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#18 【独り言エッセイ】日常が非日常になって、バイスバーサ。

日本にいると、息している間もないくらい家の中でも外でも喋り倒しているのに、フィンランドに戻ってきた途端、一人暮らしにしては少々広すぎる部屋の中で空気の音と、画面から聞こえる会ったことない誰かの声と、洗濯機が回る音と、音楽を聴いて暮らし、たまに「あ」と言って自分の声が出るか確認する。練習に行くのに氷点下が当たり前の外を歩きながら、そこに落ちていた独り言にドラムでビートを巻きつけたようなVaundyの「napori」をn10回目に聴いて、自分の独り言もこんなにカッコ良く刻めたらという、方向もお角も全く違うジェラシーを憶える。だけどこんな日常も数ヶ月後に日本に戻った時は非日常として記憶に残る。その逆も然り。

今年の冬季休暇は元々海外で過ごす予定だったのだけど、急遽日本に2週間丸々帰ることになった。実に3年ぶりの東京でのクリスマスとお正月。太陽の光が恋しかったのも嘘ではないし、家族にも友達にも会いたかったし、東京のクリスマスの光も見たい。誰かが作ってくれる美味しい日本食も食べたいし、日が当たる部屋で太陽を浴びながらお昼寝したい。スタバに行きたいし、本をジャケ買いしたい。夏に在った日常は、冬の非日常なのだ。

さて、思いがけずやってきた念願の日本で何をしたか。特別なことは何もしてない。でも、特別じゃないやりたいことは全てやった。いつものTO DOリストに加えて作った、やりたいことリストは2週間のうちに全て線が引かれた。オフは徹底的に休む。その重要さは、ハーバード時代のチームメイトから嫌というほど教わった。上手い選手は、休むのも遊ぶのもちゃんと上手だった。

百均でラッピング用紙を買ってきて、用意していた家族へのクリスマスプレゼントを丁寧にラッピングした。やりたいことリストにあった、プレゼントのラッピング。残りの紙で、もはやプレゼントでない、元々家にあったものまでしっかりラッピングして、小さなツリーのそばに置いておいた。

父と行きつけのコーヒーショップに行って帰りにいつもの魚屋で魚を買ったり、母の友達と会って一緒にお食事をしたり、高校の友達と会って恋愛のこと仕事のこと将来のことについて話して旅行の計画を立てたり、父方の親族旅行に参加して箱根に行ったり、友達のクリスマスパーティーに参加したり、クリスマスイブの朝に六本木のビルの狭間にできたアウトドアリンクでホッケーしたり。忙しくないのに、2週間にしては満足すぎるくらい色んなことができた。

25日の朝。前から「家族でクリスマスブランチをしよう!私がパンケーキを焼きます」と宣言していたので、朝からパンケーキを焼いた。今回日本で作った唯一の料理。大きすぎて、途中から修行のように、各々が1日かけて食べていた。ラッピングをビリビリに破るよう促して、3人でツリーの周りに集まったプレゼントをそれぞれ開ける、という一大イベントをさらっと行った。

その日の夜は、「日本のクリスマスってクリスマス感全くしないね」と言う、最近日本に越してきたばかりのアメリカ人アイスホッケー選手ジェイクとその奥さんと3人で日本料理のコースを食べに行った。そのジェイクが中々面白い人。私がハーバード大の1年生でアイスホッケー部に入部した時に、男子チームの4年生でキャプテンをやっていたのがジェイクだった。当時渡米していたばかりの私は男子チームの選手ともほとんど接点がなく、顔は覚えていたけど、実際話したのは、今年の春、ジェイクが日本でプレーするかもしれないと言う話が出て実際に東京に来た時が初めて。その時はまだチームとの契約もしてないのに、東京に住みたいから、一緒に家を探してくれ、と、東横線沿線を一駅ずつ降りて部屋探しをした。今まで接してきたアメリカ人の中ではすごく珍しく、日本の食べ物や文化を本当に知ろうとしている。なんでも躊躇なく食べるし、日本語をすぐ覚えては合ってるか分からなくてもすぐ使う。彼は、今となっては、私が海外に行ったときにどう振る舞うか、というのを考える時のロールモデルとなった。積極的にその国の言葉を知ろうとして話し、興味を持って食べようとし、分からないことは聞くと、その国のものからしたら嬉しいのだ。少々めんどくさいことでも、全力で、「私が力になりたい」と思ってしまう。だから私も新しい国ではできるだけ現地の挨拶を覚えて、時には笑われて、でもみんなが喜んでくれるのが分かる。

