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中国人は人の気持ちが考えられない国民性?

なんかもやるので久々に書く。

それは昨日のことだった。

私の妹分とchatでやりとりしていた時のことだ。
妹分は、中国人は人の気持ちが考えられない国民性だと言い出した。

かつてはあれほど中国を愛しまくってた彼女がこんなことを言うぐらい、今彼女はたいへん失望している。

そう言うだけの事情が彼女にはあるから、そう言うのは理解できるのだけれど、私は私の周りの中国人のことを思うと、本当にそうかなぁと思ってしまう。

そして、私は昨日泊まりに来ていた私の中国人の友だちに聞いてみた。

「ねえ、中国人って人の気持ちが考えられない国民性なの?(ド直球)」

すると彼女はあっさり「そうだ」と言ってくる。

「えええええええええええ」

メイリー(仮名)は私の中国人の友だちで、七年前に知り合った。当時住んでいた部屋のお向かいさんだ。

彼女はわけあって、タイに半年行っていたが、二月に中国に戻ってきた。
その時私は冬休みで、彼女はしばらくうちに置いてくれと言ってきた。

私は他人と暮らすことにそれほど抵抗もないし、軽くOKした。

夜遅く到着した彼女は熱があり、その日はまずぶっ倒れた。

まあちょっと事情があって彼女はその時ほとんどお金がなく、行くところもなかった。

それを知ってからは私は食費も受け取らなかったし気が済むまでいていいと言った。服もあげた。

彼女はそのことを非常に感謝していたが、そんなことをしてくれる人はほかにいないと言った。

家族も友だちも男も誰も彼女を助けない。
ましてや友だちは彼女が幸せな状態だと付き合わなくなるそうだ。

なぜだ!

友だちは幸せでいてほしいものじゃないのか?
好きだから友だちでいるんじゃないの?
好きな人には幸せでいてほしいじゃないか!

友だちじゃなくたって、困ってる人を助けるのは当然では?

そんな彼女は当然我が妹分の言うことを「その通りだ」と言った。

「中国人は自分のことしか考えてない。誰かを助けようとなんてしない」

彼女たちは自分の経験や体験を通してそう言っている。
思い込みではないと思う。
それが彼女たちにとっての現実で真実だから言葉に重みがある。

でも、私はやはりそうは思えないところもあって……。

私にいつも寄り添ってくれている中国人の友だちや学生たちもいるし、そりゃ最初だけってのもいたし、興味なくなれば連絡もなくなるってこともあるけど、でもそれ日本人でもそうだし、国とか関係なく、友だちと思ってるっ人たちは、少なくとも私をいつも助けてくれようとしているし、私も助けたいと思ってるが……。

国民性だと一括りにするのは乱暴な感じもするし……。
でもその国のイデオロギーとか環境とか背景にあるものが民族性に関わるのは事実だ。

何だろう……人口が多すぎるから?
迂闊なことを言うと誰かが密告してたいへんな目に遭うから他人は信用しないようにするとか?
それかお得意の「いいことだけ考えよう!」みたいな。

中国人得意の「ポジティブなこと考えよう!」ってやつ。
でも私はいつもこれは考えのすり替えにも感じる。

これでメイリーにも怒ったことあった。

メイリーは自分がされた不当な扱いに対して怒ることもせず、それより楽しいこと考えたいから一緒に旅行しよーとか言ってきたからだ。

「今、目の前の問題から目を背けて、楽しいことだけ考えようって何か違う! 楽しいことは楽しいことで考えてもいいけど、自分の権利を守ることも大事!」

私は強くこう言った。
だけど、そもそもこの国ではそれが不可能なのでは?

本当に相手に寄り添うってのは、相手の痛みや苦しみも一緒に分かち合ってその上で他人だからこそ時には厳しく客観視しながらもその手を離さないことだと私は思っている。

しかし中国に絶賛失望中の妹分は言う。

「中国人は人の気持ちを考えられないというか、相手の立場に立って物を考えることをすごく苦手としている民族だと思う」

共感力ってことなんだろうか。

想像力? 相手の気持ちを想像する力?

妹分はいつもそのまま受け入れて批判はしない私に対して感謝している。

私が他人を否定しないのは、自分も否定されたくないからだ。

自分がされたくないことは、相手にもしないってものじゃないの?

