見出し画像

来し方を語りたく ⑤


親との関係が良くない環境で育ったことは
私の人生において
一つの 主要なテーマを成す事実だけど


実際のところ最近まで 
私自身はずっと そんな記憶を
『もう過ぎた事』として忘れていた。


今の現行の日常生活でも 
毎日多くの
様々なことが起こるし


もう昔のことだし


それに


どんな家庭でも大体、似たようなものでしょう
と思って。


10代の頃はとくに
同級生たちが
「お母さんとショッピングに行くの♪」とか
「うちのお父さんがさぁ…」とか、


本当に楽しそうに笑顔で話すのを聞いていると
「へぇー、みんなご家族と仲が良いんだねえ」と
思わずうらやましくなる時もあったけど、


でもたいていは
多かれ少なかれ
家族間の確執かくしつって、あるものなんじゃないの?


だって人間だもの。
みつを 
(↑お約束の接尾語)


昔から、いわゆる〈流行はやりもの〉に
あまり心が動く方ではない私は、
世間の話題にうとい。


近年耳にするようになった
『毒親』という言葉は


学校の給食費を払わない等、
世間の常識や、良識をわきまえていないたぐい
モンスターうんちゃら系の別名なのかと思ってた。


家庭外に 非常識という毒を撒きながら
家庭内に 悪影響を及ぼす人種(?)モンスター
のことなのかな…と。


ある日 ネットで
世間の話題に触れるつもりで    
『毒親を持った人の話』の記事を
何となく読んでいた時


読みながら その 
当時子供だった人の体験談に
何かが頭の中に呼び起こされる感覚が続いて


突然


ウッと込み上げるように
鼻先がツンと熱を持ち、
急に目から涙が溢れてきて


それからボロボロボロボロ
涙が止まらなくなって、
息や、胸まで苦しくなって


遠い記憶の彼方から
両親との
ほんとうに様々な 多くの 


いろんないさか
彼らに言われた言葉
されたこと
自分のその時の気持ちなどが
後から後からいて出て来て、


それが呼び水にでもなったのか
他にも
友達など、他の近しい人や
たいして親しい訳でもない人達から受けた
言葉や 態度で、


悲しかったり、
誤解や曲解をされて呆然としたり、
くやしかったりしたことまでが


まるで
「#悲しい思い出」のハッシュタグでいっぺんに
心の中に集められたみたいに


大きな悲しみが洪水のように
せきを切ってあふれてしまって、
自分でも どうしようも出来なくなった。


何これ…何? と
その時も、
自分が示している反応を戸惑とまどって見ている
〈冷静な自分〉も
ちゃんと頭の中にいたのに、
悲しくて悲しくて、涙が止まらない。


頭も 気持ちも 
自分自身にも 混乱した。


それ以降


せっかく忘れていたのに、
普段全く
そんな事考えたりなんかしていなかったのに、


“ フラッシュバック ”
“ 当時の感情のよみがえり(あるいは引き戻し) ”
あのとき本当は、ああしたかった、こう言いたかった…


などの苦しみが
日常的に
繰り返し起こるようになってしまい、


そんな時はすぐに
他のことをするなどして振り払っていたのに 
折に触れ 何度も何度も戻ってきて
それがぜんぜん むことがなくて


「どうやら私は
禁断の果実Eden’s Appleかじってしまったようだ…」
と 半ばあきらめるに至った。


正直言うと
ここまでの強い反応じゃ無くても
似たようなことは
昔からたくさんあった。


けれど私は その都度つどいつも
「最近疲れてるしな」 
「今日は体調悪いのかも」 
「そういえば生理近いな」なんて


いま自分が「こう」なってしまっている原因を
真面目に考えたことなど 全く なくて、


まして
時間をとって自分の気持ちや状態に
わざわざ向き合おうなんて思いつきもせず、
いつも当然のように 無関心に流していた。


(そういう人って多いかもしれないけど、
私も 自分自身に対するシカトレベルは
かなり高い。
たぶん基本的に、自分の事なんて
どうでも良いと思っているから)


気付かなければ そのまま忘れていられたのに
この 自分でも驚いた激しい反応の一件があって以来
なんだかもう 見ないフリも出来なくて、


しかたないので


過去の時間にそのまま取り残されていた、
思い出してあげるどころか
その存在を認識すらしてあげていなかった
〈あの頃の自分〉に
初めて向き合い、
見つめてあげ “始めて” みた。


ある程度その作業をしたらもう大丈夫かな 
と思ったら
そういう訳でも、どうやらないらしく


思い出すべき件数ことがまだあるの?
それとも
そんなテキトーな対応なんかじゃ片付きませんよアンタの問題は。
何年ぶん放置してきたかわかってんの?
ってこと…?


