合わせようとして行動すると大抵「余計なことしないでほしい」と言われる。
だから、そんなリスクを負いたくないので、言われたことだけやっていると「気が利かない」となる。
よって、エネルギーの無駄使いを避けるために消極策で一言言われる又は思われることを甘受する。
一方、察してほしい側は、いちいち言わなくても分かって欲しい。説明するのが面倒くさい。
と思っている。
何なら、このくらい分かれよ。と思っている。
ここまで言えば大体、「察しが」つくと思うが、
私は説明してほしい側で、妻は察してほしい側なのだ。
私の10年以上にわたる草の根運動により、妻は私に対してこの人は察するとかは無理だなと理解して頂けている、と思っている。
そんな、融通の利かない私だが、妻にどうしたら察せるようになるのか尋ねたところ、
無理しないで。と言われた。
まぁ、仕事などでも察する能力は有用なので、と食い下がると、
あなたは、友だちとか好きな人以外の他人に興味ないから察せないと思うし、それで良いと思う。とのこと。
なるほど。
他人に興味。
職場で。
ないなー。としみじみ思った。
面白い人の面白いセリフや行動とかしか興味がない。
仕事中に他人の行動に興味なんて、ほぼない。
そんな風に思って過ごしていたが、
この所、妻に代わって、食事作り、洗濯、掃除、ゴミ捨てなど家事の一部をやるようになった。
すると、少しだが、
察せる!
こんな俺でも察せるところがある!
という手ごたえを掴みつつある。
少なくとも私の場合は、実際にやってみて、いろんな痛みを味わえば、
察するに近づけることが分かった。