しかし、確かに学生たちは思った以上に先生や大人に否定され続けている。
少し前にも学生に
「先生は、学生を比較したり否定したりしないから、先生の授業では自由に発言がしやすい」
と言われたことがある。

え、だって比較や否定をされたら嫌じゃないか。

私は嫌だ。

実際されてきて本当に嫌で腐ったので、自分は絶対に他人にしないと決めている。

だけど、自分がされたら嫌なのにする人は多いものらしく、メイリーの友だちも常に他人を否定するのだと言う。

メイリーはその友達に散々否定されダメ出し、今ではすっかり疎遠らしい。
だから本当に困ったときにこの日本人の私しか頼れる人もいなかったのだ。

誰だって自分を否定する人間とは付き合いたくなんてない。
メイリーが友達が極端に少ないってのも否定されるのが嫌だからで、つまり否定する人が多いってことなんだろうか。

だからメイリーも妹分の「中国人はすぐ他人を否定する」という意見に全面的に賛成している。

※でも「のだめカンタービレ」読んだらフランス人がすぐ「NON」と言うって印象だけどな笑

ただし、私が卒業生で一番仲が良い委員長(あだ名)は、どんな時でも私を全肯定でどんな時でも否定しない。いつも私に寄り添ってくれている。
彼女もまた中国人だ。

だけど確かに彼女も「他人は他人」という考えはある。

いつも私を世話して助けてくれる男子学生も、頼まれたら応えるけど、基本的に誰でも助けるわけじゃないと言っていた。

そう考えたら確かに他人に寄り添うって感じではないし、まあ個人の関係性もあるけど、基本的に相手の立場に立って考えるというよりは、自分が損しない範囲で自分ができることをやるって感じだろうか。

でもそれは別に中国人に限ったことではないのでは?

なんかよくわからなくなってきた……。

じゃあ、日本人は他人の立場に立って考えて寄り添うんだろうか。

でも、私からしてみれば、日本人の「迷惑にならないように」って考え方は、相手との距離を生むだけでしかないことだって多い。

結局自分基準で「これは迷惑だろう」って判断してるだけで、相手が何を迷惑としているか確認するところまではいかず、想像の範囲で自己完結なんてこともある。

私にとってはいつもいつも日本人との距離感が難しい。

中国人だって日本人だって、突然連絡が来なくなることはある。
ただ中国人の場合は大抵が飽きっぽいというか最初だけ興味持って毎日連絡来たりするのが突然なくなるってわかりやすさがあるけど、日本人の場合は、絶対何か理由あるのにわからないまま疎遠になるとかで、そうなるともうどうしていいかわからない。

人の気持ちはわからないなら考えても仕方ないのか、だから考えようとしなくてもいいのか、そのほうが楽だからそうしないのか?

他人は他人とわりきって生きている中国人のほうが楽なのか。
それとも相手の気持ちを慮って、距離を置いて付き合う日本人のほうがいいのか。

いずれにしても、私は他人の気持ちなんてどうでもいいとか、つらい時に寄り添えないのは嫌だ。

感情過多と言われても、少なくとも身近な人たち、目の前の人たちとは心を通わせていたい。理解し合えなくても、理解しようという態度は失いたくない。相手が腹割らなくても自分は割りまくりで近づきたい。

ただ、本当に日本人のほうがわからないことが多い。
でも、実は中国人のこともわかってないのかも。
なんかもやもやしたままだ。

日本人は相手の気持ちに寄り添うことはできるけど他人との距離感が近くない。
中国人は他人との距離感が近いようで相手の気持ちには寄り添わない。

こういうことなんだろうか。

どっちにしても、私は嫌だし、日本人でも中国人でも友だちとの垣根は壊してきたし、寄り添ってきたし、寄り添ってもらっていると思うのだが。

中国人が人に寄り添う気持ちがない国民性でも、私は寄り添っていきたいと思うし、日本人が距離を置きたいと思うなら、その気持ちにも寄り添って、距離を置くことを尊重する。

相手の国民性を知ることも大事。
だけど一番大事なのは、その上で自分がどうありたいのかということだと思う。


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