【ショートショート】ロシアが来た
ロシアが樺太から稚内に侵攻して一ヶ月が経った。
侵攻を受けてすぐ、ロシア側に「最も強い言葉で非難」したものの、
ロシア側の回答は「全く知らない組織だ」というものであった。
ここに至ってもお決まりのやり取りである。
ロシア軍は上陸後、瞬く間に市役所を含む稚内北部地域を占領した。
それに対し、ようやく発出された防衛出動命令を受けた陸自第2師団を主力とする部隊が対応したものの、
ロシア軍はすぐにゲリラ作戦に切り替えたこともあり、
稚内市内の北部と南部で膠着状態となった。
北部の民間人は残らず捕虜にされ、
非人道的な扱いを受けた上、
皆殺しにされたという情報が入った。
米軍は来なかった。
日和見を決め込んでいる。
ついに、石破総理が陸海空自衛隊に総攻撃の命令を発した。
陸自の155mm榴弾砲やMLRSのような大砲が役に立つ日が来るなど、隊員自身思いもしないことであった。
それはピンポイント爆撃などというスマートなものではない。
住民が皆殺しにされた今、敵に恐怖を与え衰弱させれば十分なのだ。
それはまるで、子どもが太いマジックを鷲掴みにして画用紙に叩きつけていくようなやり方だった。
海自は艦砲射撃を行い、
最後に空自の戦闘機や爆撃機による精密な攻撃が加えられた。
その結果、
北部市街地のほぼ99%が焦土と化した。
命令を完遂しようとする日本人の徹底ぶりに世界は震え上がった。
「安全が確保された」北部に自衛隊が入った。
黒焦げになったコンビニエンスストアの中に入ると荒らされたような形跡はなく、
ロシア兵らしき死体とバーコードスキャナを持った店員の死体がレジがあったはずの場所を挟んで横たわっていた。
所謂1000円カットの理髪店には、ロシア軍の制服を着たアジア系の男と白衣を纏った理髪師らしき男性が倒れていた。
ドラッグストア、ホームセンター、公共施設や学校に至るまで同様の状態であり、
どういう訳か侵攻後も変わらず経済活動が行われ、ロシア軍と北部住民が共生していたと思われる証拠が続々と出てくるばかりだった。
自衛隊の上層部は、
北部に在住する約二万人の国民の命を奪ったこと、
人道的な捕虜の取扱いをしていたと思われるロシア軍を皆殺しにしてしまったこと等、
不都合な真実が明るみになるのを恐れ、
この状況証拠を隠蔽することに決めた。
早速命令が下り、
ロシア軍の遺体をトラックの荷台に乗せては軍の陣地があったと思われる場所に置き直した。
この作業は隊員の間で「雪まつり支援」と呼ばれた。
同時に日本人が虐待を受けていたように見せかけるため、
遺体の手足を結束バンドで縛りつけ、
店の壁を重機関銃で穴だらけにし、
ハンマーや重機で家屋を打ち壊した。
この作業は隊員の間で密かに「復興支援」と呼ばれた。
比較的手付かずの森林地域はロシア兵がまだ潜んでいる可能性があったため、
除草剤を散布して丸裸にした。
なお、この作業は密かに「ビッグモーター」と呼ばれていた。
隊員たちはどんな状況に陥っても明るく作業しようと努めるだけなのだ。
災害派遣でのノウハウが活かされたのかは分からないが、
驚くことに一週間足らずで「証拠隠滅」と言って良い状態に至った。
最後に各幕僚長が実行の確認をし、
不自然と思われる箇所の補備修正を命じた。
ロシアの侵攻から二ヶ月程が経過した頃、
石破総理が稚内北部の「惨状」を視察した。
この惨状は世界中に拡散され、
ロシアは完全なる悪となり、
日本は理不尽な侵攻を受けた国であるとともに、
精強な軍隊を持ち、
同時に徹底した虐待を受けた国、
ということになった。
ある意味で自衛隊の完全勝利である。
その後、
アメリカを始めとする世界各国との貿易において関税が大幅に引き下げられたり、
輸出品もほぼ思い通りに売れるようになるなど何をやっても日本に都合の良いことばかりになっていった。
世界が日本を恐れ始めていた。
この戦争の賠償を日本は求めない代わりに、
ロシア側に北方領土の返還だけを求めた。
ロシアは「全く知らない組織だ」と言い続けていたが、
国際社会の強い圧力と生存者ゼロの戦争をした自衛隊の恐ろしさに屈して渋々返還に応じた。
日本は北方領土の返還と同日付をもって、
北方領土を日本から独立させ「漫州國」という新たな国家を樹立させた。
手付かずの自然が多く残る「漫州国」は新たなフロンティアとして日本の傀儡国家となった。
生息者が皆無のため、推測の域を脱しないのだが、
「侵攻したロシア軍」はプーチン政権から逃れるために集まった五百人規模の逃亡兵たちの組織に過ぎず、
事情を知った稚内市長以下北部住民に説得され、
自衛隊総攻撃の翌日に日本に亡命する予定だったのではないか、
と言われている。
ただ、アメリカを始めとする偵察衛星を持つ国々は自衛隊の隠蔽工作を含む、
日本の不可解な行動の全てを見ていた。