わかりました… もういちど丁寧に、
今度は本当にちゃんと向き合いますよ

文章で振り返り、書き出すことを決心した。
(のでこのシリーズ書いてます。
さすがに全部の棚卸しは無理だと思うけど…)


母はたしかに
優しいお母さんではなかったけど
私たち子供きょうだいみんなに
ひと通りの礼儀をしつけてくれて、


人さまには
きちんとご挨拶をすることや
礼節を示すことを教えてくれた。
(たとえ至らずとも、心を込めて
出来る範囲でするように と)


小さい頃からよく図書館に連れて行って
たくさんの本と触れさせてくれたり、


「◯◯ってなぁに?」と聞けば
たいていは ちゃんと教えてくれてたし


ハワイの親戚から送られて来る
従姉妹のお姉ちゃんたちのお下がりの
ムームーなどの素敵な、外国製の可愛い服も
着せてくれていた。


父は私たちを、映画館に連れて行ってくれた。


子供時代に
『チキチキ・バンバン』
『サウンド・オブ・ミュージック』
『メリー・ポピンズ』
などの作品を観ることが出来たのは、
この上なく幸せなことだったと思っている。


父が大事にしていたステレオセットからは
グレン・ミラーなどのジャズ、
日本語で歌われているシャンソン、
さまざまな映画音楽、
TVではあまり耳にしない歌なども聴こえてきて
私の音楽体験の幅を広げてくれた。


でも彼らは 父の日や母の日に
私が何かをプレゼントしても


「ありがとう」
と明るい笑顔で喜んでくれるのではなく
「なにこれ?」
「明日は雨が降るんじゃないか?」などと 
必ず皮肉っぽく揶揄やゆするのを忘れない人たちだった。


小学3~4年生の時だと思う。
ある日、終礼の時にまとめてテストが返されて
その返されたテストを見ると
4枚中 3枚が100点で
一つだけ 95点だった。


理科か算数で 小数点の計算を間違えてしまい
0.25を 0.025と書いてしまって、5点引かれていた。
(悔しかったので憶えてる)


でも自分では すごくテンションが上がった。
こんなにいっぺんに100点をとったのなんて初めてで
いくらうちの両親でも そこだけは
よくやったと褒めてくれるんじゃないかな って
良い方に予想して、ちょっとドキドキした。


実際は 
家に帰って、親に見せると
嫌な予想の方になり
その 失った5点ばかりを、しつこく責められた。


10代の頃の私は よく部屋で 
イヤホンをつけて
〈体育座りで落ち込んでる人〉みたいな格好で
目を瞑って音楽を聴いていた。


友達から電話があったりしたとき
親はたぶん大声で私を呼ぶのだけど
私が全く聞こえていなかったせいで
ごうやして 怒って部屋までやって来た親に


いきなり背中の真ん中を
足で 思いっきり蹴られたり、


ベッドの上で聴いていた時は
(↑床より安全?と学習した)
イヤホンのコードを 急にブチっと引き抜かれて、
それを投げつけられながら
ついでの様にぶたれたり 
怒鳴られたりして
(あまり差は無いなと新たに学習した💧)


時には友達にもそれが聞こえてて
「大丈夫?」なんて心配されて、
すごく恥ずかしかったりした。
(ケータイの無い時代はいろいろタイヘンだったんです★)


でもその中でも特に
生理の時に 親に理不尽な絡まれ方をすると 
ほんとに最悪で
本当に耐えがたく、辛かった。


頭から布団を被って、固く目を閉じ
このまま何かのさなぎにでもなれたらいいのに
孵化ふかなんかしないで、そのまま固まり続けてもいいから
なんて、切なく願う。


私は泣いたりしなかった。
だって、泣いたら気分はすっきりするものなんでしょう?


