【随想】打楽器との出会い
高校、大学の7年間、縁があって打楽器をやっていました。
出会いは、中学生のとき。
深夜番組「イカすバンド天国」という三宅裕司さんが司会をしていた、アマチュアバンドの番組です。
そこに出ていた「GLU」という名前の外国人三人組バンドのドラムが、簡易的な電子ドラムを使っているのを見て、
「これ、やってみたい!」と思ったのがきっかけです。
高校に入ったら吹奏楽部に入ってドラムを叩こうと決めていました。
吹奏楽部が練習をしている教室に中学のときに同じ部活(卓球)をしていた友だちと一緒に行きました。
でも、教室の扉を開けようとした時に、友だちは
「やっぱり俺、卓球やるわ」と言い出し、私ひとりで扉を開けました。
あのとき、扉を開けたのが、私の運命の分岐点だったと今になって思います。
ちなみに、成人した後、卓球部に入った友だちはポツリと「あのとき吹奏楽部に入れば良かった」と言ったことがありました。
二人とも強烈に覚えているということは、やはり、あの瞬間は特別な一瞬だったのだと思います。
教室に入ると「君、中学のとき楽器何やってたの?」と聞かれました。
結局、未経験者は私だけでした。
ドラムは「パーカッション」に入れば出来ることは事前に調べてあったのでパーカッションを希望しました。
希望どおりパーカッションに所属できました。
始めたのは良かったのですが、一人だけ超絶下手くそでたくさん恥をかきました。
でも、そんなことより毎日が楽しかったし、メンバーとたくさんどうでも良い話をするのが音楽と同じくらいかそれ以上に楽しかったです。
吹奏楽部で出会った友だちとは今だに連絡を取り合っています。
皆、才能に恵まれた人たちばかりで尊敬に値します。
私は彼らから沢山のことを学びました。
(なんか、英文和訳みたいな言い回しになってしまいましたが、嘘じゃありません。)
大学に進学し、音楽をする予定はなかったのですが、
知り合った先輩がジャズ研究会に入っているという事で、誘われました。
週一回、たしか木曜日だけのサークルでしたが、夜な夜な先輩の下宿に集まり、深夜まで下らない話をするのが楽しくて仕方がなかったのを思い出します。
結局、先輩たちがいなくなっても、良い後輩が入って来てくれたので4年間しっかりやり通しました。
最後の1年くらいは少しだけ自分の言葉で叩けるようになり初めてきて、知らない人から「ドラムメチャクチャ良かったです。」と何人かから言われたのが、本当に嬉しい思い出です。
(だから、ブルージャイアントのあの熱い感じが少しだけ理解できるのです!)
結局、技術的には中途半端でおわりました。
今になって思うとドラムに対する想いがそこまでだったのかなとも思います。
大学卒業後、1年間就職浪人の末、公務員試験になんとか受かりました。
そこでも、同期と洋楽のバンドをやるからとのことで誘われて、一回だけ人前でやりました。
そこに客で来ていた人が後日、
キャンプに誘って下さり、そのときに来ていたメンバーの一人とお付き合いすることになりました。
それが、今の妻です。
文字通り一枚の扉を勇気を出して開けた先にたくさんの良い出会いが待っていました。
経験なんて関係ない。
やりたいことがあれば、思い切って前に進めば良いことがあると思えるのは、
15歳のときの勇気なのかもしれません。