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秋の訪れ、別れ、寂寥感

9月に入り、空気が夏のにおいから秋のものに変わった。
ときおり、残暑のかけらのような日射をぶり返すこともあるが、日の出は遅くなり、日の入りは刻々と早くなっている。
青々としていた芝生には枯れ草が目立つようになり、木々の葉っぱも乾燥し黄土色に衣替えしている。

変化の多い職場にいると、人との別れは頻繁に訪れる。
イギリスからアメリカにポジションを得て転籍していく同僚。
出向を終え、昇進して母国へ戻っていく同僚。
年老いた両親の近くにいたいとアーリーリタイアして祖国へ帰る同僚。
他社でのキャリアを開拓し転職していく同僚。
…事情や理由はさまざまだ。

世界のどこかで、ひょっとしたらまた会うかもしれないし、一生再会しないかもしれない。
挨拶を交わす程度の仲であれば、「元気でね」と軽やかに別れられる。

かたや、話し合った時間や共感した出来事、ともに変化や荒波を重ねてきたような仲では、別れを想像すると、こみ上げてくるものがある。

旅立つ方も、見送る方も、どちらもさみしいけれど、ここ数年は見送る方がさみしいなぁと思うことが多い。
見送る方は、旅立った相手がいなくなった世界を続けなければならないからだ。日常のちょっとしたときに、寂寥感が湧き出てくる。

会おうと決意し実行すればまた会えるだろうけど、そう容易には実現しないし、お互いの価値観や感受性に距離ができているかもしれない。

日本から遠く離れ、マイノリティでありアウトサイダーであることに慣れすぎて、そこまで深い人間関係を求めなくなっていた私にも、こんなにさみしいという気持が湧き起こるんだ、と驚いている。

一歩一歩と冬に向かっていく秋の空気は、いろいろな感情を呼び起こす。

米津玄師が昨年訪れたというノーフォークを見てみようと思い立ち、ノリッジまでデイトリップ。



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