涙は目から 血のように
ドクドクと流れ続けていたけれど
それですっきりしたことなんて 一度もなかった。
だから私は泣いていたんじゃなくて
あれは単に 
何かの現象か反応みたいなものだった気がする。


いつだったろう


もうイタリアに住んで何年か経っていた時期、
たしか日本への飛行機の中でも、
強烈な体験をしたことがある。


ヨーロッパから日本へは 
当時だいたい 12~14時間かかっていた。


時々遭遇する 機内で激しく泣く赤ちゃんの声。
飛行機の中の 独特の空気や空間の感じが
不快で 気持ち悪いんだろうな と
可哀想になる。


すぐに泣き止まず
ずっと長く泣いているときは、
その子のお母さんも気の毒になる。


私は普段
赤ちゃんや、2~3歳くらいの小さな子が
公共の場で 大声で泣いている場面に居合わせても


その子がいま感じていて
不快だと訴えている「何か」は、何だろう?
とか
お母さん (大抵の場合、母親だから) は
たまれない思いだろうな… と
同情する気持ちが湧く。


もちろん うるさいとは感じるけど
その小さな子や親御さんに
腹が立つ気持ちは、全く湧いてこなかった。


理屈で自分にそう言い聞かせていた訳じゃなく
単に 私の心には 
怒りの気持ちが、滅多に湧いて来ない。
(↑人それぞれの体質みたいなものだと思う)


その日 その飛行機で
大きな声で愚図って泣いていたのは
赤ちゃんというよりも
1~2歳くらいの、小さい子供。


ずいぶんと長い間 ヒステリックに泣き続けていたけど
やがて泣き止むと


今度は、さっきの泣き声と同じくらいの
大きな笑い声をたて始めた。


はしゃいで、時々まるで、悲鳴をあげるような
更に大きな声も響く。


トイレに行く途中 チラリと見てみると
その子のお母さんが
可愛い良い子ね、とでも言うように
愛おしげに
やさしい笑顔で、あやしている姿を目にする。


その子がはしゃいで、また大きな声を上げた。
その時の母子の笑顔を見て
「うるさいな…💢」
と腹立たしく感じる自分がいた。


席に戻ると
「?」と、違和感を感じた。


だって同じ音の大きさなら
泣き声よりも 笑い声の方が
ずっと耐えられるし、
ずっと好ましいものじゃない?


たしかに泣き声の方は、わりと一定の低いトーンで
それに比べると笑い声は変則的で、泣き声より甲高カンだかくて、
「音」としては落ち着きがない。


それでも そんな笑い声には
大きな鈴が元気に転がるような明るさがあり、
聞いていると 思わず一緒に笑い転げたくなって 
自然と笑顔になってしまう時もあるのに


そのかわいい笑い声の方が、腹立たしく感じるなんて。


「ちょっとヘンじゃない?」
「どゆこと?」
「アンタ、おかしいよ」


私は自分に、そう独言ひとりごちた。


さっきも書いたけど
それまでも何度も、何かに刺激されて
自分の気持ちを奇妙に感じるような、
そういう経験はあった。


でもいつも 深く考えることはせず
すぐに別のことに気を取られたり、
他のことをしたりしていた。


けれど その時は暇だった。
日本への 12時間以上の空の旅、
時間はたっぷりとあった。


自分にそんな風に 疑問を投げかけたあと
ある程度時間が経った、
なんでもない瞬間…


ぼんやりした意識で
うつらうつらと眠りかけていた時、
いきなり頭の中に 言葉が響いた。


「わたしは泣かなかったわよ」


「・・・?」 
その確固とした強い口調に
少し 意識が目覚める。


なぁに?
ワタシハナカナカッタワヨ?


「何のこと・・・?」
誰に聞くともなく、頭の中でそう言った。
そうしたら
それに答えるようにまた、言葉が聞こえてきた。


「わたしは泣いたりなんかしなかった。
いつも我慢してた。
誰にも、ぜったい、迷惑なんてかけなかった。
それなのに
なんであんな大声で泣くような我儘ワガママな子が、
お母さんに可愛がられてるの?


わたしの方がもっと、ちゃんと『いい子』だったよ?
それなのに
私はずうっと悪い子だって言われてきた。
どうして?
おかしくない?……」


たたみかけるように激しく訴えるその声に
眠気が吹っ飛び 目を開いた。


私は、自分とはまったく関係のない、
名前さえも知らない、小さな よその子に
嫉妬をしているらしかった。


泣いたり、うるさくして人に迷惑をかけるなんて
行儀が悪く、常識のない、恥ずべき行為。
それは自分の感情を抑えない、我儘な態度。


私は小さい時からちゃんと
それをわきまえていた。
だから 決してそんな事をしないようにしていたのに


あの子はそんな「あたり前のこと」を弁えず、
あんな大声で
好きなだけ泣いて、


今度は逆に
大きな笑い声でも五月蝿うるさくして、
多くの人に、こんなにも迷惑をかけているのに


どうして
全く怒られも 叱られもせず、
文句も言われず、
お母さんに笑顔で抱っこされて、可愛がられてるの?


