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自由であることを守ろうとすることがロック

だらだらと部屋で Youtube の動画を漁っていたらたどりついた、Leyona と佐藤タイジの対談。二人とも好きなミュージシャンなのでつい見入ってしまった。

「自由であることを守ろうとすることがロック」

僕はあんまり形容詞として「ロック」という言葉を用いるのが好きじゃないのだけど、佐藤タイジのこの発言は「そうそう、そうだよな」と力強く頷いてしまった。

そして数年前のとある出来事を思い出していた。

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「最近の若い連中は瓶ビールの注ぎ方もわかってねえ」

そんな話で愚痴っぽく盛り上がっていたのは大学時代の先輩たちだった。学生時代にはバンド活動に明け暮れた一方で、バブルの波に乗って一流企業に就職した世代。

やれラベルを上に向けるだの、瓶の底の方を持つだの、その正しいお作法とやらについてあれこれ語っているその話があまりにも退屈だったので僕は思わず口を挟んでしまった。

「そんなのクソどうでもよくないっすか」

気に入らなければ目上の人間相手でも歯に絹を着せられない僕の気質はどうも変えられないようだ。

「お前はわかってない」

それがなぜ重要なことなのか、ということを説明された気がするけど覚えてないな。そんなことを重要だと感じるような価値観とは無縁な自分で良かった、ということだけをただ感じていた。

今でも趣味としてバンド活動を続けている彼らは「ロックな」という形容詞が大好きだ。でも今の自分たちが皮肉にも、ロックとは正反対の言動に終始していることに気付いている様子はなかった。

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ビールなんて美味しく飲めればそれで十分なんだけどな。

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