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まつりのあと:7_③

 自分で汚した場所を綺麗に整え、テーブルについた。石原の真正面から、その顔を覗く。石原も私に視点を留めた。何か言いたげだけれど、先に言葉を紡がせるのは申し訳ない気がして、私は口を開いた。

「お餅、とれました?」
「はい、何とか」
「大人のほうが盛り上がってました?」
「ですね。かなり盛り上がってましたよ」

 石原は、やっと笑った。数時間前に何度も見た笑顔なのに懐かしい。そう感じて、罪の意識が芽生えた。

 祭りを楽しんだ後の、あの場面。石原は、どんな思いで道場に踏み込んできたのだろう。どんな思いが湧き上がって、目を赤くしていたのだろう。

 悟られないよう息を吐き、湯呑を両手で包み込む。手はまだ冷えている。もう少しこのままで。あまり話し続けると、震えが起こるかもしれない。これ以上、石原に迷惑はかけられない。

「晴菜さん……」
「はい?」
「あ……えっと……違ってたらすみません。ここに来る途中で、知った顔を見たんです……女性が訪ねてきませんでしたか? 道場に、行く前に」
「きてましたよ」
「信号待ちの時にちらっと見ただけなんですけど……加島さん、ですよね?」
「加島?」
「違いました?」
「あ、いやそうじゃなくて……お名前は聞いてません。なので名前では、正解なのかどうか、わかりません」
「ああ…………これ、どうぞ」

 石原は、スマートフォンを捜査し、私に手渡した。画面に映し出されていたのは、あの女と少年。

 女の名は加島。石原も知った顔。私の知っている加島との繋がりを、思い起こさせないわけがない。あえて問わずとも良いかもしれない。けれど、聞くなら今しかない。

「加島さんの、血縁の方ですか?」
「娘さんです」
「娘?」
「はい。年をとってからの子なので、孫くらい年が離れてますけど」

 加島の娘と父。繋がりは、不自然ではない。

 スマートフォンの画面で微笑む親子。じっと見下ろし、女の笑みに苛立ちを覚えてすぐ、視線を持ち上げた。石原と、しっかり目が合った。もう、聞きたいことは全て、聞いてしまおう。

「別の質問をしてもいいですか?」
「どうぞ」
「石原さんは、こちらの女性と父との関係を、ご存じですか?」
「はい」
「どのような関係だと?」
「加島が、おやっさんに頼んだんです。娘と孫を守ってやってくれと」
「守る?」
「はい……加島の娘さんは、十代の頃に家出したんです。どうも加島と合わなかったようで……加島のほうはずっと気にかけていて、居場所も暮らし向きも把握していたんです。でも素直に手を差し伸べられないというか……そんな状況が続くうちに娘さんは妊娠して……ただでさえ相当困窮していたようで、それで加島は、支援を申し出たんです。でも難色を示されたので、代わりにおやっさんに、そばにいてくれるよう頼んだんです。ちょうどおやっさんが福祉課に移動した時期だったので、一人親への子育て支援という形で、担当者に自宅を訪問してもらって……あ、でも公金を融通したとか贔屓したとか、そういうことはないですからね! そこは勘違いしないで下さいね。あくまで仕事として、ですから」
「でも個人的に、家を訪ねたりもしていますよね?」
「それは、あったかもしれません。おやっさんは、自分が加島の知り合いだと伝えたかったみたいなんです。父親が心配しているのを、わかって欲しかったんだと思います。娘さんは加島に対しては頑なでしたが、おやっさんには素直に甘えられたみたいで……ああ、これも変な意味ではなくて! 何というか、父親代わりというか相談役というか……娘さんは地元の人間ではないので、ご近所さんとか、地域との繋がりって築きにくいと言うか……おやっさんは顔が広いから、そういう点でも頼れたんだと思います」

 石原は湯呑を傾け、飲み干して長い息を吐いた。まるで重責を果たした後のように、疲れた表情を浮かべている。もしかしたら私は今、とんでもなく怖い顔をしているのかもしれない。

 聞いた話は、【ない話】ではない。加島と父が相当強い結び付きを持っていたのは、父の金庫の中身を見たから知っている。加島に物を頼まれたら断れないだろう。それでなくても父は、他人には優しい顔を見せる男だ。仕事柄地域の人達にも信頼されているし、適任だったのだろう。

 加島の娘がこの町に暮らしていた理由を、聞こうか、聞くまいか。数秒考え、やめた。石原が、たった数分のうちに老けたように見えたから。それに、石原が真実と思って述べていることが、全てそうとは限らない。誰が嘘つきで、誰が正直者なのか、私には見破る術がない。

父親代わりの、相談役、ね

 なかなかの美談ではないか。兄達にも説明しやすい。これで納得するのが賢明だ。少年に父親だと思い込ませてしまったのは失敗だったけれど、父は、きっと満足しているだろう。少年に感じた【似ている】は、私の中の疑心が招いたもの。そういうことにしておこう。もう、それでいい。

「ありがとうございます。本人には聞きにくいことなので助かりました」
「いえ……あの、こちらには、何をしに?」
「この家に、住みたいんだそうです」
「そんなことを言ったんですか?」
「言ったのは、息子さんですけどね。葬儀の日、石原さん達が帰ってから親子そろっていらしたんです。それで、何というか……僕は、お父さんの子供です的なことがありまして」

 音を止めて石原を見据える。その顔には偽りのない驚愕が表れていた。それで確信できた。石原の口から出たのは、作り話ではない、と。

「晴菜さん、それを信じたんですか?」
「はい。そんな嘘を吐いても得はしないって、もうわかる年でしょう。何より、母親が否定しませんでしたから。だからその時は信じましたよ。家も譲ろうと思いました。でも今日、実は別の男の子供だと告白されたので……少し混乱しましたし、腹が立ちました」

 私が音を止めて視線を交えても、石原は何も言わなかった。とても、重苦しい表情だった。そうあってくれて良かった。もし、おやっさんの子でなくて良かったじゃないですか、なんて笑顔で言われたら、湯呑を投げつけていたかもしれない。

 今私の中にある怒りも悲しみも、そういう点に向かっているわけではない。私が、兄が、姉が、皆が無知であるよう仕組まれていたことに腹が立つ。父を責める機会は絶対に訪れないという現実に腹が立つ。

これじゃ勝ち逃げじゃん
本当に強い人間のすることじゃゃない

 そう思って、母の言葉が浮上する。父は小心者だという、信じ難い言葉。けれど今、それが本当なのではと感じた。気が小さいから、家族に責められるのが怖いから、黙っていた。

まさか……嘘、嘘だよ

 信じたくない。信じなくても良い。私は、父を悪者にしておきたいのだ。そうでなければ怒りが全て自分に返ってくる気がして耐えられない。アンタのせいだと責任転嫁しなければ、私は生きてこられなかった。私は無様で、生きる目的もなく、見つける術も知らない愚か者。そんな感情を持つのも全て父のせい。これからもずっと、父のせいにしておきたい。

「晴菜さんは、寂しかったんですか?」


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