私はずっと泣かないという努力をし続けても
何の評価もされなかったのに……


そんな憤り、理不尽さ、
納得のいかなさを 感じているらしかった。


「・・・・・・・・・・・・・・・」


それに気づいたとき、 
愕然とした。


「わたし、だめだぁ」


その言葉が強く、頭に響いた。


泣きそうになった。


このとき私は 
突然 自分のことを 
痛いほどに 
自覚したから。


私は『お母さん』になれない。
なっちゃいけない。
子供なんて、産んじゃいけない……


だって、見も知らぬ赤の他人の、
あんな小さな子に
こんな風に嫉妬してるんだもの。


私は大人になって子供が生まれても
自分の子には、ぜったい
私が親にされて悲しかったことは
言ったり、したりしない って、
中学生の頃から 固く決心していた。


でもだからこそ たぶん
いや、 
きっといつか
「あんたは幸せね」って、
自分の子に対して思う。


そうしたらなにが起きる?


きっと、ねたましくなる。
うらやましくて、憎らしく感じたりする。


それでなくても 出産や子育てって
自分の能力の 
100% どころか
150… ちがう、200%くらいを
無理矢理にしぼり出して、
自分のすべてを捧げ続けなければならない
親としての〈任務〉だ。
(〈責務〉とどっちが適切かな…)


それにもし
夫が私よりも、子供の方を愛して大事にしたら?


私の母は美しい人で、
父はそんな母にベタ惚れだったので
母はいつも私に こう自慢していた。


「お母さんは若いとき
3人の人にプロポーズされたのよ。
お父さんは、私が他の男の人に取られないように
一生懸命だったんだから。
あんたは可愛げがないし、気も効かないから、
きっと誰にもプロポーズなんかされないだろうね」


実際、父は母の言うことは全て肯定していて
私の味方など、してくれたことなんか一度もない。
どんな時でも いつも母の味方だった。


私は10代の頃から
将来、もし結婚して子宝に恵まれても
どうか娘ではありませんように と願っていた。
女の子の母親になることが、何よりも怖かった。


父のように 将来の私の夫が
自分の娘に関心が無く、
いつも必ず 妻である私にだけ
味方してくれる人なら


私の人生は最終的にバランスが取れるはずで、
そうすればたぶん
私も落ち着いて、娘に〈正しく〉向き合えるはずだけど


世間ではそんな父親(あるいは夫)の方がまれだし
もしいたとしても実際のところ
そんな人は まともな人間だとは、
言い難い。


それに


そんな風に私の人生の帳尻が合ったとしても
それで私は本当に、幸福を感じられるの?


私には
父親に全く関心を持たれず、
母親と仲良しでいたいのにそれが叶わず、
家に居場所のない娘の
気持ちがわかる。


仮に満足感が得られたとしたって、
長く続くわけがない。


私自身が 母のように
自分の娘に 事あるごとに侮蔑の言葉をぶつけて
娘に対して優越感を感じることを好み、
それが喜びとならない限りは…


しばらく絶望感に沈み
これから どのように
この世というか、自分の人生と
折り合いをつけていこうかと思う中で、
実用的な回避策、あるいは解決策を思いついた。


結婚なんてしなくてもいい と思った。
一生ひとりでいい。
結婚したら自動的に子供を期待されるし、
私が恐怖する娘…女の子は、
二分の一の確率で生まれてくるもの。


新しい命が自分の中に宿っても
喜びよりも先に
疑問と恐怖に襲われて、
それに怯えるなんて、御免だ。


子供を授かることに
純粋な喜びだけを感じられないのなら
最初から “近づかない” に限る。


そうしよう。


イタリアに住んでいた時
子供ってそういうものだとは思うけど
イタリアで見る子たちって、
本当に子供らしくてかわいいというか


明るい笑顔で 
芯から無邪気で


生きて今ここにこうして居るのが、
嬉しくて楽しくて幸せ!


