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くるくる電車旅〈旅は道連れ〉

4年前に90歳で逝ったわたしの母は、バス旅行が大好きだった。一日に数カ所の観光地を巡る過密スケジュールの、あのバス旅行である。60歳から80歳までの20年間、バス旅行のために生きていたといってもいい。日本中の観光地をぜえんぶまわった、というのが、晩年の母の自慢だった。

母が亡くなったとき、姉が遺品の中から御朱印帳をみつけてきて、屏風のように広げ、棺に入れた。バス旅行で集めたものだった。気のせいか、死者の顔がにんまりしたように見えた。
「なんかいいね」
「うん、極楽へ行けそう」
わたしと姉は、そんな会話をした。
それ以来、御朱印集めは、わたしたち姉妹の共通の趣味になった。

そんなわけで、雨予報がはずれた日曜日、わたしは、姉を電車旅にさそった。体力に自信がない姉は、駅から近いところがいいという。行き先は、三河一宮の砥鹿神社。JR飯田線三河一宮駅から徒歩5分。

無人駅。
ワンマン電車。
このふたつのワードは、わたしを緊張させる。運賃の払い方がよくわからないからだ。
何年か前に乗った ことがあるが、三河一宮駅は、緊張の条件をそろえた駅だった。
姉は、電車に一人で乗ったことがない深窓の奥さま。わたしが責任もって連れて行かなければ。

豊橋駅で乗り換えるとき、姉が不安そうにきいてきた。
「ねえ、その駅、マナカ使える?」
さすがお姉さま。使えないかもしれない。わたしたちは、いったん改札を出て、三河一宮までの乗車券を買った。
飯田線のホームには、ワンマン電車が停まっていた。
走りだすと、「整理券をお取りください」とか、「降りるときは、前の車両の前の扉から……」とか、「運賃は、運転士の後ろの……」
とか、アナウンスがかまびすしい。
後ろの車両の後ろの方に乗ってしまったわたしたちは、降りるとき、電車の中を大移動しなければならなかった。

電車を降りると、山が迫って見えた。上半分に雲がかかっている。あのまま電車に乗って行けば、あの雲の中に入って行けたのかな、なんて思う。飯田線といえば、秘境駅号が走るぐらいだから。

一宮というのは、平安時代、国司が着任すると1番目に参拝した神社をいうらしい。古くて格式高い神社だ。砥鹿神社の創建は、大宝年間(701〜704)だという。
祭神は大己貴命というが、鹿の絵馬殿だの鹿の石像だのがあって、鹿が神社のシンボルになっていた。鹿は神獣、神の使いなのだそうだ。
そういえば、ヤマトタケルは伊吹山の鹿にやられて死んだのだった。鹿は、ただの使いじゃない、怒らせると恐い、荒ぶる神である。

七五三のご祈祷を受けに来ている家族が、ちらほらあった。
「もう七五三?」
「何でも人に先駆けてするのがいいのよ」
わたしたちは、ひそひそ話しながら、書き置きの御朱印をいただいた。300円。

帰りの電車に乗るために、三河一宮駅に来た。無人駅である。自動改札機もない。運賃表はあるが、券売機もない。
「どうすればいいの?」
「整理券をとって、降りるときに現金で払うんじゃない?」
「整理券なんて、どこでとるの?」
「運転士さんのうしろ?」
1時間に1本の電車だから、待っている人は多い。みんな、ゆうゆうとしている。だれかにききたかったけれど、そんなことも知らないのかと笑われそうで、きけなかった。
電車が来た。わたしたちは、必死で運転席に近い扉から乗り込んだ。
整理券は……ない。
運転席の後ろに料金箱もない。
「どうすればいいの?」
「さあ……」
となりに座っている人は、新城駅からの切符を持っている。
「豊橋駅で降りてから払うしかない」
「でも、乗った駅を証明できる?」
「そうだ、御朱印を見せよう」
「あ、いい考え」
「日付けも入っているし」
「神様が助けてくれる!」
そんな会話していたとき、姉が、「あ、あの人」と、後ろの車両から歩いて来る人を指さした。車掌さんだった。この電車は、ワンマンではなかったのだ。
わたしたちは、車掌さんから乗車券を買うことができた。御朱印を見せなくとも、三河一宮駅から乗ったことを信じてくれた。

旅は道連れとは、よくいったものだ。一人だったら、ドキドキしながら青くなったり赤くなったりしていただろう。
バス旅行が生きがいだった母にも、バス友がいた。そのお友だちが、認知症がすすんで老人ホームに入所したとき、母はバス旅行をやめたのだった。

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