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まつりのあと:4_①

 たまになんだから楽しみなさい、と姉に言い残し、母は孫二人とともに床についた。テレビの音量を落とし、缶ビールをテーブルに。ひとつのグラスに三人でビールを注ぎ、仏壇に供える。

 遺影を見上げる姉は、目元を滲ませている。兄は、父に合わせて微かに笑っている。私は二人から視線を逸らし、缶を指先で弾いた。

「はい乾杯、じゃなくて、献杯しよう」

 姉が振り返る。兄も顔を戻し、一度咳払いをした。指名はしていないけれど、音頭をとるつもりだ。

「えー……何だ? 何て言うんだ、こういう時……はい、献杯!」
「いきなり? まいいや、献杯!」

 缶をぶつけて、ほぼ同じタイミングで口に運ぶ。私は一気に半分ほど飲み干した。

 姉は随分久しぶりに酒を飲むのか、眉間に皺を寄せ、缶をテーブルに置くと、用意していた水を口に含んだ。

「あー……何かもう酔った感じ。久しぶり過ぎて匂いだけでも結構くるなあ」
「全然飲まなくなったんだな」

 兄は缶を持ったまま、肘をテーブルに乗せた。行儀の良い兄の、滅多に見られない姿。姉は続けて水を飲み、ビールの缶を私のほうに押した。

「妊娠中は飲めないし、産んだら授乳で飲めないし、大きくなったらなったで目が離せないから飲めないし。ってやってる間に、弱くなったんだなあ。でも健康的だからいいのかも」
「私は飲めない生活イヤだな。水の代わりに飲みたいくらいだもん」
「ハルは子供の頃からお酒好きだもんね」
「子供の頃は飲んでないでしょ、さすがに」
「お酒自体は飲んでないけど、酒饅頭とか洋酒の入ったチョコレートとかさ。あと梅酒に入ってる梅。あれ、めちゃくちゃ好きだったでしょ」
「そうだっけ?」

 梅酒という言葉で、奈美の店でのことを思い出す。はっきりと再生されてしまわないように、私は缶を空にして、戸棚に向かった。

 霊前にと、たくさんの人が酒瓶を持って集まったから、戸棚の中には数年飲んでもなくならないのではないかと思うほどの酒が並んでいる。焼酎に日本酒。ウイスキー、ブランデー、ジン。

 父がジンを傾ける姿なんて想像出来ない。大容量の安い焼酎を、自分専用の特大湯呑で楽しんでいた。カクテルや洋酒の似合うバーなんて、行ったこともないと思う。


代わりに私が呑んどくから安心して

 氷を詰めたグラスとジンを持って、茶の間へ。兄は私を見てのけ反り、それを見た姉が振り返る。

「何そのお酒? ボトル綺麗だねえ」
「ジン。飲む?」
「私はいい。でも氷は欲しい」
「ほい」

 氷をひとつ摘まんで、姉の水の中に落とす。

「お兄ちゃんは? 飲むならグラス持ってくるけど」
「ワイングラスなんて、ないよな?」
「ないね。ワインを家で見たことないもん。栓抜きもなかったりして」
「それは困る!」

 兄は席を立ち、私はテーブルについて瓶の蓋を捻った。買い物の際にトニックを買えば良かったと思ったけれど、ロックでも楽しめるから問題はない。

 グラスに三センチほどジンを注ぎ、口に運ぶ。喉の粘膜が一気に熱を上げる感覚。心地良い。

「これ、ロンドンって書いてる」

 姉はボトルに顔を近づけて、物珍しそうな表情を作っている。

「イギリスにお酒のイメージってないなあ。何か真面目そうじゃない、イギリス人」
「スコッチとか作ってるよ、イギリスって。確かそう、よくわかんないけど……それに真面目な人でもお酒飲むじゃん。お兄ちゃんもお姉ちゃんもさ。それにイギリスってパンクとかロックとか有名なバンドもいるし、そういう人達ってメチャメチャお酒飲みそうじゃん。むしろ酒のイメージなんじゃない?」
「貴方も十分パンクな見た目ですけど……でもさあ、ハルって案外小心者だから、見た目だけだもんね」
「そんな風に見るのは、ごく少数だよ。まあ、そのほうがいいんだけど」
「何で? 黒髪に戻してフェミニンな服着たらモテそうなのに。今でも可愛いけどさあ」
「モテる目的で生きてません!」
「そうだろうけど……ちょっと心配」
「何が?」
「見た目だけで判断して近づいてくる男がいるかもと思うと、ね」
「ぜんっぜん近づいて来ないから! むしろ近づいてきたら貴重品じゃない?」
「そうじゃなくてさあ……軽そうだなって思う男もいるかもしれないじゃない? そういのに遊ばれてポイみたいなさあ……イヤだよ私、ハルがそういう目に遭うの」
「ない。ないから大丈夫。鉄のパンツ履いてるんだから」
「まあ、もう大人だし、ハルの判断でいいんだけどね。たださ、いくら気を付けてたって妊娠しちゃうこともあるんだから。気を付けてよホントに。子供って、産んで終わりじゃないんだから」
「心しておきます。っていうか、お兄ちゃんはどこまで栓抜き探しに行ったの?」
「いないからこそ、できる話なんだけどね」

 姉は笑って、缶に口をつけた。確かに兄の前でこういった話をするのは気が引ける。全員三十を過ぎて年齢的には大人なのだから、話題として挙がっても不思議はないのに。


やっぱり、二人には言えないな

 半年前、男と別れた次の日、姉の家を訪ねた。自分の愚行を懺悔したくて。

 子供二人が寝静まってから切り出すつもりだった。けれど他愛もない話をしているうちに時間が過ぎて、笑っている姉の顔が曇るのが怖くて、言い出せなかった。

 もしあの時話していたら、姉は今、こんな風に私の心配をしてくれていただろうか。幼子を育てている姉にとっては、妹といえど、不倫をした人間なんて憎悪の対象となってしまうのではないだろうか。隠し続けるのは辛い。嫌われてしまうのは、怖い。

これが代償なのかな

 返ってきたものが大きいのか小さいのか、わからない。ただ、一生ものであるのだと理解出来る。あの男も同等の思いでいるのなら多少気も軽くなるけれど、もしかしたら、また新しい女を作っているのかもしれない。本当に、死ねばいいのに。

 頭の中に浮かんだ男を消したくて、私はジンを一気に飲み干した。ほんの僅か涙腺に刺激を感じたのは、喉に走った痛みのせいにした。


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