フィンランドにはサーモンしかないので、日本で寿司も食べておきたかった。夏によく、キツかった日のトレーニングの帰り道にある寿司屋に寄って寿司を少しだけ食べて帰る、と言うお一人大満足お疲れランチをしていたのだが、せっかくなので今回もトレーニングの帰りに母と待ち合わせして一緒に再現した。帰りにスタバに寄ってコーヒーとケーキをいただく。これもリストにあったこと。フィンランドにはスタバがない。夕方の帰り道には澄んだ空気の先に見える富士山の影がめちゃくちゃ美しくて、カメラを持ったおじさんがいつも何人か立っているその絶景スポットで私も自転車を止めて、祈る。

焦げた野菜炒めの味がするラーメンも、ちゃんと食べた。

本屋さんで本をジャケ買いした。普段はKindleで読むけど、やっぱり紙の本が一番好きだ。本屋さんに入ると、色んな表紙を見て気分が上がる。大体表紙の色とタイトルとあらすじの文調で目星をつけて本を1冊買う。これはいつも、帰国するとやることなんだけど、同時にものすごくコスパが悪いのが悩みだ。本を読むのが早いので、下手したらその日のうちに、移動時間で読み終わってしまうこともある。面白いし、新品のピカピカの本を買うのは楽しいのに、すぐに読み終わるし、絶対に取っておく自分的ベストセラーはそう簡単に出てこない。どうにか解決できないのかこの葛藤。

大晦日の日。小学生からのチームメイトと4人で集まって、ビリヤード・ダーツ・卓球・ボーリングで遊ぶ。昔から1ミリも変わらない関係性で普段集まる時と何ら変わらないイベントをした。誰一人、携帯すらいじることなく、4時間ほど本気で対戦する。私はといえば、ボーリングまでは奇跡的にギリギリ1点差で3位につけていたのに、ボーリングでどんどん点差がついて負けていく。10回目の投球で2回連続ストライクを出すという粘りをだしたが、結局、それだけでは追いつけず、「お前、盛り上げ上手な」という一言を添えられて試合終了。最後は約束の最下位が全員にクレープを奢るという役割を全うして帰宅。

大晦日の夜は家族で年越しそばを食べた。何年か振りの年越しそば。父が私のために買ってくれていた日本酒と友人が買ってくれたワインを一口ずついただく。お酒は本当にひと舐めするくらいしか飲めないのに、最近日本酒とワインの美味しさに気づいて、一口飲んであとは他の人に楽しんでもらうという贅沢飲みを覚えた。

年が明けて間も無くしっかり寝て、元旦はお雑煮を食べて、昼過ぎに家族で散歩。夕方にランニングに行った帰りに見えた、あの絶景スポットの富士山が絶景すぎて、両親を引き連れてもう一度鑑賞。元旦からカメラをセットしてそこに立っていたおじさんと話しながらしばらく富士山と夕焼けを眺めて、家にゆっくり歩く。翌朝の飛行機は早い。

もう何十回と経験しているというのに、空港で出国する時には、毎回、戻りたくなくなる。決して他の国に行くのが嫌だとかじゃなくて、ただ単に、その場にある日常の空気が幸せすぎてそれが、このゲートをくぐった瞬間に非日常となってしまうのが寂しすぎるのだ。同じ密度で取っておきたい昨日の富士山と夕焼けとカメラのおじさんも、もうすでに手元にはなくて、1週間後には、1か月後には、もっと遠くて淡いものとなってしまうのが切ない。飛行機はいつも、切なさに浸る時間。幸せだから切ない。明日からもちゃんと幸せでいられるのに、切ない。なのにもう、これを書いている今は、ちゃんと今の日常が楽しくて幸せで、だからまた、切ない。悲しくない切なさってあるんだよな。

切なさを感じるくらい刻まれた幸せの空気の塊が、異国での日常を楽しく生きる糧になっている。帰ってきた私はまた強い。さて今週からまた試合。楽しもう、ありがとう日本での冬休み!





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Lunasa Sano | 佐野月咲
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