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まつりのあと:7_④

 静かに放たれた言葉に、心臓を殴られた。石原は、じっと私を見据えている。今にも泣き出しそうな顔で。

 寂しいとは何だろう。私は、寂しかったのだろうか。寂しいから怒ったのだろうか。寂しいから、あんなことをしてしまったのだろうか。

 考える。父が亡くなってからの数日間、そこに繋がる長い時間、それらの中で、私はずっと、寂しいと思って生きていたのだろうか。

「わかりません……わからないけど、今、楽しくはないです。嬉しくもないです」
「俺は、晴菜さんに伝わってない感じが、物凄く悔しいです」
「伝わってない? 何がですか?」
「おやっさんの気持ちがです」
「気持ちもなにも、まともに話しもしなかったのに……何を察しろと?」
「おやっさんは、確かめたかったんだと思います。自分にも子供を愛する気持ちが備わっているんだって……加島の娘さん、弥生さんって言うんですけど……弥生さんの息子に接することで、そういう気持ちを確かめるというか、晴菜さん達への気持ちを再確認するというか……俺は、そう思います」
「随分遠回しな愛情表現ですね。他人の子供で? それってただ、責任がないからでしょう? 無責任に可愛がれるから、ただひたすら可愛がれるんじゃないですか? そんなの逃げですよ……私は子供を育ててないので偉そうに言えませんし、もう済んだことなのでやめましょう。本人に確認はできないんですから」

 私は遺影を意識した。それを感じ取ったのか、石原は顔を持ち上げる。上を向いたのに、その目から涙が零れた。葬儀の日、一滴も涙を零さなかった男が、今、泣いている。タイミングを間違えないで欲しい。

 ティッシュに手を伸ばし、箱ごとテーブルに乗せる。石原はそれに手を伸ばさず、拳で目元を拭った。

「晴菜さんに渡したいものがあります。ちょっと待ってて下さい」

 石原は素早く茶の間を出た。玄関の戸が開く音。閉じる音は、とても静か。そのまま帰ってくれたら良いのに。

 願いは届かず、石原はすぐに戻った。両手に、ずんぐりとした瓶を抱えて。

 テーブルに瓶を置き、石原は私の前に押し出した。

「加島の家で獲れた梅で作りました。仕込みをしたのは、おやっさんです」

 瓶に入っているのは、琥珀色の液体と、青さを失った梅。

「これを晴菜さんに渡してこいと、加島に言われました。本当は、あと一年くらい寝かせるつもりだったんです。でも葬儀の日、晴菜さんがあまりに落ち着いていて……加島は、堪らなかったんだと思います」

 石原は、もう一度、両手で瓶を押した。受け取れという意味だと理解し、私は瓶を引き寄せた。

 両腕で抱えても、相当重いだろう。梅は瓶の底から三分の一ほどの位置まで詰められている。これだけの梅を拾って、洗ってヘタを取って。漬け込むまでの作業は、とても手間がかかると知っている。だから私は、作ったことがない。

こんなカタチで?
ホントに、遠回し過ぎるでしょ

 何故もっと素直に表現してくれなかったのだろう。肉体を失くしてから、他人の力を借りて、他人の言葉を借りて、それでやっとカタチになるなんて。もっとやりようがあったはずなのに。

「晴菜さんは認めたくないのかもしれませんが、愛情は、あったんです……来てもらえますか?」

 立ち上がった石原の顔は、家の奥を示していた。さあ、というように一歩、足を動かす。どこへ向かうのか問わず、私は石原の背中を追った。

 階段の前。石原は無言で上る許可を求める。頷きを見せると、ゆっくりと踊り場まで足を進めた。そこは、父と仲間の写真が飾ってある場所。

 石原はフレームに手を伸ばし、静かに壁から外した。しゃがみ込み、フレームを裏返す。

「見て下さい」

 手早くフレームから写真を取り出す。仲間達との写真の後ろに、もう一枚、写真があった。兄の成人式に、写真館で写したもの。

スーツ姿の兄
振袖姿の姉
学生服姿の私

 三人とも笑顔が微妙。けれど、良い写真だと思った。ちゃんと見たいのに視界が滲む。嫌だ、もう泣きたくない。素直に嬉しいと思った。嬉しいのに、何故こんなに悲しいんだろう。悔しんだろう。

「何で隠すんだよ……馬鹿なんじゃないの」
「馬鹿なんですよ、おやっさんは。自分でそう言ってました。どうしたらいいのかわからないダメな親父だって……写真を隠したのは、たぶん俺のせいです」

 どういう意味ですか、と問えなかった。感情を抑えるので必死で。

「加島と俺と、おやっさんと、ここんちで相当飲んだことがあって……おやっさんが、うちの子供達を見せてやるって、この写真を見せてくれて……みんないい顔してるだろうって上機嫌で言うもんだから俺素直に、めちゃめちゃ可愛いです、嫁に欲しいですって言っちゃって。そしたら一気に顔色が変わって……その後です、写真が変わったのは。嫌だったんでしょうね。何かこう……娘を女として見られるのが」
「……ホントに馬鹿ですね……ずっと子供でいられるわけじゃないのに」
「親にとってはいくつになっても子供なんだと思います。俺は人の親になっていないし、偉そうに言えませんけど……だから晴菜さん、もう無理しなくていいと思います」
「無理?」
「子供だっていいじゃないですか、実家にいる時くらい。俺も親父に反抗して実家出て、早く大人にならなきゃって思ってました。意地はって突っ張って、他人の力を借りずにひとりでいるのが大人なんだって……でも加島に言われたんです。ひとりでいるにも他人の力が必要なんだって。絶対他人に生かされてるんだって……加島は、おやっさんにも同じこと言ってました。おやっさんは、何回も言うなよって笑ってましたけど、言ってくれる人間がいて良かったんじゃないかって、今は思います。俺も救われたんで……だから晴菜さんも、ここでは子供でいましょうよ。誰も見てませんし、って、俺がいますね……向こう行ってます」

 立ち上がる気配を見せた石原に、私は手を伸ばした。自分でも驚いた。けれど驚いた時にはもう、石原の腕を掴んでいた。竹刀で擦れた手の平に痛み。力を込めれば、もっと痛い。それを承知で石原の腕を引き寄せた。

 自分の熱を、石原の胸にうずめる。慣れない匂いと、体温。頭に触れた手は、大きく、熱い。

 鼓膜に石原の嗚咽が届いた。一緒に泣いてくれている。私の泣き声が際立たないように、一緒に。この男も馬鹿だ。相当馬鹿だ。そうに違いない。馬鹿な私を、こんな風に扱えるのだから。


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