みたいなオーラを全身から出していて
見ていると思わず
涙ぐみそうになったりする。


まだ日本に住んでいた時も、
小さい子たちが楽しそうに
無邪気にはしゃいで、遊んでいるのを見ていて
時々 不意に
泣き出しそうになることがあった。


実際に
涙ぐんでしまっていることもあった。


子供たちの純粋さや、
無垢な幼さに


大人として 感動したり、
彼らのこの無邪気さを
大切に守っていかなければ… などの想いで
目頭が熱くなっているのだろう と
自分では思っていた。


でも 本当は違ってた。


可愛らしい小さな子たちを
愛おしく、微笑ましく見ていると
急に 
巨大な悲しみが襲ってくる。


いきなり頭から 波をかぶるように。


何も考えず、
ただその子たちを
可愛いなあと見ているだけなのに


どこか遠い…遠い 地底の奥底から


どうして私はこんな子供時代を過ごせなかったの
私はなにか悪いことでもしたの
みたいな


誰も呼んだりしちゃいないのに
頭の中に 勝手に入って来て
そんな言葉を脳裏に響かせてくるヤツがいた。


違うんだ…


感動していたんじゃない、
私は ほんとうは、悲しかったんだ。
こんなにも どうしようもなく。


知らなかった………


これに自分で気が付いてしまってからは
同じような場面に出くわした時
感情の出方が「素直に」なった。


これには良い面もあって、
映像だと 不意打ちをくらうから難しいんだけど、


文章だとある程度
話の流れや内容が推測できるし
勘も働くから、


その時の自分の 心身の体調に照らして
「あ、たぶん今は
(これを読むのを)やめておいた方がいい…」
等と 自己防衛ができるようになった。


私は文章(や映像)内の 「その人」や「内容」に
気持ちが持って行かれる傾向がある。


共鳴して、共振して
当事者でもないのに
一緒に沈み込んじゃう感じ。


きちんと彼我ひがの距離をとれる時もあるけど
意識をしっかりと保っていないと
「持っていかれる」ことが多いから、


「体調」に不安がある時は念のため
もし勘で 危険信号を感じたら
その文章は、読まないようにしてる。


(…という理由で
読みたくても読めていないnoterさん達の記事も
多々あったりします。

もし読めて 
何かひとこと(励ましの言葉コメントとかを)残したくても

結局書けなかったり、
時には スキさえ押すことが出来ず、
そっと離れてしまう時も 実はあるんです。

この場をお借りして、
(当方の勝手な) 事情説明と
お詫びを申し上げる次第です🙇‍♀️)


あの日 飛行機の中で
自分でも気づいていなかった
自分自身の心の奥底に居た一面と出会い、
その姿を確認し、
初めまして と迎えたところで


今はこれ以上、考えるのをやめよう… と
思考を中断した。


寝ようと思っていたのを変更して
呼び出しボタンを押し、


CAさんにワインを頼むと、映画を観ることにした。
いくつもいくつも、立て続けに。


思いがけずに受けた衝撃の大きさに
うっかりと泣き出さないよう、用心するために。


黒くおおかぶさって来るような
不気味な夢魔ムマの影から 
目を らし続けるために。


この時の私の < 自覚と決心 >は
とても合理的で、賢明なものに思われた。


どうせ幼少時から両親にも
お前は誰にも愛されない、結婚なんか出来ない と
言われ続けてもいたし


実際のところ
偶然の一致か、
必然の一致か、わからないけど


気取っている訳ではなく 本当に小さい時から 
“お嫁さん” に憧れもしなければ、
思春期でさえ
芸能人等の男の人たちにも殆ど、
興味をひかれる事もなかったから


それを実行しても不都合はないな、と安心もした。


けれど


この決心の後、しばらくは
男友達たちも含め みんなと程良い距離感を保ちながら
平穏な心持ちで過ごせていたのに


それから数年も経ってから
なぜか 
真剣な面持ちで 何度も
Ti amoティ アーモ と私の目を見つめて言い
共に家族をつくりたい という人が 
目の前に 現れた…


人生って、思うようにいかない。




🌟ご協力のお願い🌟

このシリーズの記事のコメント欄では
私はホスト役をせず、読者の一人に徹したいと思います。

必要と思われた場合のみコメントを書きますが、
基本的に
「コメントどうもありがとうございます」
の気持ちを込めて、
♡マークを押すだけにとどめます。

その点、どうぞ予めご了承ください。

この内容の文章を綴るだけで 精神的に精一杯で
一つ一つのコメントに
きちんとご対応できる自信がないからです。

でもこの記事をきっかけとして
みなさんが感じた事、
思い出した事、
同じような経験、
今の感情や、お考えなどが
心の奥から出て来たら

もし良かったらどうぞご自由に、ご遠慮なく書いて行ってください。

みなさんがそれを書いて下さって、
それを読む人がいて、
経験や想いが
「自分だけじゃなかったんだ」と思えることは、
それだけでも誰かにとっては、救いになると思いますから…





書いたものに対するみなさまからの評価として、謹んで拝受致します。 わりと真面目に日々の食事とワイン代・・・ 美味しいワイン、どうもありがとうございます♡