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くるくる電車旅〈金魚と文鳥〉

やっと途絶えた猛暑日が、わずか二日で復活した水曜日、弥富歴史民俗資料館を訪ねた。
弥富は、金魚と文鳥の産地である。

近鉄、名鉄、JR。名古屋駅からどれに乗ろうか迷ったが、いちばん時間がかかりそうな名鉄で行くことにした。各駅停車の普通電車で、遠廻り。長く電車に乗っていられる。

乗客は、少なかった。
川をいくつか渡ると、窓の外は、市街地から田園風景に変わった。農道を、10人ぐらいの小学生が一列になって歩いて行く。午前十一時。夏休みの登校日の帰りだろうか。半分ぐらいの子が日傘を差している。暑いのだ。スマホのお天気アプリで見ると、現在の気温は36度となっていた。

40分ばかり電車に揺られ、弥富駅に着いた。この駅は、JRと名鉄が共有している。ICカードを二箇所でタッチしないと出られない。そうとは知らず、ウロウロまごまごしてしまい、駅員さんのお世話になった。

駅から資料館までの道は、頭に入れてきた。簡単だ。南へ歩けばいいのだ。市役所のとなり、まちなか交流館という建物の中。
わたしは、8月も終わるころになって、ようやく買った日傘をバッと開いた。歩き出したとたん、汗が噴き出す。
自信があったのに、一度は道を間違えて、引き返すありさまだった。

目的の建物に入ると、金魚の水槽が、ズラリとならんで出迎えてくれた。金魚の水族館だ。ここにあるとは知らなかった。歴史民俗資料館は、その奥だった。

わたしは、金魚の水槽をひとつひとつ見てまわった。

デメキン。
ランチュウ。
リュウキン。
ジキン。
ワキン。
オランダシシガシラ。
コメット。
ハマニシキ。
サクラニシキ。
などなど。

目がとび出ていたり、背びれがなかったり、お腹が異様にふくらんでいたり、背中に大きな瘤があったり、尾ヒレがひらひら胴より長かったり…… 人工の美しい奇形の魚たちをながめていると、いつか読んだ小説、岡本かの子の「金魚繚乱」を思い出した。

崖下の金魚屋が、崖上のブルジョワの令嬢に恋をする。身分ちがいのかなわぬ恋。かれは、令嬢のように妖艶で優美な金魚の開発に命をかける。交配に交配を重ねても、求める金魚は生まれてこない。失敗作の金魚は、古池に捨てた。捨てられた金魚たちは、勝手に古池で繁殖し、彼の知らないうちに、豪華な女王さまのような金魚を誕生させていた。淀んだ古池に、妖艶で優美な金魚が、ゆうゆうと泳ぐ。その他の金魚を從えて……そんな物語だった。

歴史民俗資料館に入ると、来館者は、わたしひとりだった。ここにも金魚の水槽が並んでいた。壁に、「金魚生産の一年」が掲示されていた。金魚は、養殖用の大きな池で育てられる。稚魚のうちに選別がおこなわれ、約3割が捨てられてしまうのだという。
どこに捨てられるのだろう。
古池? 鯉のエサ? 夜店の金魚すくい?
古池だったらいいなと思う。そこで勝手に繁殖し、岡本かの子の小説のように、繚乱たる金魚の王国ができたら素敵じゃないか。

資料館には、鳥カゴがふたつあって、一羽ずつ文鳥が入れられていた。白文鳥のぶんちゃんと、桜文鳥のさくらちゃん。ふたりは、資料館のおもてなし職員なのだそうだ。ぶんちゃんは手乗りで、さくらちゃんは美しい声で歌うらしい。

夏目漱石の「文鳥」に、文鳥は『ちよちよ』と鳴くと、書いてあった。やたらに鳴くものではないようだ。
鈴木三重吉から半ば強引にすすめられて飼った文鳥に、漱石は、むかしのオンナの美しさを重ねてかわいがる。ところが、執筆が忙しくなると、世話がおろそかになり、文鳥は飢えと渇きで死んでしまう。はかなく哀しい籠の鳥。

弥富では、江戸時代から文鳥が飼育されていたそうだ。武家屋敷に奉公していた八重さんが持ち帰った、桜文鳥がはじまりだった。以後、農家の副業として文鳥の飼育は、昭和のころまで盛んだったという。
手のひらに乗るほど小さくて、ひ弱な感じがする文鳥だが、原産は東南アジアだ。先祖は熱帯の雨林に飛び交う野鳥だったのだ。

資料館を出る前に、受付窓口から中の事務所にこえをかけた。
「あの……、こんにちわ」
はいっ、と、パソコンとにらめっこをしていた若い女性職員が立ち上がった。
びっくりさせちゃったみたい。
「金魚のパンフレットをいただけますか」
「はい、どうぞ。無料で差し上げています」
わたしは、パンフレットをいただいて、再び金魚水族館へ。ひときわ大きな水槽に、金魚の稚魚たちがいっぱい泳いでいた。ワキンもデメキンもランチュウも、ごちゃまぜで。金魚の学校みたいだった。

帰りは、近鉄電車に乗ることにした。
空を見上げながら、駅までの道を歩いた。炎熱の空には、一羽の鳥も飛んでいなかった。
この日の最高気温は、37.3度だった。


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